gooブログ編集部さんがお知らせくださった(「kanayame_47 さんが 2017年02月04日 に書かれた記事をお届けします。」)一年前の本日の記事。以下。
* 母が誤嚥性肺炎で入院したのが、1月20日。その後、〈来栖の独白 2017.2.4 Sat 〉
母が誤嚥性肺炎で入院したのが、1月20日。その後、〈来栖の独白 2017.2.4 Sat 〉〈来栖の独白 2017.2.4 Sat 〉 母(92歳)が誤嚥性肺炎で入院したのが、1月20日。その後、2月1日の医師の話では「数値は落ち着いている」ということだった。「万が一の場......
〈来栖の独白 2018.2.4 Sun〉
この1年というもの、私にとって「一年前の今頃は・・・」と振り返るばかりの明け暮れだった。1年前の本日、岡山から帰名し、2月24日、母が亡くなった。
15年前、アルツハイマー病により些細な事件を起こし、独居は不可能となり、施設に入居。
5年前には、転倒により寝たきりとなった。食事も受け付けなくなり、胃瘻に。徐々に言葉も発しなくなった。しかし、こちらの云うことは理解できているのでは、という気がして、私はそれまで通り、母を見舞い、話をした。
食べることの大好きだった母が、食べることがなくて生きている。そういう「生」を、どのように捉え、理解したらよいのか、考えずにはいられない日々。そんななかで私が直感的に理解したのは「母は、私の感謝の気持ちを受け止める、受け止めてくれるために生きてくれている」ということだった。
私は「私の人生の幸せは、全部お母さんのお陰。お母さんは、わがままな私の望み通り、私の希望する大学へ、苦労の中、行かせてくれた。お母さん、ありがとう」と、何度も何度も(会えば必ず)云った。母の目から、すーっと涙が流れたこともあった。
この頃になってもなお、私は、母のことを思わない日は無い。いとおしくてならない。感謝が尽きない。愛おしい人。どうぞして、あの世では、夫に甘え、幸せで、と願わずにはいられない。
故人を偲ぶ時間、穏やかに過ごされます様に。
何でも私の云うことを聞いてくれる母であり、気むずかしい娘(私)でした。「やり直せるものなら」と考えてしまいます。「やり直せるものなら」母に、優しくしてあげたかった。
としちゃん、拙著をお読みくださって、もう一度「ありがとう」です。