ベートーヴェン『悲愴』第2楽章

2006-10-15 | 日録

 勝田が藤原に改姓したときのことを思い出す。 94年、面会で「1月17日、母が縁組届けを出しに役所へ行ったよ」と伝えたところ、頷いたが、「犯行を累ねた消防士と決別したいので、入籍は節目の1月19日(119)にしてほしかったんや」と冗談のように言った。119でなかったことが少々残念そうだったが、改姓は、彼自身予想もしなかったほどの喜びをもたらした。「藤原清孝」と幾度も書いて、喜んだ。悪に塗れた「勝田清孝」から、人生の土壇場で別人になれたような、思いがけない出来事だったのだろう。藤原清孝の名前で、保証人になってくれた人たちに嬉々として礼状をしたためた。

 小林薫死刑囚の言葉>>「節目の日までに死刑になることで罪を償うしかない」

 これには、彼の詫びと悔悟の思いが込められている。ワルに徹するしかなかった彼の真実の思いだ。節目の日までに精一杯の侘びをし、悪に塗れた自分と決別する、悪事を累ねないではすまぬ自分を滅ぼし切る。私の感傷だろうか。

 宅間氏も小林氏も、悪に塗れた自分を十分に認識している。死んで詫びるしかない罪責と認識して、自ら命を差し出した。

 先日、近くの公園へ行ったら、百日紅が花を咲かせていた。清孝の家の庭にも数本あった。独特の木肌だ。家が取り壊されて更地になったとき、一本だけ残っていた。百日紅は、格別の感懐を抱かせる。

 今朝は教会へ行くとき(車で5分足らずだが)、NHKFMでパンフルート演奏(ヘンデル)を聴いた。帰路はピアノ(ベートーベン・悲愴)。車に乗ったとき、シスターが「ベートーベンはいいですねぇ。苦しみを通ったから、こんな音楽が生まれるのですね」とおっしゃった。そうですね、とお返事した。全く同感だった。悲愴の2楽章は、優しさ、慰めに満ちて、ここ数日気分が沈みがちだった私に力をくれるようだった。ああ、ベートーベンはいいなぁ、と聞きほれた。2楽章はアダージオである。アンダンテ・カンタービレ。帰宅して弾かずにいられなくて、朝食の後、洗濯機を回しながらピアノに。音楽は、力だ。元気をくれる。


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