産経ニュース 2016.1.23 15:00更新
【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】韓国でまたも核武装論が再燃 「核には核で…」 父・朴正煕大統領も極秘裏に核開発を進めたが…
韓国で「韓国核武装論」が再燃している。合理性のみえない金正恩氏が「いつ、何をするかわからない」という不安、その一方で米国は「本当に核で韓国を守ってくれるのか」との不信もあるようだ。韓国には過去、未遂でおわった核武装の経験がある。1970年代、米軍の一部撤退で安保危機を懸念した朴正煕大統領が極秘裏に核兵器開発を進めた。結局、米国の圧力で朴政権は核を断念している。過去の経緯も知る米国の専門家は韓国の核武装論を「時代錯誤」と一蹴するが、北朝鮮の核武装が日本を含むアジアの「核ドミノ」を懸念する声もある。(久保田るり子)
■核には核で!
韓国で核保有論を展開している陣営が、その非現実性を認識していないわけではない。だが北朝鮮核開発の発覚から20年余、米国は全く頼りにならなかった。何の手も打てず、『結局、金正恩の核武装を許したではないか』という不満といらだちが募り、恐怖の悲壮感に変わりつつある。
有力紙「朝鮮日報」は核実験(1月6日)後、2日間にわたって社説で「核武装の議論の必要性」を主張した。政界では与党有力議員が相次いで、在韓米軍の戦術核再配備や韓国独自の核開発を提議した。
しかし朴槿恵大統領は国民向け談話で「朝鮮半島に核があってはならない」と「核武装」や「核の再配備」を否定。米国の迎撃システム、高高度防衛ミサイル(THAAD)の在韓米軍配備問題も「検討したい」との原則論しか語っていない。朴大統領は一方で、「中国の積極的な役割を期待する」と中国頼みを披露したが、この問題での電話首脳会談も、国防相会談すら中韓間で実現していないありさまだ。
というわけで韓国在野の核武装待望論はますます高まっている。
■核武装選択権に注目する韓国
冷戦崩壊を経て1991年、米国は朝鮮半島から核兵器を撤去した。南北は非核化宣言を行い共同宣言に署名した。韓国に核開発の再処理施設や濃縮施設はなく、韓国は核拡散防止条約(NPT)にも加入している。
有事の際には米本土から潜水艦や戦略爆撃機で核防衛されることになっているが、北朝鮮が米本土に届く大陸間弾道ミサイルまで完成したとみられる現在、韓国には「米国が核で本当に守ってくれるのか」という疑念が広がる。近年の世論調査で「米国が守ってくれる」と答えた韓国人は半数を下回る48%だった。
米韓両国は現在、北朝鮮の核兵器への先制攻撃を含む「4D作戦」の作戦計画を立案しているが、米国は地域の緊張を避けるという意味から戦略核の韓国再配備には否定的とされる。
そこで、最近注目されているのが「核武装選択権」(Nuclear Option)だ。核武装はしていないが、必要であればいつでも核兵器を作れる能力を確保する-との考え方で韓国では「日本は核武装選択権を保持している」などと本気で論じられている。
■韓国のフラストレーション
米国は1970年代、「ニクソン・ドクトリン」で在韓米軍2万人を撤収、これにより朴正煕大統領は秘密核開発を決意、独自の戦争抑止力としての核保有を試みようとした。1975年、朴政権はフランスから核再処理施設を導入しようとしたが、米国がこれを察知、フォード政権のシュレシンジャー国防長官に朴政権の“核の野望”を断念させるため韓国に送った。シュレジンジャー氏は朴正煕氏と約4時間にわたって会談、核兵器開発放棄を迫った。
米外交文書によると、この会談でシュレシンジャー氏は「韓国の核兵器開発はソ連に韓国を核兵器で脅す名目を提供する」「平壌に核兵器を使ったら、2-3万人が死ぬが、ソ連がソウルに核兵器を使ったら300万人が死ぬ」と語ったという。この説得後、シュレシンジャー氏は記者会見で「在韓米軍は核を保有している」と韓国の戦略核配備を初めて公言した。
その後、米国が91年に韓国の核兵器撤収するまで、在韓米軍には最大時、950基の戦術核が配備されていた。しかし、朝鮮戦争後から核開発を始めた北朝鮮は、その後も着々と開発を進め、1993年に核拡散防止条約(NPT)から脱退宣言、以来、核問題を交渉材料に国際社会からの支援を獲得するなど巧妙な瀬戸際外交で生き延びてきた。
韓国の核武装論者はこう言う。「われわれは核保有を断念した。そのうえ米軍の戦術核も撤収した。北朝鮮の核実験が4度目に至り、米国に抑止力はあるのか、“核の傘”はボロ傘ではないのか、本当に役に立つのか、という疑念が次々に浮上する。核が核で抑止するしかない。同盟ではなく自衛しかない」
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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◇ 韓国 「核配備」支持が5割超 THAAD配備も6割超が賛成 KBSなど世論調査2016/2/14
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◇ 広島原爆ドーム「核保有国でないから、こんな悲惨な被害を受ける」を心に刻むインド国防相 WiLL2013/5月号
WiLL5月号 2013年4月26日発行
蒟蒻問答 第84回 「中韓は対話の域を超えている」堤堯×久保紘之
(抜粋)
p246~
*核問題はインドを見習え
編集部 ところで、北朝鮮に対してはどう動いたらいいのでしょう?
堤 日本のメディア、評論家連中は、北朝鮮が実験をくり返すたびに「冷静に構えて話し合いの道を探れ」などと埒もないセリフを言うが、北は親子3代、核ミサイル保有への確固たる意志は変わらない。なのに、いたずらに時間を与えてきた。核に対抗できるのは核しかない。備えあれば憂いなしだ。何でその方向に議論が進展しないのかね。
久保 パワーポリティクスの世界を堂々と生き残るには、核を持たないと土台無理な話なんですよ。アルジェリアの事件について「なぜ守れなかったのか」と質問された際、安倍はこう言いました。
「イギリスなど、武力を持っていて戦争行為をする準備ができている国と、我々のような国と同じように論じられても困る」
これは全くその通りなんだけど、かつて池田勇人は外交交渉の帰りに思わず「ああ、日本にも核があったらなぁ」とため息混じりに呟いた。それから半世紀経っても、この問題は“呟き”の域を出ない。
堤 でも、いきなり世界に向けて「日本も核を持つ」と宣言するわけにいかんよ。手順というものがある。
久保 北朝鮮は核弾頭を作り、ノドン300発の照準を日本に合わせているという。そんななかで、悠長に手順を踏んでいる場合ですかねぇ。
たとえば現在、ロケット開発や原子力発電などを民間に委託しているけど、それこそ国家が前面に立ってやるべきことでしょう。いまの原発が危ないというのなら、国家が科学の粋を結集し、採算抜きで世界一安全堅固で高性能の原発を開発すればいいだけの話です。
山中伸弥教授のiPS細胞の研究は人間の生命科学の進展に大きく貢献したけど、一方では、その生命を守るために生命を犠牲にしなければならない時が、国家にはある。そのためには、まず国家の独立が必要。そして、その国家を有効に維持・防衛するためには核武装が必要になる。これはノーベル賞作家のクロード・シモンが、祖国フランスの核実験を支持するために展開した論理です。
堤 核の問題はインドがいい例となる。かつて佐藤栄作がひそかに核武装を意図し、西ドイツに共同開発を呼びかけたことがある。首相シュミットは拒否したけど、これを利用してアメリカから核のレンタルに成功した。一方、日本には核のレンタルすら認めない。
比べてインドは深く静かに潜行し、秘密裡に核を作ってしまった。当時、それに気付かなかったことでCIA長官がクビになり、CIA無用論まで出た。インドはアメリカから経済制裁を喰らったけど、こう訴えた。「われわれは中印戦争で惨敗した。中国は核を持っている。我々も持たねばまたやられる」とね。
中国の脅威を言い立てて、いまじゃインドの核は公認、アメリカから核の技術を提供されるまでになった。中国の脅威をいうなら、日本も同様だ。おまけに北の脅威も加わった。ドイツやインドにできたことが、なぜ日本にはできない。
加瀬英明さんに聞いた話では、インド国防相の部屋に行くと、広島の原爆ドームのカラー写真が壁に飾ってあるそうだ。聞けば、「核を持たなければ、こういう悲惨な被害を受けることを、毎日、心に刻むために飾ってある」という答えだ。
アメリカは核を持った国とは絶対に戦争をしない。イラクのサダムは核を持たないからやられた。金正日も金正恩もそれを知っているから核に執着する。
北朝鮮が最初の核実験を強行した時、安倍晋三と中川昭一は「日本も核の議論を始める必要がある」と発言した。この二人を朝日新聞はNHKと組んで叩きに叩いた。他の大手メディアも同様だ。かつて安倍の祖父・岸信介は「自衛のために小型の戦術核をもつことは憲法違反ではない」と発言して、これまた物議を醸した。安倍が官房長官の頃、早稲田大学のキャンパスで、祖父の「戦術核合憲論」をどう思うかと問われてこれを是認したときも、朝日以下のメディアは叩いた。核の議論をする者を目の仇に、袋叩きにして議論を封殺する。核だけではない。いまだに日本人は軍備や核という言葉にアレルギーをもっている。
久保 国民が反対しようがしまいが、国家が生き残るためにやらなきゃいけないことは、断固としてやらないといけないんですよ。
p250~
*ネクロフィリアからの脱却を
久保 「原発も国家も大企業もいらない。小さな共同体をつくり、再生可能エネルギーで十分生きていける」。3・11以降の反核・反原発運動家らはどんどん“縮志向”になって、そんなユートピア像しか思い描けない。
エーリヒ・フロムは『悪について』(紀伊國屋書店)のなかで、ネクロフィリア(死への希求)とバイオフィリア(生への希求)という2つの概念を提示しました。
フロムによれば、「核戦争は戦争の一切の合理化を成立不能にする」ものであり、核戦争阻止、核実験反対に立ちあがらない人々をネクロフィリア、その逆をバイオフィリアと呼んだ。フロムは原発と原爆を混同したりはしていませんが。
さて、いま反原発デモに参加する大江健三郎や菅直人など、日本の反核平和愛好者たちは「生に向かおうとする気持ち」はあっても「平和を守るために命を犠牲にすることもありうる」という積極的平和主義を生きたことはない。だから彼らをバイオフィリアと言えるわけがない。
僕はかつて戦後知識人の核、“絶対悪”神話の原点はどこなのか、探ってみたことがあります。そうすると、荒正人の「火」(昭和46年6月14日)という論文に辿り着いた。荒はそのなかで、核は壊滅的、否定的な側面と、平和的な積極的な側面があると考えた。前者を取るなら世界はネクロポリス(死都)に、後者を取るならばアクロポリス(世界市)になる、と。そして、いずれの道を選ぶかは、人民の手による「政治」にかかっていると荒は書いています。荒は共産主義者なので、「ソ連の核はいい核」となってしまうわけですが・・・。
問題は荒が、「今日、人類は星のエネルギーを獲得したのである。この無限大のエネルギーもいつかは必ず産業化されるだろう」と書いたユートピア的なイメージが、いつ頃から反核・反原発を同列に扱い、マイナスイメージ一色に塗りつぶされたのか、です。(略)
p251~
ともあれ、安倍のキャラクターで僕がもっとも評価するのは、バイオフィリア的側面です。ならば、彼がやるべきことは「戦後レジームの脱却」、すなわちネクロフィリア的な核ニヒリズムという戦後精神の改革を断行することでしょう。
堤 それは参院選後にやると思うよ。まずは経済を立て直さないと、国防すら覚束なくなる。軍備も技術革新もカネがかかるんだよ。
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