37歳 不屈の精神力
節目の1本を放った大島洋平選手は、一塁ベース付近で記念のボードを頭上に掲げてから、周囲に頭を下げた。「『やったー』という感じ。届いてほっとしたのが正直なところ。思い返すとあっという間だった」。表情を大きく崩すことはなかったが、喜びをかみしめていた。
社会人の日本生命からドラフト5位で2010年に中日に入団。母・靖子さん(63)は「日本生命なら引退後も働ける。本当にプロでいいの」と心配した。09年春に真世さんと結婚し、長男・慶士君が生まれて間もない。迷いは生じたが、挑戦したい憧れが勝った。「だめならしょうがない」。子連れで入団会見に臨み、地元球団のユニホームに袖を通した。
1年目から試合に出場した中で、先輩の練習量に度肝を抜かれた。その一人が、主に2塁で主力だった荒木雅博内野守備走塁コーチ(45)。シーズン終了後から連日のようにナゴヤ球場へ通い、マシン打撃などに4時間。年明けからともにした熊本県内での自主トレでは練習後に、3333段を誇る日本一の石段を上る。
「荒木さんでもここまでやるのか」。膨大な練習量に心を動かされ、試合のない日も体を動かしてきた。今も、365日で「何もしない日」はシーズンオフの10日間ほどだ。
「荒木さんでもここまでやるのか」。膨大な練習量に心を動かされ、試合のない日も体を動かしてきた。今も、365日で「何もしない日」はシーズンオフの10日間ほどだ。
2019年には肋骨を骨折しながら試合に出続けた。昨年は右膝に死球を受け、神経が切れかけた。全治2、3か月と診断されながら1か月弱で戻ってきた。黄金期のチームでもまれ、「年齢を重ねるたびに覚えた不安と怖さとの戦いだった」というプロ14年間。不屈の精神力で戦い続けた。
37歳。気づけば、チームの野手最年長。責任感も芽生えた。先輩から練習の重要性を感じ取れたから、大記録にたどり着けた。若手にも願う。「僕以上にポテンシャルを持っている選手はいる。うまくなるために、常にアンテナを張っておいてくれたらいい」
37歳。気づけば、チームの野手最年長。責任感も芽生えた。先輩から練習の重要性を感じ取れたから、大記録にたどり着けた。若手にも願う。「僕以上にポテンシャルを持っている選手はいる。うまくなるために、常にアンテナを張っておいてくれたらいい」
(永井響太)
○上記事は[中日新聞]からの書き写し
ーーーーーーーーーー
〈来栖の独白〉
大島洋平選手、同じ「M区」というのは嬉しいけれど、もしそうでなくても応援しています!
大島洋平選手、同じ「M区」というのは嬉しいけれど、もしそうでなくても応援しています!