
<歌い踊る切手>異色の「勝修羅三番」「田村」(1972年) 中村雅之
中日新聞2016/5/14 Sat.夕刊 4面【伝統芸能】
一体全体、なぜ「田村」が、「古典芸能」シリーズに入り切手になったのか分からない。
能の他の二曲は「羽衣」と「葵上(あおいのうえ)」。押しも押されもしない能の代表曲で、上演される機会も多い。それに比べ「田村」の知名度は劣り、上演回数も少ない。かと言って飛び抜けて名曲という訳でもない。知らない人も多いだろう。
「田村」は、能の中で、武将の亡霊が主人公の「修羅物」に分類される。現在一般的に演じられている二百曲余りの中で、十四曲ほどが「修羅物」だ。
東国を平定したことで知られる平安時代の武将・坂上田村麿が主人公の「田村」は、他に「勝ち組」である源義経の「屋島」、源氏方の梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)の「箙(えびら)」と共に「勝修羅三番」と呼ばれ、江戸時代の武士たちにも好まれた。
しかし「田村」は異色の曲でもある。「田村」以外の「修羅物」は、いずれも源平合戦で活躍した武将たちだ。
おまけに、「修羅物」は、その名の通り、生前戦いに明け暮れた報いから、仏教世界では人間が死後に行くとされる「六道」の一つ「修羅道」に落とされた武将たちの逃れられない苦しみを描くが、「田村」には、そんな重苦しさはない。田村麿の亡霊が出て来て、自らの戦功を振り返り、建立に関わった清水寺の功徳を讃(たた)えるというものだ。
「修羅物」の見せ場は、後半で亡霊が、戦の有(あ)り様(よう)を再現して見せるところ。「田村」の切手は、前半で清水寺の来歴や辺りの風景を語る童子の舞台姿。曲だけでなく、切手も異色だ。 (横浜能楽堂館長)
◎上記事は[中日〈東京〉新聞]からの転載・引用です