広島原爆の日
市長「自国第一主義」に懸念 核廃絶世界に
毎日新聞2018年8月6日 11時03分(最終更新 8月6日 13時34分)
広島は6日、米国による原爆投下から73回目の「原爆の日」を迎えた。平和記念公園(広島市中区)で平和記念式典があり、広島市の松井一実市長は平和宣言で「自国第一主義」の台頭、核兵器の近代化などに懸念を表明。採択1年を迎えた核兵器禁止条約の発効に向け、日本政府が役割を果たすよう求めた。一方、安倍晋三首相は、日本が参加していない禁止条約には昨年に続いて言及せず、核の保有国と非保有国の「橋渡し」に努めるとした。【高山梓】
式典には被爆者や遺族ら約5万人が集い、過去3番目に多い85カ国の駐日大使らと欧州連合(EU)代表部が参列。核保有国5大国は中国を除く米仏露英が出席し、米国からは初めてハガティ駐日大使が出席した。参列者は原爆が投下された午前8時15分に合わせて1分間黙とうした。
松井市長は平和宣言の冒頭「73年前、今日と同じ月曜日の朝。あなたや大切な家族がそこにいたらと想像してください」と呼びかけ、被爆者が減少する中、その証言に耳を傾ける重要性を強調。被爆者と連帯した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の昨年のノーベル賞受賞に触れ、「被爆者の思いが世界に広まりつつある」と指摘。今年6月の米朝首脳会談を踏まえ「朝鮮半島の緊張緩和が平和裏に進むことを希望する」とした。
一方で、米トランプ政権などを念頭に「世界で自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められるなど冷戦期の緊張関係が再現しかねない」と強い懸念を表明。互いの恐怖に基づく核抑止論を批判し、「理性」に基づく核廃絶を訴えた。
禁止条約を「核兵器のない世界への一里塚」と位置づけ、批准が14カ国・地域(50カ国・地域の批准で発効)にとどまる中で日本政府に「役割を果たしてほしい」と訴えた。署名や批准を直接求める表現はなかった。
これに対し、安倍首相はあいさつで「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』への努力は我が国の使命」とする一方、「近年、核軍縮の進め方について各国の考え方の違いが顕在化している。核兵器国と非核兵器国の双方の協力が必要」と強調。核拡散防止条約(NPT)の下で「非核三原則を堅持し、橋渡しに努める」と述べた。
また、グテレス国連事務総長のメッセージを中満泉・軍縮担当上級代表が読み「世界は(広島の人々の)リーダーシップを引き続き必要としている」と訴えた。
松井市長と遺族代表は式典で、この1年に死亡が確認された5393人の名前を記した原爆死没者名簿を原爆慰霊碑下の奉安箱に納めた。名簿115冊の記載人数は計31万4118人となった。全国の被爆者健康手帳所持者は今年3月末で15万4859人と過去最少で、平均年齢は82.06歳。次世代にどう被爆体験を伝えていくかが課題だ。
こども代表の広島市立牛田小6年の新開美織(しんかい・みおり)さん(12)と、同市立五日市東小6年の米広優陽(よねひろ・ゆうひ)さん(12)は「平和への誓い」を読み上げ、「73年前の事実や被爆者の思いを伝える伝承者になる」と決意を述べた。
◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2018.8.6 Mon〉
本年も、「原爆の日」が巡ってきた。73回目だそうだ。平和記念公園(広島市中区)で平和記念式典が執り行われた。
誰も、誰一人、原爆を投下したのはアメリカだ、と言わない。悲惨を伝えたいだけ。一般の犯罪なら、加害者を特定し、被害の責任を取らせるが、こと原爆に関しては、日本の誰もそういうことをしない。それのみか、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と、まるで原爆投下は日本人に責任がある、日本人が悪いかのように云う。
この場でもし「原爆を作り、実験として日本(広島)に投下したのは、アメリカである」と云ったなら、少しはインパクトがあり、非核に貢献するのではないか。
日本人は儀式・祭礼が好きだ。なんでも、儀式にして終わらせる。原爆でさえ、儀式(きれい事)で済ませてきた。
その体質を受け継ぐのが、「子ども代表」だ。きれい事(儀式)では、非核は実現しない。だから、73年、核保有の時代が続いてきた。このような大国のエゴが延々と続いてきた。子ども代表は「伝承者になる」と決意を述べ、核廃絶悲願が永遠に続く(核廃絶が達成されない)かの予感をうかうかと露呈する。
今日のような「原爆の日」祭礼を続けていては、核を容認しているのと全く変わらない。日本人の儀式・祭礼好きには辟易する。
そんな時、決まって私に想起されるのはイエスの言葉だ。平和とは、祭礼の中で求められるようなきれいごとでは実現できない。・・・イエスの云う「平和」は、所詮、この世に於いては現れないのではないか。
ルカ 12:49〜53
49 わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。
51 あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
52 というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、
53 また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう。
マタイ 10:34~39
34 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
36 そして家の者が、その人の敵となるであろう。
37 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
このようなイエスであれば、最期は磔刑より他にはなかったのも、道理かも。
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◇ 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」自虐のぬるま湯から出て日本が主張すべきこと 阿比留瑠比 2013-08-08
◇ 『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著
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でも、そんな大好きな夏の時期ですが、ひとつだけ、いつも鬱とおしさを感じることもあります。
それは、広島・長崎での原子爆弾慰霊式典と終戦記念日の式典のことです。
毎年毎年、同じような『戦争の反省』『反戦の誓い』といったマニュアルどおりの文言を繰り返してるだけです。
しかも、その文章には、こういう惨事の原因は日本のほうに責任が有ると言ったニュアンスが含まれています。
もちろん、私は、原子爆弾や空襲の犠牲者には心から哀悼を捧げます。
しかし、この件について自虐的態度に満ちた欺瞞的な儀式には耐えることができません。
よく、小中学校の修学旅行で広島の原爆慰霊碑をおとづれ、児童生徒に『過ちは繰り返しません』とか言う言葉を朗読させる学校が有るそうです。、、おかしいです!!
まあ、私の母校の修学旅行は『伊勢神宮』お詣りと伊勢湾めぐりでした。(さいわいだったと思います)
広島・長崎に対する原爆投下は、あきらかな『国際法違反の戦争犯罪』です。
そのことを、与野党の政治家は誰もおっしゃらないですね。あまりにも自虐的だと言うほかありません。
◎広島・長崎の原爆投下日や終戦の日で教訓としなければならないのは、将来、いかなる外国軍にも日本の領海・領空・領土を侵犯させないこと、そのための現実的な防衛軍事政策を考究すべき事でしょう。
いったい、いつまで、あんな自虐的な『不戦の誓い』を繰り返すつもりなんでしょうか?