能登半島地震 老いの春

2007-03-27 | 社会

中日新聞 中日春秋   (2007/3/27)   
 「老いの春」という言葉がある。お年寄りが迎える春のことをいい、春が深まりゆくたとえにも用いる。年を取って新年を迎えることへの祝いの言葉でもある▼多くのところで、すっかり春めいてきた。これまでさまざまな苦労を重ねてきたお年寄りの方々には、最も楽しく味わってもらいたい季節。それでますますつらく映る。能登半島地震で被災した人たちにとっては、むごい春となってしまった▼石川県輪島市の避難所の模様を報じる記事は「圧倒的に高齢者が多い」と伝えていた。「つぶれた家のことを思い出すとつらくて」。短い言葉でも多くのことを想像させる。人生や家族の記憶がいっぱいに詰まったわが家であったことだろう。喪失感はいかばかりかと胸がふさがる▼「復旧には人手が足りず、お年寄りの多くが途方に暮れている」という記事があった。「地震は深刻さを増す能登の過疎化も浮き彫りにした」と。高齢化の時代、地震はお年寄りに一層の苦しさをもたらすという実例である。過疎のところだけではなく都市部でも心配されることだ▼人口が密集していても地域のきずなが消えかけて、過疎地にいるような思いのお年寄りもいよう。阪神大震災の被災者から「向こう三軒両隣」が助け合う大切さを教えられたが、近所の人のことをどれだけ知っているか、わが身を振り返っても心もとない。高齢者の防災をとりわけ考えさせる能登の地震である▼続々支えようとする人たちが一条の光。打ちのめされたお年寄りに少しでもやさしい春をと思わずにはいられない。


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