<国連人権理事会>死刑執行停止を日本に求める

2008-05-11 | 死刑/重刑/生命犯

<国連人権理事会>死刑執行停止を日本に求める
(毎日新聞 - 05月10日 19:11)
 【ジュネーブ澤田克己】国連人権理事会は9日、国連欧州本部で日本の人権状況を審査した。英仏など欧州諸国は日本が死刑制度を存続させていることを批判。10カ国以上が、昨年12月に国連総会で採択された死刑執行停止決議を受け入れるよう日本に求めた。また韓国と北朝鮮、オランダ、フランスの4カ国は、従軍慰安婦問題で日本政府が前向きな対応を取るよう求めた。
 審査は国連加盟国すべてを対象に人権状況を調べる「普遍的審査」で、日本が対象になるのは初め。
 死刑制度への批判に対し日本は「死刑制度は日本では世論の支持を受けている」などと反論した。従軍慰安婦問題では、政府としても謝罪をしているという従来の立場を強調した。

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国連の人権審査、日本の死刑増加に懸念表明相次ぐ
(読売新聞 - 05月10日 19:55)
 【ジュネーブ=大内佐紀】国連人権理事会で9日、日本を対象とする「普遍的定期審査(UPR)」が開かれ、死刑制度、従軍慰安婦問題などが人権侵害にあたるのではないかとの指摘が各国から相次いだ。
 UPRは、国連人権理事会が国連全192加盟国の人権状況を4年をかけて審査するという新しい制度で、今春から導入された。
 対日審査では42か国が発言を求め、特に欧州諸国から「最近、死刑執行が増加していることに強い懸念を覚える。死刑は非人道的だ」(ルクセンブルク代表)など、死刑制度の廃止を迫る声が相次いだ。
 従軍慰安婦問題については、北朝鮮、フランス、オランダ、韓国の4か国が、日本政府の対応が補償などの面で不十分だと批判した。中国は、日本の戦時中の問題には一切、言及しなかった。


7 コメント

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目が点に ()
2008-05-11 22:32:03
>死刑制度への批判に対し日本は「死刑制度は日本では世論の支持を受けている」などと反論した。

ここの部分は偶然テレビで見てました。
目が点になりました。
言う事がズルイな、と思いました。

「日本では、お上に逆らったら切腹ですよ、ハハハ~」のほうが、よかったのでは。
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私固有の気持ですけど (ゆうこ)
2008-05-12 23:23:28
和さん。コメ、ありがとう。
>世論の支持
 「世論」を持ち出すのは、伝家の宝刀ですね。そう言いながら、都合よく無視もします。直近では「後期高齢者・・制度」など。
 世論を楯にモノを言いたがる精神風土を見るとき、私は死刑を廃止した国々(宗教)との違いを思わないではいられません。自分がカトリックの信徒であるからだと思います。「絶対者の存在」という概念が死刑を廃止させたと思います。命は、神・聖域に属するもので、人間のような有限・不完全な者が手を出すものではないという考えです。「髪の毛一本すら造れない」と、聖書は、人を指して言います。「神が息を取り去られると死が訪れる」とも。神のみが造り、取り去る「命」です。本日の修道院でのミサで朗読されたのも「日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます」という手紙(聖書)の一節でした。人(草)とは、所詮そのようなものでしかないよ、ということです。

>最近、死刑執行が増加
 言葉もありません。「強い懸念を覚える」ばかりです。 
 有志のセンセイたちに頑張って戴いて、先ずは議員立法で終身刑を成立させることしかないでしょうね。「重」無期刑には、私には大いにひっかかるものがありますが、終身刑を考えてゆく中で、無期刑の現状についても考える契機が生まれると思います。
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日本は死刑執行停止決議の受入れるべきです (死刑制度に反対する一市民)
2008-05-12 23:44:16
死刑廃止が世界の潮流となる中で、日本の場合は、欧州諸国が指摘しているように死刑判決、死刑執行とも増加傾向にあることが懸念されます。
死刑制度は、突極の人権侵害であり、非人道的な制度です。
日本も昨年12月に国連が採択した死刑執行停止決議を受入れ、死刑執行の停止を、そして死刑制度を廃止すべきです。
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nul (narchan)
2008-05-13 08:05:48
数学や物理の問題の答えを多数決で決める人はいないでしょう。電車にするかバスにするかならば、多数に従ったほうがよさそうです。物事には、数で決められるものと、決めてはならないものがあります。人の命を絶つことは、多数決で決めてはならないことだと思います。視聴率や世論によって物事を決める現在の日本の社会は、何か基本的なことを見落としているのではないでしょうか。
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同感です。 (ゆうこ)
2008-05-14 08:25:06
「死刑制度に反対する一市民」さんと「nul」ちゃん。コメントありがとうございます。

>世界の潮流
>欧州諸国
 日本を野蛮な国、危険な国、という風に見ているでしょう。切腹が美学とされる、難解な国です。私は「サムライ」という言葉に、どうも馴染めません。

>物事には、数で決められるものと、決めてはならないものがあります。
>視聴率や世論によって物事を決める
>基本的なことを見落としている
 全く同感です。「基本的なこと」=「最も大事なこと」ですね。人命軽視のお手本を国が示している。危うい国ですね。



 
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私も侍はちょっと・・・ ()
2008-05-17 07:51:07
拝借しました↓

http://news.goo.ne.jp/article/nbonline/business/nbonline-154823-01.html

デキルヤツノ条件 9:サムライとだけは言われたくない 
2008年5月5日(月)09:00

 私は“サムライ”という生き物が大嫌いなニッポン男児である。

 嫌いなんです、お侍さんは。珍しいんじゃないでしょうかね、サムライが嫌いだなんていうやつは。
でも嫌いなんです。自分でも変わったやつだなあと思うけど。

 何故かというと、戦国の世、彼らは戦をして人を殺し、相手の領土を分捕ることを生業としていたか
らだ。根っからの平和主義者なんだな、私は。

 では、何故、お武家さんたちが相手の領土を分捕る必要があったかというと 、当時、彼らには“お給
金”というものがなく、石高で報酬を得ていた。これがいわゆる禄高。××何千石とか××何万石とか
言いますね。だから、いまも“禄を食む”という言い方が残ってます。

 領主や藩主は、合戦でたくさん人を殺した家臣たちに論功行賞という名の殺人褒賞を行い、砂金や銀
といった現物支給の他、加増というかたちで領地を与えた。ときには感状を与えたり、自分の名前から
一文字を与えて改名することを許したりもしました。こちらは非常に安上がり。

 殺した相手が“大将首”や“兜首”と呼ばれる大物だとその首を切り取って持ち帰り、首実験と称し
て自らの殺人を証明してみせた。相手がそれほどの器でないと、たしか左耳を切り落として、やはり自
ら人を殺した物的証拠とした。お侍さんたちはそういうことをしていたわけです。夏場の戦なんて大変
ですよ。2週間もかけて国に戻ったとき、持ち帰った首はどうなってると思います?

 しかし、たくさん人を殺すことのできる優秀な家臣が増えると、てめえんとこの領地だけでは足りな
くなってしまうので、領主や藩主はたくさん人を殺した優秀な家臣に分け与えるために隣接する他国に
攻め入った、と。それがすなわち自国の勢力を拡大することでもあり、お侍さんたちにしてみれば、た
くさん人を殺して他国の領地を分捕れば、それだけ出世もするし加増もされる、と。たくさんの人を殺
し、領地を分捕ることで、藩主とお侍さんたちの“利害”は一致していたわけです。言うなれば、合戦
というのは“侵略戦争”と何ら変わりがなかったんですね。

 だから嫌いなんです。サムライという生き物が。

 私がサムライという生き物が嫌いな理由はもう一つ……、もう三つかな。結構あるんだな、これが。


 合戦がはじまると、お侍さんたちはお百姓さんの生活や苦労を顧みようとしなかった。

 政(まつりごと)を司っておきながら、てめえらの思惑だけで好き勝手するんじゃねえよ、と私は言
いたいだけ。百姓という言葉はとても美しい言葉だけど、お百姓さんが“百の姓”に従じなければなら
なかったのは、お侍さんたちが生殺しで搾り取れるだけ搾り取ったからでしょう。

 生活苦から一家心中しなければならない人もいたし、泣く泣く娘をお女郎屋さんに売らなければなら
ないお百姓さんだっていたはずです。その娘たちを抱いていたのは誰ですか? あんたらじゃないんで
すか、お武家さん。ま、町人や職人さんも客にはなっていたでしょうが。

 織田信長、豊臣秀吉、“とくながみえやす(当コラム第3回目参照)”といった三傑の登場で天下統一
がなされるが 、参考までに言っておきますが、戦乱の世に終止符が打たれたのは、関ヶ原の戦いとそれ
に続く大阪冬の陣・夏の陣で徳川方が勝利を収めたからではありません。島原の乱で、お侍さんたちが
反乱分子とみなしたお百姓さんたちを“武力鎮圧”したのが最後の戦。原城址にこもったお百姓さんた
ちが皆殺しにされて以降、およそ250年の長きにわたり日本から戦はなくなります。その頂点に君臨した
のが徳川一族です。そうなのです、徳川さまは偉大なる将軍さまなのです。偉大なる将軍さまも、21世
紀には自分がクイズに出題されて“とくながみえやす”と答えられるとは思ってもなかったことでしょ
う。

 都が江戸に移され、日本から戦がなくなると、それまで人を殺すことを生業とし、戦を出世の足がか
りにしていたお侍さんたちは、体裁だけにこだわる“えぇかっこしぃ”に変貌を遂げてゆく。刀という
人を殺す道具を“武士の魂”だなどと言い出し、使う機会もないのに後生大事に持ち歩くか、観賞用に
愛でて喜ぶ数寄者になる。

 平和な時代の到来は21世紀の現代でも求められるところだが、泰平の世は、人を殺すことを生業にし
、戦を出世の足がかりにしていたお侍さんにはたいへんな時代でもあった。戦がないということは、腕
に覚えのあるお侍さんより、算盤や書類の作成を得意とするお侍さんのほうが重用されるからである。
槍一本でのしあがった時代は終わったのだ。

 すると、剣術は不得手でも、頭脳明晰なお侍さんがどんどん出世してゆく。事務方と呼ばれる仕事で
、いまで言えば政務官や事務官といったところか。文官タイプの武将のさきがけは石田三成になるそう
です。出世が望めなくなった無骨なお侍さんたちは“武辺”と見栄を張っちゃって、武士道とかいう形
式美に縋りつくしかなかったわけですが。滅びの美学とか言っちゃってね。勝手に滅びてなさい。今日
の私はちょっと過激。だって嫌いなんだもん、サムライって。血を分けた親子や兄弟どうしで殺し合う
人種など、好きになれるわけがありません。

 しかし、そこはそこ。お武家さまには“世襲制”という、とっておきの切り札があった。ご先祖さま
が頑張ってたくさんの人を殺してくれたおかげで、どんなぼんくらな末裔でもそれなりの地位と役職と
生活は保証されていた。抜け目がありませんな、お侍さんというのは。

 彼らにとって、何よりも重要視されたのがお家の大事。藩の安泰です。我が身においては跡取りと家
の格。そして閨閥、あるいは権力者との縁故、結びつき。逆に、彼らが何よりも恐れたのが、家臣すべ
てが失業することになるお家断絶とお取り潰し、そしてやっぱり自分が失業することになる改易。改易
というのは、所領、家禄、屋敷を没収されることです。いまでいう解雇です。

 お侍さんというのは、自己保身に長けた生き物を言うのだ。こんな連中がくだらない身分制度のトッ
プに居座り、国や地方を治めてたんですよ。お百姓さんの生活なんか眼中にあったんだかなかったんだ
か……、おそらくなかったでしょう。身分にこだわり、家督とか、自分が失業しないことにのみ生涯を
費やしてたんだから。

 思い当たりませんか? お侍さんたちに非常によく似た人たちに。

 その人たちは頭脳明晰で、ときにエリートと呼ばれます。ですが、案外と打たれ弱く、鎖国が井の中
の蛙を育てたように、諸外国のエリートを相手取るとまともな議論もできず、相手の言いなりになって
帰ってきます。それでいて、とかく体裁や体面にこだわり、プライドが高く、自分が失業しないことに
のみ留意するばかりか、在職中に天下り先の確保に奔走します。年貢として取り立てたお米は、お百姓
さんが汗水垂らし精魂込めてつくりあげたものだという意識の欠片もなく、また自分の懐を痛めること
もなく、なくなったらまた取り立てりゃいいやという感覚で湯水のごとく使う人種です。

 いますよね、こういう人たち。

 やたらと世襲にこだわる人たちもいます。やっぱりお侍さんと同じで、政にかかわっている人たちで
す。世襲のために政にかかわろうとするところもお侍さんと一緒。お侍さんが切腹したのは、腹に黒い
ところがないことを証明するためでもありましたが、こちらのお腹は真っ黒くろすけ。日本にはいっぱ
いいます。二枚どころか、舌もいっぱいお持ちのようで。

 だから 、というわけではないけれど、私はサムライというものが嫌いなのだ。

 サムライを英雄視する風潮もあまり好きではない。大地を耕し、作物を育てたお百姓さんのほうがよ
っぽど立派なことをやってきたと思うのだけど。

 超常現象が下火になったかと思ったら、ここ数年はスピリチュアルブームらしい。

 私は、霊魂も幽霊も守護霊も前世も信じていないが、もし前世というものがあるのであれば、履き捨
てられた草鞋だとかオマルの生まれ変わりというのはちょっと困るが、サムライと言われたらもっと困
る。そうしたら絶対に前世なんか信じない。何十億年前のミトコンドリアだと言われたら完全に信じる
けど。

 できるなら、前世はお百姓さんであってほしいと思っている。私が歯を食いしばって生きているのは
前世のお百姓さんの粘り強さが受け継がれたからなのですよ、なんて言われたらちょっと感動するかも
。あるいは簪職人とかね。粋でモテそうだし。私は市井の人でありたい。貧困や困窮につきまとわれて
も、そこに小さな幸せを見出せる人間でありたい。
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刀はちょっと・・・。 (ゆうこ)
2008-05-19 09:04:53
和さん。
>デキルヤツノ条件 9:サムライとだけは言われたくない 
 面白く(真面目に!)拝見しました。同感です。私のサムライへの違和感も、多分こういうところにあるのではないかと思いました。
 この春、夫が私の母を長船(岡山県)へつれて行ってくれました。名刀長船の博物館です。母はとても喜んでいました。私も、優しい夫に感謝しました。
 ただ、野暮なことを書きますが、「刀」は、ちょっと・・・です。刀とか武器の類は、楽器に替えたいな。
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