本人訴訟

2011-01-13 | 社会
高額費用を敬遠?「弁護士なし訴訟」増加
  司法制度改革によって弁護士の数が10年前の約1・8倍に増加したにもかかわらず、原告または被告に弁護士が付かない「本人訴訟」が地裁の民事裁判に占める割合が14ポイントも増え、73%に上っていることが最高裁の集計で明らかになった。
 国民が気軽に弁護士に依頼できるようにするという司法制度改革の理念とは逆行する事態で、最高裁の司法研修所は、本人訴訟を巡る初の調査に乗り出す。
 2000年に約1万7000人だった弁護士は、昨年12月に初めて3万人に達した。競争が生まれることで弁護士費用が下がり、依頼がしやすくなると予想されていた。
 ところが、最高裁の集計で、全国の地裁で行われた民事裁判のうち、本人訴訟が占める割合が00年の59%から、昨年(1~10月)は73%(13万9491件)に増加したことが判明。訴訟が定型化している過払い金返還請求訴訟が増えたのが大きな要因だが、同訴訟などを除いても、本人訴訟の割合は10年前と同じ約6割で推移していた。
 背景には、弁護を依頼する際の着手金だけでも数十万円かかるなど、国民にとって弁護士費用が依然として高額で、敗訴するリスクも考慮すると、気軽には頼みにくい状況がある。インターネットで提訴の方法などの情報を集めやすくなり、自分で裁判を起こそうと考える人が増えたことも一因と見る法曹関係者も多い。
(2011年1月12日19時01分  読売新聞)
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〈来栖の独白〉
 「本人訴訟」という言葉を私が知ったのは、三浦和義氏によってだった。メディア相手の夥しい民訴を、拘置所の居房から、弁護士を付けずに矢継早に起こして8割以上に勝訴した。
 氏は日本人離れした感性で、「訴訟とは、どろどろしたものではない。合理的に割り切るものだ」と言った。「相手の云う事が正しければ、『あ、なるほど、そうなのか』と感心するし、敗けても気持ちがいい」、「相手が分かってくれさえすれば、負けて(額を落として)あげるんです」とも言った。
 その明快な人の自裁が、私には永遠の謎だ。

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