裁判員法=「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない

2019-07-03 | 裁判員裁判/被害者参加/強制起訴

〈来栖の独白 2019.7.3〉
 本年は、裁判員裁判10年。弊ブログの以下の記事を再掲しておきたい。


裁判員法=最高裁や法務省が言う「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない
特集ワイド:裁判員裁判の死刑判決 亀井・国民新党代表、田辺・元最高検検事に聞く
 毎日新聞2010年11月17日 東京夕刊
 横浜地裁で16日、国民が参加する裁判員裁判では初めて死刑判決が出された。市民参加によって死刑判決を下すことについて、「死刑廃止を推進する議員連盟」会長、亀井静香・国民新党代表と、元最高検検事の田辺信好弁護士に聞いた。【宍戸護】

◇多数決で決めてはならない
--「死刑廃止を推進する議員連盟」会長・亀井静香氏
 横浜地裁の死刑判決を見ると、やはり死刑制度があるから、こういう判決が出たのだと思う。しかも裁判長が控訴を促したでしょう。自分で死刑を出しておいて、控訴しなさいとはどういうことですか。人間の命を奪うことを何と考えているのか、私はおかしいと思う。死刑判決を出す場合、裁判官と裁判員は全員一致じゃないといけない。それでも、裁判員は自分が出した判決を一生悩み、苦しむことになる。
 裁判員裁判は、プロの裁判官が陥りやすい弊害を、一般人である裁判員の常識や生活感覚で埋め合わせるという意味では悪くない。しかし、証拠判断の訓練を積んでいない裁判員が、プロの裁判官と同じ重みを持って、判決にかかわることには問題があるのではないか。裁判官は証拠が立証されていく時系列の重みなどを判断する経験を積んでいるが、裁判員はその経験がなく、情緒的な判断をしやすいからだ。
 死刑判決が出る可能性がある裁判を裁判員に任せることに、私は無理があると思う。裁判官だから確実な判決を下すと言えるわけではないが、裁判員が被害者の関係者の「罰してほしい」という声の中で、しかも数日程度のわずかな期間で的確な判断ができるのか。袴田事件(元プロボクサー、袴田巌死刑囚が第2次再審請求中)では、1審で死刑判決とした元裁判官が「合議した裁判官の主張で死刑になった。2対1で負けた」と明らかにし、「無罪の心証だった」と公表したでしょう。死刑判決をめぐってはプロの裁判官ですら、一生大きな十字架を背負ってしまう。まして民間人である裁判員がその重みに耐えられるのかと思う。繰り返すが死刑判決の可能性がある裁判を裁判員にやらせるというならば、判決を決める評決は裁判官、裁判員の全員一致にすべきだ。
 そもそも私は死刑制度を廃止すべきだと考える。人の命はそんなに軽いものではない。理論的にどうだこうだというよりも、人間の命は大事にせなあかんと思う。どんな犯罪であれ、国家権力が人を殺す、しかも手足を縛って絞め殺すなんていうのは認められない。人間は、自分の一身を投げ捨ててまで仏のようないいこともすれば、残虐非道なこともやる。人をただ罰する、応報感情を満足させる、というだけではなく、そういう人が現れた場合でも、最低限命は奪わない、そして償いはさせる。危険な人物は除去すればいいという発想だけでやり出したら、国家や社会は非常に暗くなってしまう。
 冤罪(えんざい)で死刑になる可能性もある。郵便不正事件では捜査機関によって証拠が改ざんされ、村木厚子さんが逮捕、拘置された。僕たちは冤罪の可能性が高い司法制度の下で暮らしていることが明らかになった。最高検の検事総長以下、捜査をチェックする機関がいくつもあるのに、裁判所が無罪判決を出すまでチェックできなかった。冤罪は確率的には少ないかもしれないが、当事者にとっては100分の100だ。今こそ、国民が目覚め、死刑制度について真剣に考えないといけません。

◇生涯悩みを抱えるのでは
--元最高検検事・田辺信好氏
 死刑制度は存続させるべきだが、裁判員裁判については反対だ。死刑も裁判員が判断すべきではないと考える。
 被害者やその遺族は、犯人に対し応報できないから国が代わりをする。被害者の命が重いからこそ、加害者も命をもって償うしかない。もちろん冤罪はあってはならない。プロの裁判官、検察官、弁護人とも実力を磨いて冤罪防止に全力を注ぐべきだ。無実のものを死刑で殺してはならないのは当たり前のことだ。
 裁判員裁判は問題が多い。例えば、裁判は、被告が罪を認めている場合、自白を信用できるか、自白に身代わりの可能性がないかの判断が必要だ。否認の場合は、目撃者や指紋、DNA、いろんな証拠を総合して有罪と言えるのかを判断する。一般市民である裁判員には、有罪無罪だけではなく量刑について判断することも難しいと思う。中にはできる人もいるかもしれないが、今の裁判員は能力に関係なく無作為に抽出されている。裁判員が「疑わしきは無罪」に徹すれば、冤罪を防げるといわれるが、米国の陪審制では有罪判決後、無罪と分かったケースが多数ある。
 死刑も同じ理由で裁判員が判断すべきではない。横浜地裁で16日に出された死刑判決は、死刑選択の基準「永山基準」から見ても妥当といえるが、裁判長が「控訴を勧めたい」としたのは解せない。判決に自信がなかったのか、無期懲役の意見を出した裁判員に気を使ったのか。いずれにせよ、裁判員は今後「あれでよかったのか」と幾度も振り返り、守秘義務にも生涯悩まされるだろう。正常な精神を保てない人が出るかもしれない。
 死刑判決をめぐり、裁判官と裁判員の間で、意見が分かれたとも推測されるが裁判官と裁判員の多数決は、憲法76条第3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」の「裁判官の独立」を害する疑いがある。例えば、現行では裁判官3人のうち2人は死刑、1人は無期懲役で、裁判員6人のうち4人が無期の判断なら無期になる。つまり裁判官3人だけだと死刑だが、裁判員が加わると無期。裁判官3人で決めた場合と、裁判員が加わった場合では結論が異なるのでは憲法違反の疑いがある。
 裁判員裁判で死刑を求刑されて11月1日に無期懲役の判決を出した「耳かきエステ」の裁判員は、報道によると「永山基準は裁判官による裁判のもの」と述べていた。しかし似た事実、犯情、情状なのに、死刑と無期に分かれるならば、公平な裁判を受ける権利を保障している憲法37条第1項「すべての刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」にも反する。
 裁判員の目的は裁判員法1条で「国民の理解の増進と信頼の向上」と定めている。最高裁や法務省が言う「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない。国民に裁判への深い関心を持たせた意味は認めるが、逆を言えば、制度の目的はすでに達成されたといえ、この際廃止すべきだ。

 
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 ■人物略歴
 ◇かめい・しずか
  1936年広島県生まれ。警察庁を経て79年から衆院議員。05年に自民党を離れ国民新党結党。
 ◇たなべ・のぶよし
  1936年神戸市生まれ。京都地検次席検事、岡山地検検事正などを経て、現在は弁護士。

   ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です *強調(=太字)は来栖

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