いっそのこと、流氷に閉ざされてしまう網走の海で・・・川村湊さん (毎日新聞2009/12/24)

2009-12-25 | 本/演劇…など

帰りたい:私だけのふるさと 川村湊さん 北海道網走市
感傷呼び起こす、真冬の寒さ
 生まれは網走です。そう言って知らない人はまずいませんし、たいていはすぐに覚えてもらえます。映画「網走番外地」のイメージが大きいからでしょう。得なのか、損なのかはよく分かりませんが。
 父親が警察官だったので、小さなころから北海道内の各地を転々としていました。
 まずは小学校に入ってすぐ、知床半島の付け根にある斜里町に移りました。中学校は最北端の稚内市、高校は炭鉱のある砂川市です。だから、ふるさとは?と聞かれると、網走を含めたオホーツク海沿岸が思い浮かびます。
 実家は父母ときょうだい5人の7人家族。私は上から4番目で次男です。兄や姉にはいじめられたりかわいがられたりで、割と過保護にされていました。だからでしょう、もの静かでおとなしい子どもでした。
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 網走にいたころは住んでいた官舎の近くに古い図書館があって、よく遊びに行った覚えがあります。暗い書棚の間を走り回ったので、きっと怒られていたんじゃないかな。
 もちろん、ちっちゃいから本は読みませんでしたよ。でも、図書館が遊び場の一つだったということは、すでに本と縁があったんですね。
 印象深い思い出は他にもあります。5、6歳のころ、鯨の解体を目の当たりにしたこと。鯨が捕れたと聞き、野球場のように広い鯨のに、家族で行ったんです。
 なぎなたのような刃物を持ったおじさんたちが大勢で、ものすごく大きい鯨の腹をさーっと割いていく。そこから湯気か水蒸気のようなものがばっと上がってね。かなり刺激的でした。ただ、当時はみな、ごく普通に鯨を食べていたのですが、私はあまりなじめませんでした。
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 北海道を離れて、懐かしく思うのは寒さです。もう離れてからの方が長いのに、今でも雪を見ると、はしゃぎたくなってしまうんですよ。前が見えないほどの吹雪の中、アノラックで体をすっぽりと覆って歩いていく。そんなこと、本州では体験できませんから。クリスマスや正月も、あたりが白くないと、何となく物足りない気がしてしまいます。
 連続射殺事件の永山則夫元死刑囚は刑の執行後、遺言によって故郷の海、オホーツク海に散骨されました。私は彼とは同年代、同郷でも、面識はありません。しかし、他の土地でお墓に入るぐらいなら、私もいっそのこと、彼のように流氷に閉ざされてしまう網走の海で散骨されるのもいいかなと思っているんです。
 こんなセンチメンタルな思いを抱いているのも、真冬の網走に生まれたせいかもしれません。<聞き手・遠藤拓/え・須飼秀和/写真・三浦博之>
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 ■人物略歴
 ◇かわむら・みなと
 文芸評論家、法政大教授。1951年生まれ。93年から毎日新聞で文芸時評を担当する。「補陀落(ふだらく)--観音信仰への旅」(伊藤整文学賞)、「牛頭(ごず)天王と蘇民将来伝説」(読売文学賞)など著書多数。毎日新聞2009年12月24日東京夕刊
 
 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白〉
 いま読んでいる五木寛之著『歎異抄の謎』(詳伝社新書)の巻末に、五木さんと川村湊さんの対談があり、興味深い。


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