「目には目を」の報復、すべきでない/6割以上が死刑賛成という世論に迎合せず、仏大統領は死刑を廃止した

2010-10-14 | 死刑/重刑(国際)

死刑制度:フォール駐日仏大使に聞く 「死刑廃止は民主主義の一部」
 ◇ミッテラン大統領の信念 決定後は存続派少数に
 今月10日は「世界死刑廃止デー」。欧州連合(EU)は同じ民主主義国として日本や米国の死刑制度に厳しい目を向ける。フランスのフィリップ・フォール駐日大使に、同国が死刑を廃止した経緯などを聞いた。【専門編集委員・西川恵】
--大使の父(モーリス・フォール氏)は死刑を廃止する社会党のミッテラン政権の最初の法相でした。
 ・ミッテラン氏が81年5月に大統領に当選すると、死刑廃止を打ち出すため父を法相に任命した。しかし父は死刑廃止には賛成だったが優先課題ではなく、1カ月でポストを去った。代わって弁護士のロベール・バダンテール氏が法相になり、死刑廃止を打ち出す。
--ミッテラン大統領の死刑廃止は信念ですか。
 ・大統領は選挙中から最優先の社会政策として死刑廃止を公約した。第一に死刑は犯罪の抑止にはならないこと。第二に、これはフランス人道主義の系譜だが、国家は野蛮な行為に対し野蛮な行為で応えるべきでないとの信念だ。犯罪には罰を与えなければならないが、目には目をの報復はすべきでないとの考えがある。最近、日本でも冤罪事件があった。万一、死刑に処した人間が冤罪だったら取り返しがつかない。第三に死刑廃止論者であるバダンテール氏の影響だ。同氏はフランスで最後の死刑囚となる2人の被告人の弁護をしたが、いつ死刑が執行されるかおびえながら過ごす非人間的な残酷さを大統領に説明し、大統領も深く納得した。
 ◇世論に迎合せず
--当時、フランスでは世論の60%以上が死刑賛成でした。
 ・大統領にはドゴール(元大統領)に通じるものがあった。それは世論に迎合しない姿勢だ。死刑廃止は不人気のテーマで、人々は「我々は死刑廃止のために彼を選んだのではない」と言っていた。しかし大統領は選ばれたばかりで支持率は高く、廃止できると踏んだのだろう。
--廃止法は大統領当選5カ月後の81年10月に公布されました。
 ・国民議会(下院)で363対117で可決された。興味深いのは死刑賛成だった世論は、廃止が決まると少数になった。政権が代わったら死刑復活を図るのではとの観測もあったが、そういうこともなかった。07年、政府が憲法を改正し、死刑廃止を条文に盛ることを諮った時、上下両院合同議会は828対26の圧倒的多数で認めた。死刑廃止はもはや不可逆だ。
--EUは日本の死刑制度を批判しています。
 ・欧州にとって死刑廃止は、表現や集会の自由と共に民主主義の一部。日本に政治的圧力をかけるつもりはなく、友人としての勧告だ。ただ日本のような民主主義国で、死刑に対する疑問が生じないのは不思議だ。議論が起こることを望んでいる。
--日本の世論の多数は死刑賛成です。
 ・政治家の勇気ある行動がなければ、何も起こらない。「さあ、やろう」という政治家が出ることが大事だ。そうでなければ世論は変わらない。
 ◇EU、日米に圧力強め
 民主主義、人権の価値を共有する日本とEUにとって、死刑制度はノドに刺さった骨となってきた。日本は「死刑制度の是非は各国が判断すること」とするが、EUは日本や米国に暫定措置として、一定期間の死刑執行停止を求めている。
 EUにとって人権秩序の構築は重要な外交目標で、死刑廃止要求はその一環だ。EUに加盟するには死刑廃止は条件で、トルコも加盟交渉を前にした02年、有事の時の国家に対する裏切り行為を除き死刑廃止を決定。世界的にも死刑廃止は広がりつつある。
 こうした中で、EUが厳しい目を向けるのが民主国家の日本と米国。EUは昨年、民主党政権で、死刑廃止論者の千葉景子氏が法相に就任したことを歓迎。フランスなど何カ国かの大使は同法相と面会し、死刑執行の停止を求めた。それだけに今年7月28日、2人の死刑囚の刑が執行された時、EUは失望を隠さなかった。
 人権問題で指導的役割を果たす欧州47カ国参加の欧州会議(本部・ストラスブール)で日本と米国はオブザーバーだが、死刑制度で改善がなければオブザーバー資格をはく奪することなども時折、検討されている。EUの死刑廃止圧力は今後さらに強まりそうだ。
 毎日新聞 2010年10月14日 東京朝刊 〈青の着色及びリンクは、来栖〉
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アフリカ東部ソマリア 死ぬまで石を投げ付ける「石打ちの刑」による公開死刑
 性失明事件の加害者に「目には目を」の刑執行へ イラン
 (マタイによる福音書5、38~) “目には目を、歯には歯を、と命じられている。しかし、わたしは云っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。(略)求める者には与えなさい。あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは云っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。(略)あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい”  
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《死刑とは何か~刑場の周縁から》 加賀乙彦著『宣告』『死刑囚の記録』 大塚公子著『死刑執行人の苦悩』 より抜粋
中公新書『死刑囚の記録』(加賀乙彦著)
 ただ、私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は禁止すべきだということである。
 日本では1年に20人前後の死刑確定者が出、年間、2、30人が死刑に処せられている。死刑の方法は絞首刑である。刑場の構造は、いわゆる“地下絞架式”であって、死刑囚を刑壇の上に立たせ、絞縄を首にかけ、ハンドルをひくと、刑壇が落下し、身体が垂れさがる仕掛けになっている。つまり、死刑囚は、穴から床の下に落下しながら首を絞められて殺されるわけである。実際の死刑の模様を私は自分の小説のなかに忠実に描いておいた。
 死刑が残虐な刑罰ではないかという従来の意見は、絞首の瞬間に受刑者がうける肉体的精神的苦痛が大きくはないという事実を論拠にしている。
 たとえば1948年3月12日の最高裁判所大法廷の、例の「生命は尊貴である。一人の生命は全地球より重い」と大上段に振りあげた判決は、「その執行の方法などがその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬ」として、絞首刑は、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」などとちがうから、残虐ではないと結論している。すなわち、絞首の方法だけにしか注目していない。
 また、1959年11月25日の古畑種基鑑定は、絞首刑は、頸をしめられたとき直ちに意識を失っていると思われるので苦痛を感じないと推定している。これは苦痛がない以上、残虐な刑罰ではないという論旨へと発展する結論であった。
 しかし、私が本書でのべたように死刑の苦痛の最たるものは、死刑執行前に独房のなかで感じるものなのである。死刑囚の過半数が、動物の状態に自分を退行させる拘禁ノイローゼにかかっている。彼らは拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが、残虐な刑罰でなくて何であろう。  
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人権と外交:死刑は悪なのか
◇ The Death Penalty 死刑の世界地図 [1] 
The Death Penalty 死刑の世界地図[2]
死刑 悩み深き森/千葉景子さん「執行の署名は私なりの小石」 


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