鎌田安利死刑囚(大阪女性5人殺害事件)と吉田純子死刑囚(福岡看護師連続保険金殺人事件) 刑執行 2016/3/25 岩城光英法相命令

2016-03-25 | 死刑/重刑/生命犯

2人に死刑執行
 NHK NEWS WEB 3月25日 9時38分
 昭和60年から平成6年にかけて、大阪で小学生を含む5人の女性を相次いで殺害したとして、殺人などの罪で死刑が確定した鎌田安利死刑囚ら、2人の死刑が、25日午前、執行されました。
 死刑が執行されたのは、鎌田安利死刑囚と、吉田純子死刑囚の2人です。
 鎌田死刑囚は、昭和62年に大阪で当時小学3年生だった9歳の女の子を殺害したうえ家族に身代金を要求するなど、昭和60年から平成6年までの9年間に合わせて5人の女性を殺害したとして、殺人などの罪で平成17年に死刑が確定していました。
 また、吉田死刑囚は、平成10年から平成11年にかけて、看護師仲間の女3人とともに仲間の夫2人を薬物で眠らせて血管に空気を注射するなどして殺害し、6700万円余りの保険金をだまし取ったとして、殺人や詐欺などの罪で平成22年に死刑が確定していました。
 第2次安倍内閣以降で死刑が執行されたのは、去年12月以来9回目で、合わせて16人になりました。

 ◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
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2016.3.25 12:30更新
【2人死刑執行】「死刑は明確な殺人行為」アンケートで女性5人殺害の鎌田元死刑囚が不満明かす
 女性5人殺害事件で死刑が確定し、25日に執行された鎌田安利元死刑囚は2008年8月、市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」(東京)のアンケートに、「死刑の執行は明確な殺人行為だと思えてならない」と制度への不満を明かしていた。
 回答では「法廷で警察や検察で話したことは真実でないといくらいっても裁判官は聞く耳を持たない」とつづり、「供述調書を作成するとき、公正中立な機関が立ち会いするようにでもしなければ、正しい裁判や判決は望めない」と訴えていた。
 また、12年に福島瑞穂参院議員らが実施したアンケートには、死刑執行の5日前には事前通知してほしいと回答。被害者に対しどんな気持ちを抱いているか尋ねた質問項目には「どうもうまく書けません」と記入していた。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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死刑執行の2人 書き残した思い 「裁判官聞く耳持たず」「日々、懺悔」
 朝日新聞デジタル  2016年3月25日13時07分
 法務省が約3カ月ぶりに2人の死刑を執行した。岩城光英法相は、就任後5カ月余りで2度目の執行となった。執行された2人は死刑廃止団体のアンケートなどに思いを書き残していた。
 鎌田安利死刑囚(75)は、大阪市で1985~94年、女性ばかり5人を殺害した事件で死刑が確定。「警察庁指定122号事件」だった。
 鎌田死刑囚は公判で無罪を主張。99年の一審・大阪地裁判決は一連の事件を鎌田死刑囚の犯行と判断して死刑を言い渡したが、身代金要求については無罪とした。だが二審・大阪高裁は一審の無罪部分を破棄し、鎌田死刑囚の犯行と認定。最高裁で死刑が確定した。
 鎌田死刑囚は市民団体「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が福島瑞穂参院議員(社民)とともにこれまで3回送ったアンケートに、回答を寄せていた。2008年のアンケートには「法廷で、警察や検察で話したことは真実でないと言っても、裁判官は聞く耳を持たない」と捜査・公判を批判。その後は体調が悪化した様子で、昨年7月の回答には「びょうきで字が思うように書けません。それがいちばんつらい」と記していた。
 一方、吉田純子死刑囚(56)は、同じ看護学校に通っていた元看護師3人と共謀し、保険金目的でうち2人の夫を殺害した。
 二審判決直前の06年5月、弁護人を通じ報道機関に手記を寄せていた。A4判の便箋(びんせん)4枚につづられた手記では、一審判決で「主犯格」とされたことを否定。「もちつ、もたれつの中、知恵を出し合い、共謀へと及んだ哀(かな)しい結果だったのです」と書いた。「被害者の方々の魂が、どうか、天国で安らかでありますように。心より、お詫(わ)び申し上げます」と結んだ。
 吉田死刑囚は「フォーラム90」の11年のアンケートにも「日々、内省と悔悟を胸に刻み、懺悔(ざんげ)の祈りを捧げております」と書いていた。(金子元希)

 ◎上記事は[朝日新聞デジタル]からの転載・引用です


【関西事件史】連続女性バラバラ殺人(上)1人多い殺害自供
 産経ニュース 2011.11.12 10:00
 《公美子ちゃん事件 誘拐犯人の似顔絵 疑惑の窃盗男と酷似》
 こんな見出しの記事が平成7年5月12日の読売新聞朝刊社会面に掲載された。
 窃盗男とは、6年3月に失跡した飲食店員の女性=当時(38)=のバラバラ遺体が翌4月、大阪府箕面市の山林で発見された事件などに関連して、1年後の7年4月に別の窃盗容疑で逮捕された鎌田安利=当時(54)。
 そして公美子ちゃんは、昭和62年1月、自宅近くのそろばん塾の帰りに行方不明となり、同年5月に大阪府豊能町の山中で白骨の他殺体となって発見された大阪市住吉区の小学校3年、辻角公美子ちゃん=当時(9)=だった。
 バラバラ遺体が発見された箕面の山林から数十メートルしか離れていない雑木林ではその翌日、別の女性のバラバラ白骨遺体も見つかり、同一犯の可能性が高いと判断された。2人の女性はともに大阪市西成区内の飲食店などに以前勤めており、双方のなじみ客の捜査から鎌田が浮かんだ。
 さらに鎌田は、昭和60年6月、大阪府富田林市の知的障害者施設に入所していた女性=当時(19)=が奈良県内でバラバラ遺体で見つかった事件でも、関与が疑われていた。
 盗品を売り歩いていた鎌田を、大阪市中央区の倉庫から段ボール箱入りの衣類を盗んだ容疑で府警が逮捕。遺体をバラバラにして捨てる手口が似ていたことから、女性殺害犯人がグリコ・森永事件をまねて送ったとみられる奈良県警高田署長あての脅迫状から検出された指紋と照合したところ、鎌田の指紋と一致したからだ。
 一方、公美子ちゃん事件は発生から2日後に公開捜査に踏み切り、社会の大きな関心を呼んだにもかかわらず、有力な手掛かりはなく、未解決のまま継続捜査になっていた。
 発生当時は大阪府警捜査1課担当。白昼に少女がまるで神隠しにあったように消え、変わり果てた姿で見つかった事件は、捜査1課にとっても、われわれ担当記者にとってものどの奥に刺さった骨のような存在だった。グリコ・森永事件(警察庁指定114号)を除けば、「1課担」(捜査1課担当の略称)にとって最大の懸案だったといえる。
 それは、昭和62年5月3日の憲法記念日に、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った男に襲われ、小尻知博記者=当時(29)=が殺害されるという日本の犯罪史上に残る重大事件(警察庁指定116号)が起きたにもかかわらず、翌4日に遺体が発見されると、各社の1課担が一斉に公美子ちゃん事件の取材に戻ったことが端的に示している。
■大恥かいたタンカ
 それから約8年。鎌田が逮捕されたときは府警担当キャップだった。犯人の似顔絵に似ているとして浮上した鎌田には、直感的に違和感を感じた。
 他の3人はいずれも成人かそれに近い大人の女性で、しかもバラバラ遺体で見つかっている。この手の犯罪にはある種の傾向があり、大人の女性を狙う一方で、幼女や小学生の女児も襲うというのはあまり聞いたことがない。公美子ちゃん以外の3人はいずれも西成区内で鎌田と接点があったが、住吉区の公美子ちゃんにはそれもない。
 「これでホンマに鎌田が公美子ちゃんを殺ってたら、事件記者やめたるわ」。読売新聞の記事が当たっていることは絶対にないという確信を持って、府警の幹部にそうタンカを切ったのだが、その直後、背筋が凍る思いをすることになる。
 記事が出たその日の午後、すなわち7年5月12日午後に府警と奈良県警の合同捜査本部は、知的障害者施設に入所していた女性殺害の容疑で鎌田を逮捕した。
 そして夜。捜査状況などを取材するため各記者が夜回りに出た後、ボックスと呼ばれる府警記者室で留守番をしていると、社会部に配属されて間もない石橋文登(現・政治部副編集長)がとんでもない情報を電話で伝えてきた。
 「鎌田が公美子ちゃん殺害をうたって(自供して)ます。しかも、5人殺したと言ってるそうです」
 当時はその年の1月17日に発生した阪神大震災の応援取材に駆り出されて、通常8人の府警担当記者が半減していた。
 だが、一連のバラバラ殺人事件で奈良県警のかかわりが深まったことから、奈良支局時代に県警を担当していた石橋を応援としてその日から配置していた。驚愕の情報は夜回り先の旧知の県警捜査員が教えてくれたものだった。
 「『帳場(捜査本部)は奈良の事件でちゃんと(鎌田を)捕まえてたら、公美子ちゃんらは殺されずにすんだんやという雰囲気で、わしら奈良のモンは針のムシロや』と言ってました」。石橋は捜査本部の様子も伝えてきた。
 「えっ、公美子ちゃん殺害をうたったやて! しかも5人て、5人目はだれやねん!」
 声がひっくり返っているのが自分でもわかったが、石橋の説明にまた驚かされた。「それが警察にも全然わかってないらしいです」
 「えらいことになった」と、すぐに1課担記者の菅沢崇(現・総合編集部次長)と野瀬吉信(現・大津支局長)をポケットベルで呼び出して連絡し、府警側でも裏を取るよう指示した。これだけの重大情報である。捜査員1人、しかも他府県警の情報だけで「勝負原稿」を打つわけにはいかない。
 自分でも府警の刑事部幹部に電話を入れて事実を確認したが、「ほんま? 知らんわぁ。そんな話聞いてないわぁ」と完全否定でとぼけられた。
 一方、菅沢と野瀬からは待てど暮らせどその後連絡が入らない。しびれを切らして再度ポケベルを鳴らしたが、どちらの取材先も帰宅しておらず、電話による裏取りもうまくいっていなかった。
 そうしている間にも締め切り時間は刻一刻と迫っていた。社会部の当番デスクだった鹿間孝一(現・特別記者兼論説委員)からは「どないなってんねん。(5人殺害で)行けるんか、あかんのか」と矢のような催促だ。
 「こうなったら、あそこしかない」。意を決して、昭和天皇が体調を崩されていた昭和63年、連日テレビなどで見かけた「あの人」に電話をかけた。(敬称略)
 (取締役大阪編集局長兼大阪代表補佐 片山雅文)
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【関西事件史】連続女性バラバラ殺人(下)書かなかったら特オチ
 産経ニュース 2011.11.13 10:00
 「辻角公美子ちゃんら女性5人の殺害を自供した」。窃盗容疑で逮捕された鎌田安利=当時(54)=の衝撃の供述が奈良県警の取材でもたらされながら、肝心の大阪府警で裏が取れない。
 締め切り時間が迫る中、意を決して電話したのは、府警本部長の前田健治(故人、元警視総監)だった。
 前田は昭和天皇が体調を崩されていた昭和63年当時、宮内庁総務課長として連日、ご容体などについて記者会見で発表していた。ご記憶の向きも多いだろう。「警察官は愚直たれ」が口癖で、とっつきは決してよくないが、誠実で朴訥(ぼくとつ)な人柄だった。
 「5人の殺害を自供したと聞いてますが、どうですか?」。単刀直入に切り込んだが、前田は事実関係については一切触れず、ただ一言、「まあ、あとは思い切りでしょう」。そう言って電話を切った。
 「腹を決めて書け」という意味だと理解して、本社に大急ぎで原稿を送り込んだ。裏取りで本部長にまで電話したのは、このときだけだ。今と違って携帯電話は普及しておらず、「大阪の警視総監」とも言うべき府警本部長に夜中に官舎にまで電話取材するのは、少なくとも当時はそう簡単ではなかった。送稿が終わった途端、全身の力が抜けた。
 震災の影響で締め切り時間が大幅に繰り上がっており、タッチの差で京都や神戸などに届けられる版に間に合わなかったのは今でも痛恨の極みである。だが、大阪府内の多くに配達される翌13日の朝刊最終版では、「『女性5人殺した』 窃盗の被告が自供」「公美子ちゃんまで」の大見出しで、1面トップと社会面トップで報じた。
■流れ変えた「差」
 「これで各社の鼻をあかしたやろ」。そう思ったのもつかの間。午前3時すぎに交換紙の連絡を聞いてまたまた背筋が凍りついた。
 せっかちな大阪では朝刊が家に届くまで待ちきれず、各社が午前3時前後にその日の朝刊を交換して内容を確認する習慣がある。これを「交換紙」という。
 他紙に大きな記事を抜かれていれば、本社からの電話で容赦なく叩き起こされるし、他紙の動きが気にかかれば持ち場や自宅で待機して、抜かれや要注意の記事がないか確認する。
 「毎日も公美子ちゃんら5人殺害自供で打ってます。読売は4人です。朝日は逮捕容疑の本件のみ。箕面の2人は示唆、公美子ちゃんは『?』です」
 特ダネと思って送った記事が相打ちだった。というより、ひとつ間違えれば記者が最も恐れる特オチだった。
 「書いたら特ダネ」はある意味、楽である。「書かなかったら特オチ」。これがどれほど恐ろしく、競争の厳しさを示しているか。「生き馬の目を抜く」と言われる関西ジャーナリズムの中でも、とりわけ「えげつない」とされる事件持ち場のシビアさを改めて認識させられた。
 報道から16日後の5月29日、鎌田の供述通り、神戸市西区の雑木林からバラバラに切断された女性の遺体が見つかり、昭和60年5月に家出していた主婦=当時(46)=と確認された。鎌田とは行きずりで関係を持ち、鎌田は主婦の名前も知らなかったという。
 13日の記事では、公美子ちゃん殺害自供はもちろんだが、同等に想定外の「5人殺害」がポイントだった。公美子ちゃん事件への関与に触れるなど、一連の報道ではそれまで読売新聞に一歩リードされていたが、「殺害数の差」を機に明らかに流れは変わった。
 菅沢、野瀬の1課担コンビはこのあと、鎌田が公美子ちゃんを殺害後に身代金3000万円を要求する電話を自宅や通っていた小学校に数回にわたりかけていたことを認めた事実をスクープ。
 捜査などの様子を探るため葬儀式場にも姿を現していた疑いのあることや、久美子ちゃんがそろばん塾のかばんを持っていたことに触れ、氏名が書かれた位置を正確に供述したことなども特ダネとして報じた。
 ただ、個人的にはどうしても公美子ちゃんを殺害したのが鎌田だとは信じられなかった。前述した通り、手口があまりにも違っていたからである。
 だが、捜査幹部は「まちがいない」と断言した。公美子ちゃんの遺体遺棄現場に同行検分した際、鎌田はほとんど迷うことなく捜査員に道筋を示した。一度だけ道を間違えたが、すぐに「あ、違う」と気づき、正しいルートに戻ったという。
 鎌田が被害女性の遺体を切断したのは遺棄するのに都合がいいからで、子供で体が小さい公美子ちゃんにはその必要がないため切断しなかったという。
 「女児を殺し、安否を気遣う父親に身代金を要求するなど非人間的な所業。非情な犯罪を重ねており、人命尊重の念は微塵もうかがわれない」。平成17年7月、最高裁はこう断じて上告を棄却し、鎌田の死刑判決が確定した。
 事件当時は、地下鉄サリン事件(平成7年3月20日)などオウム真理教による国家テロ事件が世間の耳目を集め、鎌田事件は埋没した印象もあるが、関西のみならず間違いなく日本事件史上に残る凶悪事件だった。
 何より、私にとっては「先入観を持ってはいけない」という貴重な教訓を与えてくれた事件だった。(敬称略)
 (取締役大阪編集局長兼大阪代表補佐 片山雅文)

連続女性バラバラ殺人事件(警察庁指定122号)
 平成6年4月3日、大阪府箕面市の山中で、前月から行方不明だった大阪市中央区の飲食店員=当時(38)=のバラバラ遺体が見つかり、翌日には現場近くの雑木林で前年7月から失跡中の同市西成区のスナック店員=当時(45)=のバラバラ白骨死体が発見された。
 2人の勤務先の捜査から、鎌田安利死刑囚が浮上。7年4月に別の窃盗容疑で逮捕して調べた結果、2人と昭和60年6月に奈良県内でバラバラ遺体で見つかった知的障害者施設の入所女性=当時(19)、さらに62年1月失跡の辻角公美子ちゃん=当時(9)=ら計5人の女性殺害を自供した。
 5人目は捜査当局も把握していなかったが、供述通り神戸市西区内でバラバラ遺体を発見、昭和60年5月に家出していた主婦=当時(46)=と確認された。
 鎌田死刑囚は捜査の途中から「身に覚えがない」と否認に転じたが、平成11年、大阪地裁は死刑判決(身代金要求罪は無罪)を言い渡し、大阪高裁も控訴を棄却。17年、最高裁が上告を棄却し、死刑が確定した。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です


[連載]悪女の履歴書.女4人組の女帝と下僕――死刑囚・吉田純子が構築した異常な主従関係
サイゾーウーマン 2013.01.27
 世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。
[第9回]福岡4人組保険金連続殺害事件
 社会を騒がせる重大事件の中には、往々にして類似点が指摘されるものがある。比較的最近では尼崎連続不審死事件の角田美代子、北九州連続殺人事件の松永太、そして今回取り上げる久留米の看護婦4人組による連続保険金殺人の主犯・吉田純子である。これらに共通するのが、主犯による従犯への恐怖や暴力による“洗脳”と”支配”だ。
 平成14年8月、中年女性が伯父に伴われ久留米署に出頭した。ベテラン看護婦の石井ヒト美(当時45歳)だった。ヒト美は警察で夫の殺害を告白する。そこから明らかになったのは、夫殺害はヒト美だけでなく看護婦仲間3人が関わっていたこと、また殺害されたのはヒト美の夫だけでなく共犯看護婦の別の夫も殺害されたこと、2件はいずれも保険金目的の殺害だったという驚くべきものだった。これが世に言う「看護婦4人組連続保険金殺害事件」だ。
 この事件の特異性は、男性2人を殺害したのが女4人組であり、いずれも看護婦という人の命を救うはずの職業にあったことだ。だがそれ以上に世間を驚かせたのが、4人の異常な主従関係だった。その頂点に君臨していたのが吉田純子(当時44歳)である。2件の犯行は純子が主導しており、共犯のヒト美、池上和子そして堤美由紀を完全な支配下においていた。その支配は彼女たちの弱みに付け入り、巧みな嘘と脅迫、時には実際の暴力を伴ったものだった。さらにその支配には“レズ行為”が含まれていたことも世間の注目を浴びることになる。3人は純子を“吉田様”と呼び、まるで召使、下僕のような関係だったという。
■高校2年でついた、金目当ての嘘
 純子は昭和34年福岡県柳川市に生まれた。両親と弟の4人家族。父親は自衛隊を除隊し、自動車修理工になるが、生活は苦しく母親も内職をする貧困家庭だった。母親は弟ばかりをかわいがり、純子を軽んじたそうだ。そして、こうした犯罪で共通することでもあるが、幼少期から貧困へのコンプレックス、金への執着、虚言、見栄っぱりな少女であったという。この小中時代の同級生に、後に純子の一番の子分となりレズ関係となる堤美由紀がいた。しかし、当時2人はそれほど親しい間柄ではなかった。
 高校の看護科に進んだ純子だったが、高校2年の時「友人の妊娠中絶費カンパ」という嘘の名目で級友たちから金を騙し取ることに成功する。さらに翌年も、同様の手口でカンパを集めたが、さすがに2度目は嘘が発覚し停学処分、転校を余儀なくされた。この一件で純子は正看護婦ではなく准看護婦の資格しかとれなかったのだが、2度目が発覚した際も特に反省の態度は見られなかったという。その後、一度は就職したものの再び看護専門学校に進み正看護婦となった。22歳で7つ年上の自衛官と結婚、3人の子どもをもうけた。だが結婚直後から夫婦仲は冷え切っていたという。
■一人目の被支配者・美由紀――実態のない「先生」
 平成元年、久留米に住んでいた純子は8年ぶりに美由紀と連絡を取り、急速に親しくなっていく。美由紀もまた看護婦となっていたが、独身だった。純子は次第に美由紀に異常な執着を示していく。アパートにも足しげく通うだけでなく、自ら望んで美由紀の勤める病院に転勤するようになったのだ。当時美由紀は不倫をしていて、別離を望んでいたが、純子はそこにつけ入った。
「私のバックには政界や警察にも顔が利く“先生”がいる。その先生が全部始末してくれる」
 不倫を清算してくれるという純子の申し出を美由紀は当然受け入れた。純子によれば“先生”は配下の人間が沢山いる大物で、影響力も強くかつ怖い存在でもあるという。だが、実際にはそんな“先生”は存在しない。純子のデッチ上げた架空の人物だったが、どんな偶然か不倫相手は美由紀の前から姿を消した。美由紀は“先生”を信じ、同時に純子をも信じた。その後も純子は何かにつけ“先生”を持ち出し、美由紀を心身ともに縛っていくことになる。
 その後、純子は自分との同居を熱心に勧めるようになる。「(トラブルはまだ続いているから)先生がうちに避難するよう言いよる。暴力団を使ってソープで働かせて東南アジアへ売り飛ばす計画らしか」。美由紀の恐怖心を煽る純子。平成3年、美由紀はついに同居を決意する。純子は当時、夫と子ども3人で高級マンションに住んでいたが、美由紀はここで純子の家族と共に住むことになる。
 同居して1年、不自然な同居に夫が家を出たが、同時に純子は美由紀に対し執拗に肉体関係を迫るようになった。最初は抵抗した美由紀だったが、純子は時に罵倒し、時には優しく口説き、それでも拒否されると今度も“先生”を持ち出した。
「先生が『美由紀は何度も中絶して子どもが産めん。だから(純子と)関係を持たないけん』とおっしゃるとよ」
 そうして2人は関係を持つようになる。だがその行為は、美由紀が一方的に純子に“奉仕”させられる形だった。本来美由紀は同性愛者ではない。よってその苦痛を紛らわすため、行為の前に酒や薬を使用もした。それでも耐えられずに何度か逃走も図っている。その度純子に見つかり連れ戻された。「先生に頼めばあんたの居場所なんてすぐにわかる」と脅された美由紀は、言いなりになるしかなかった。こうして純子の性欲処理に加え、3人の子どもの世話や家事も美由紀の役割となっていった。ある時純子は「(美由紀との間に)子どもができた」という嘘をついたことがあった。だが美由紀は、こんな純子のあり得ない嘘さえ信じるようになっていた。
 その間純子は、美由紀から金を巻き上げ、給与や通帳の管理をするようになる。美由紀の母からも「美由紀が交通事故を起こした」と550万円を奪った。さらに義兄によるクレジットカード窃盗をデッチあげ、美由紀を親兄弟から分断していった。純子による支配、洗脳はこうして磐石なものとなっていくのだ。
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[連載]悪女の履歴書.自作自演の膨大な嘘とストーリーで完全犯罪も――死刑囚・吉田純子
サイゾーウーマン.2013.01.28
■弁護士さえやり込む純子の巧妙な話術
 その後も純子の金に対する執着は高まるばかりだった。が、2人の収入など高が知れている。そんな、平成6年、純子は看護学校で知り合った石井ヒト美がマンションを売ってまとまった金を持っていることを知る。純子は早速接触を図り、ヒト美の夫の不倫トラブルと借金をデッチ上げた。そして“先生”を持ち出し解決を申し出る。結果、ヒト美からトラブル解決金として750万円を騙し取ることに成功するのだ。
 平成8には純子は同じく看護学校仲間だった池上和子に触し、かつて純子と和子がいじめた准看護婦が、「和子のせいで不幸な生活を送っている。和子を恨んでいる」と巧みにトラブルをデッチあげた。そして、その解決金として2,800万円を騙し取った。さらに平成9年、純子は別の同僚看護婦の医療ミスをデッチ上げ、被害者家族への解決金と1,000万円を要求、それを手にしたこともあった。この時のエピソードは純子の“力量”を知る上で興味深い。
 金を払ったものの不審に思った看護婦が弁護士に相談、純子は弁護士と対峙することになったのだが、「刑法の詐欺にあたる。警察に届け出る」と言う弁護士に対し、純子は偽の領収書を出して応酬、激昂して弁護士さえもやり込めてしまったのだ。
 純子は巧妙に嘘のストーリーを作り出す。そして、一見荒唐無稽な嘘を信じさせる話術と強引な迫力、そして一種の説得力さえ併せ持っていた。そんな嘘に騙され、女たちは疑うことなく大金を純子に渡していった。 
 これらの詐欺の共犯は美由紀である。時には積極的とも思えるほど純子の犯罪をサポートした美由紀。美由紀はこれまで何度も「別れたい」と純子に懇願したが、その度に一方的に怒鳴られ、なじられ暴力を振るわれた。「逃げたら先生が末代に渡って抹殺すると言ってるばい」と嘯かれ、純子の詐欺行為にも手を貸すようになっていたのだ。この頃は既に、純子に金銭も心も、そして肉体をも完全に支配されていたのだろう。もし逆らえば罵倒され脅されるだけ。逃げられないという諦めの境地でもあったかもしれない。が、金は全て純子の下に渡り、それはエステや旅行、高級家具、ブランド品などに湯水のように使われた。
■病院からも警察からも疑われない殺人方法
 平成10年、詐欺は殺人へとエスカレートしていく。それが和子の夫・栄治への保険金殺害計画だった。和子は、かつていじめていた准看護士とのトラブルを純子に解決してもらったと思い込み、絶大なる信頼を寄せるようになっていた。そこで純子は和子の夫の愛人話をデッチ挙げ信じこませた。その上で「栄治は和子と子どもに保険金を掛けている。それで交通事故を装って殺そうとしている」と吹き込んだ。半信半疑だった和子だが、架空の人物話や、デッチあげられた物証などから、次第に夫への疑いを抱いていく。
 そして純子、美由紀、和子の3人はついに栄治殺害を決行する。方法は看護婦の知識を活用したものだった。まず睡眠薬で眠らせ、カリウム注射とエア注射(空気注入)で心臓疾患に見せかけるというものだ。1度目は失敗に終わったが、2度目には空気注射を10数回したところ、栄治は絶命した。栄治は病死として処理され、死亡保険金は約3,500万円が降りた。純子はこのほとんどを「栄治の借金を返す」といって持ち去った。それだけではない。栄治の死後、純子は和子に内緒で栄治の会社から約300万円の義捐金、月15万円の遺族年金を取得し、さらに栄治の両親が亡くなり相続問題が発生した際には、1,000万円を騙し取ってもいる。
 そして翌年の平成11年正月、純子はヒト美に再接近を図る。もちろん目的は金だった。5年前、夫・剛の女性関係をエサに純子から金を騙し取られているヒト美だが、純子を疑うこともなく夫とは別居し、3 人の子どもと暮らしていた。和子の夫殺害に成功し、巨額の金を得た純子は、次にヒト美の夫をターゲットにするべく接近したのだ。
 純子はここでも“先生”などの架空人物を登場させ、夫のせいで金を奪われた自殺者がいると信じ込ませた。そして「離婚より未亡人になった方が世間体がいい。生きていたらその後も夫に苦しめられる」と殺害を持ちかけたのだ。
 ヒト美は剛を呼び出し、酒と睡眠薬で眠らせた。その上で純子、美由紀、和子が合流、剛の鼻からチューブを挿入し、胃にウイスキーを流し込んだ。今度は急性アルコール中毒を装う計画だった。剛は運ばれた病院で死亡した。病院からも警察からも疑われることなく3,300万円の保険金が降りた。純子は「剛に騙されて自殺した遺族に支払う」といって保険金を全て奪い取った。
 トラブルをデッチあげ、弱みを握り、金を巻き上げる。さらには殺人の片棒を担がせることで、さらに弱みを握った純子は、3人を支配し、がんじがらめにしていった。だが純子の要求は終わらなかった。2人を殺害後、純子は自身と同じマンションに3人それぞれに部屋を購入させ、自分の身近に置いた。そして3人に自分を“吉田様”と呼ばされ、身の回りの世話の一切をさせるようになる。純子の3人の娘、純子の実母、入院中の父親の世話も3人が分担して担った(ただレズ関係を強要したのは美由紀1人だけだったが)。
■完全犯罪すら成立した保険金殺害
 綻びはこの頃から始まった。純子は次第にヒト美に過大なる要求をするようになる。平成12年、美由紀の実母の預金と保険金に目を付けた純子は、美由紀には内緒で、ヒト美に美由紀母殺害を命じた。当時、ヒト美は亡き夫の浮気の事後処理として4,000万円もの金を必要としていた(もちろん実際にはトラブルなどなく、純子の嘘だったのだが)。純子はそれを利用し、ヒト美を実行犯にしようとしたのだ。だが、美由紀母殺害は失敗に終わる。このことでヒト美は純子に300万円の制裁金を支払わされた。ヒト美の実家の農地を狙おうとする純子。さらに純子はヒト美の息子3人も養護施設に入れろと要求したのだ。
 こうした度重なる要求に、ヒト美は精神的にも追い込まれていった。思い悩んだ末、伯父に相談を持ちかけて、平成13年8月に久留米署に出向き夫殺しを告白したのだ。ヒト美はすぐに逮捕されることはなかったが、警察は内定調査を開始。8カ月後の平成14年4月17日、純子と美由紀そして和子の3人が逮捕された。直前、自殺未遂を図ったヒト美の逮捕は4日後の21日だ。だがヒト美が出頭しなければ、この2件の保険金殺害は完全犯罪となった可能性が高い。
 純子が詐欺などで奪い取った金額は1億2,000万円以上といわれる。それを自らの欲望のまま使い果たした。「人間は嘘をつくが、金は裏切らない」純子は歪んだ自らの信念を実行した。純子以外の3人はごく平凡で、優秀なナースだったという。おそらく純子に出会うことさえなかったら、こんな大それた犯罪を犯すことはなかったのではないか。
 だが純子は自らの欲望の前には手段を選ばなかった。人の弱点を本能的に見極め、僅かな心の隙に入り込み、恐怖と依存心を煽り3人を支配し犯罪行為に引きずりこんでいった。家族や子どもたちからも遠ざけ、孤独にさせて正常な判断能力を奪っていった。まさに洗脳支配の典型である。
■嘘による成功体験が導いた壮大な偽ストーリー犯罪
 純子を見ると嘘つきはドロボーの始めりとはよくいった言葉だと思う。純子は青春時代から数多くの嘘をついてきた。高校時代には野球部のエースや会社社長の息子と付き合っていると嘘の見栄を張った。友人同士の悪口を吹聴し、彼女たちの仲を裂いた。そして自分の立場を優位にし、友人をコントロールした。ニセ中絶カンパ事件も起こした。こうした嘘の“成功体験”が、その後の純子の嘘をさらに加速させたのではないか。
 純子の嘘はエスカレートし、犯罪行為に利用された。その際たる存在が“先生”という架空の人物だった。“先生”を機軸にヤクザの存在をちらつかせ、「夫は浮気して借金まである」「ソープで働かされる」「あんたを恨んでいる人間に復讐される」「医療過誤をした」などと虚偽のストーリーをでっち上げ、ターゲットを追いつめ「解決金」といって金を巻き上げた。自演自作の膨大な、そして一見もっともらしい“ニセストーリー”が純子の最たる武器だった。そして詐欺行為は殺人へとエスカレートしていく。妻たちに「夫が浮気している」「借金もある」「保険金で妻子を殺す計画がある」とニセの不信感を植え付け、弱味を握り、殺人を教唆し実行した。嘘つきはドロボーになり、殺人者となった。そこに罪悪感は微塵もない。
 純子は初公判で罪を認め泣き崩れるというパフォーマンスをした。にもかかわらず、その後、拘置所のヒト美に「自分を無罪にするように」との指令書を送るという離れ業までやってのけた。いろんな意味で大した女である。
 平成16年夏、一審において純子は死刑判決が下された。美由紀は無期、ヒト美は懲役17年だ。そして和子は判決直前に死亡している。逮捕後ガンにおかされていることが判明し、それがもとで死亡したという。純子だけは控訴、平成20年最高裁で死刑が確定した。純子はその後も「自分を唆し、多額の利益を得た人物が背後にいる」と主張し続けているという。
 (取材・文/神林広恵)

 ◎上記事は[サイゾーウーマン]からの転載・引用です
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死刑執行 4看護師が保険金狙い夫2人殺害…TVドラマに
毎日新聞2016年3月25日 11時53分(最終更新 3月25日 12時13分)
 福岡県久留米市の連続保険金殺人事件の首謀者とされた吉田純子死刑囚(56)の死刑が25日、執行された。看護師4人が保険金を狙って夫2人を殺害した特異な事件は、テレビドラマにもなった。被害者の関係者は死刑執行に「人生を狂わされた」とあらためて無念さをにじませた。
 「起きたことは取り返せない。無念を晴らせたという感慨はない」。血管に空気を注射されて殺された平田栄治さん(当時39歳)の上司で、10年以上一緒に仕事をした男性は、死刑の執行を冷静に受け止める。
 事件から18年余り。平田さんは誰よりも早く出勤する真面目な性格だったと振り返り「人生を狂わされた。残された遺族がかわいそうだ」と悔しがった。
 看護師仲間3人は、無期懲役などの判決が確定した。うち1人の親族の男性(63)=福岡県大川市=は「最近は事件を思い出すことも少なくなった。吉田が一番悪い。死刑執行はしょうがないのではないか」と話した。

 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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◇ 2人に死刑執行 津田寿美年死刑囚(裁判員裁判で初の刑執行)と若林一行死刑囚 2015/12/18 岩城光英法相
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