流転 福祉が救いの手(5)支え 罪人の肖像「中日新聞」2012/6/20

2021-06-21 | 社会

流転 福祉が救いの手 
  罪人の肖像  第3部 住所不定、無職 
(5)支え《上》 
 中日新聞 2021年6月20日 日曜日
 15日夕、愛知県豊川市の住宅地。築50年近い木造長屋の借家で、一人暮らしのツヨシがひっそりと亡くなった。享年45。校区ボランティアの一人として毎朝、登校の安全を見守ってきた。 
 梅雨入り間もない5月中旬の平日、午前7時40分。通学路のごみ拾いを終え、Tシャツに汗がにじむ。ツヨシは、ごみ袋から「交通安全」の旗に持ちかえ、踏切前の横断歩道で児童の列に声を掛けていた。「おはようございまーす」「行ってらっしゃいっ」−。 
 10年前、刑務所を出て、ここに来た。2軒隣の元自転車店主、橋本清志(72)=仮名=に誘われ、ボランティアを続けた。日中は、障害のある人が農作業をする就労支援施設に通った。 
 3人きょうだいの真ん中。小学6年の時、ツヨシと二つ上の姉だけが市内の自宅から児童相談所に保護され、中学を出るまで児童養護施設で育った。虐待。2人には知的障害がある。 
 酒に酔った両親は「言うことを聞かない」と殴ったり、食事を与えなかったり。両親は一方で、ツヨシが低学年の時に引き取った三毛猫をかわいがった。手を上げることもなかった。 
 施設から高校に進みたいと言ったツヨシのため、中学の先生が特別支援学校を調べてくれた。が、かなわなかった。「両親があきらめろと言っている」と施設の職員に聞いた。弟は高校、大学へと進んでいった。
 中学の紹介で県内の自動車部品会社に就職したツヨシは、座席を創る工場で働く。手押しの台車に金属部材を載せ、生産ラインに運ぶ「配膳」が主な仕事。職場で一番の重労働だった。
 24時間営業のコンビニもない農村地帯で、ワンルームの社員寮と工場を往復する日々。それでも毎年の慰安旅行を心待ちにし、月給15万円を稼ぐ「正社員」は誇らしかった。最も楽しかったと振り返るのが、この時代だ。「できる仕事がいっぱいあった」
 歯車が狂うのは20代半ば。金銭管理が不得手なツヨシの通帳を預かってくれた担当社員が退職し、1千万円をためた口座がツヨシの意のままになった。パチンコと酒にはまり、抑えが利かない。蓄えは底をつき、消費者金融の催促が職場へ。12年働いた会社を辞めざるを得なくなった。
 職を失うことは居場所をなくすのと同義だった。16年ぶりの実家暮らし。寮付きの再就職先を決めて出て行くつもりだったが、学歴も壁になり、思うように見つからない。「働いて生活費を入れろ」と迫る両親に我慢できず、あてもなく3か月で家を飛び出した。
 失業手当が出る間は千円台で夜を越せる漫画喫茶に入り浸り、お金がなくなれば神社の軒下を借りる。足代わりに無施錠の自転車を盗むようになったのは、そんなころ。前科という悪条件は職探しのさらなる足かせになる。頼れる人も機関も思いつかず、同じ過ちを重ねて刑務所に入った。
 服役を終えた10年前。ちょうど、障害や高齢で福祉の手が必要な出所者を支援する社会福祉士などが全国の刑務所に置かれつつあった。両親が亡くなり、姉が一人で暮らす豊川市への帰住をツヨシが希望し、刑務所と連携した市社会福祉協議会が生活保護から借家、身の回りの世話をするヘルパーまでを手配した。校区ボランティア団体の代表でもある橋本が、ツヨシの「見守り役」を買って出た。
 ただ、この十年、順風満帆だったわけではない。3年前、またツヨシが逮捕される。寺から現金を盗んだ疑いだった。  (敬称略)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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自暴自棄 裏腹の一言(4)苦闘  罪人の肖像 「中日新聞」2021/6/19
故郷 「罪人の肖像」 第3部 住所不定、無職 2021/6/17


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