金嬉老元受刑者:3月にも来日を要請「母の墓参りしたい」
1968年に静岡県内で暴力団員2人を射殺、人質を取って旅館に立てこもった「金嬉老事件」で無期懲役が確定し、99年に仮釈放されて韓国に永住帰国した金嬉老(本名・権禧老)元受刑者(81)=釜山市在住=が日本への渡航を希望し、3月にも日本政府に入国を認めるよう要請することが27日、分かった。金氏らが共同通信に語った。
金氏は「死ぬ前に母親の墓参りをしたい」と話しており、日本の法務省に嘆願書を送るほか、韓国政府にも外交ルートを通じて日本に入国を認めさせるよう陳情する意向。
しかし韓国側の関係者によると、日本の法務当局は金氏が日本に再入国しないことを条件に仮釈放を許可。永住帰国したため、在日韓国人の特別永住権も喪失している。(共同)
毎日新聞2010年2月27日2時20分
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金嬉老元受刑者「思い、捨てたことない」
「金嬉老事件」で無期懲役が確定し、1999年に仮釈放後、韓国南部釜山市に渡った金嬉老(本名権禧老)元受刑者(81)。韓国を「祖国」と言い切る一方、生まれ育った日本に対しても「思いを捨てたことはない」と複雑な胸中をのぞかせた。
金氏は仮釈放当時「日本で民族差別を告発し戦った人物」として、韓国で英雄視された。帰国後、各地で講演などを行い、移動する際は警察当局の警護が付く待遇だったが、2000年9月に殺人未遂などの事件を起こしたのを機に一転。現在は韓国メディアに登場することもなく、ひっそりと暮らしている。
仮釈放され、釜山行きの航空機に乗り込む際は、母の遺骨を胸に抱いた。その遺骨は金氏のきょうだいが住む日本に再び戻され、静岡県掛川市の墓に納められているという。金氏は「空を見上げ、日本の方に飛んでいく飛行機を見ると、近くても行くことができない日本への思いが募る」と話す。
「韓国での生活は、言葉の面など苦労は多い。日本にいたのなら、自分を生かせたのではと思う時もある」とも。消息を聞いた日本人が訪ねてきて、激励を受ける時もあるという。
金嬉老事件の裁判では、金氏側は「民族差別から起きた悲劇」と主張した。事件から40年以上が過ぎ「今さら(自分が経験した差別など)過去のことに触れても、憎しみしか生まれない。日韓間のマイナスになるようなことはしたくない」と語った。(共同)[2010年02月27日10:13]
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あれから42年 金嬉老元受刑者、日本入国許可要請へ
1968年に静岡県内で暴力団員2人を射殺、人質を取って旅館に立てこもった「金嬉老事件」で無期懲役が確定し、99年に仮釈放されて韓国に永住帰国した金嬉老(本名権禧老)元受刑者(81)=釜山市在住=が日本への渡航を希望し、3月にも日本政府に入国を認めるよう要請することが27日、分かった。
金氏は「死ぬ前に母親の墓参りをしたい」と話しており、日本の法務省に嘆願書を送るほか、韓国政府にも外交ルートを通じて日本に入国を認めさせるよう陳情する意向。
しかし韓国側の関係者によると、日本の法務当局は金氏が日本に再入国しないことを条件に仮釈放を許可。永住帰国したため、在日韓国人の特別永住権も喪失している。
2000年9月に釜山市で起こした殺人未遂や放火の有罪判決が確定し、入管難民法の「上陸拒否事由」にも該当するとみられる。日本の法務当局は、犯罪行為をしないなど仮釈放中の順守事項に違反したことで仮釈放を取り消し再収監する可能性もある。
一方、韓国の法務当局は「基本的には日本側が判断する問題」として静観する構えだ。(共同)[2010年02月27日09:36]
◆金嬉老元受刑者が死去=射殺・籠城の劇場型犯罪2010/03/26