阪神・淡路大震災の「語り部」<奪い合えば足りぬ。分かち合えば余る>

2008-01-17 | 社会

中日春秋
2008年1月17日
 読み出したらやめられなくなった。兵庫県の「人と防災未来センター」のホームページにある「震災を語る」コーナー
▼同センターで阪神・淡路大震災の「語り部」を務める人たちのインタビュー集だ。体験者だけに、万が一の備えに関する話も具体的。たとえば長岡照子さんは非常持ち出し品はベッドなどにくくりつけておくよう勧めている。枕元に置いておくだけでは<あまり意味がありません。あの重いテレビが2、3メートルも飛ぶんです>
▼その長岡さんが<フライパンの中でウインナーを転がしたよう>と表現する大震災から、きょうで十三年。語り部の話には、無論、悲劇の記憶も生々しいが、引き込まれるのは、多くが、震災で「失ったもの」より「得たもの」について語っているからだ
▼久保惠三郎さんは、そんなはずはないのに「余っている」と見知らぬ老夫妻がくれたおにぎりのことを忘れない。夫婦で半分ずつ食べた、それの<美味(おい)しかったこと>。誰が立てたか、震災現場には、こんな言葉を書いたものがあったそうだ。<奪い合えば足りぬ。分かち合えば余る>
▼<正直いまでも喪失感は残っています。でも、それに匹敵するほど学んだこともたくさんありました>と、水口福弘さんは語る。それは、いざとなれば、人とは助け合えるものだという実感。心のどこかにあった「他人は疑ってかかれ」という考えは消え去ったという
▼防災の教訓は、言うまでもない。けれど、あの日、あの地で起きたことが発し続けているメッセージは、ただそればかりではない。
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「震災を語る」http://www.dri.ne.jp/shiryo/katari.html


4 コメント

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Unknown (rice_shower)
2008-01-17 15:21:43
実家が西宮なので、両親が被災しました。 と言っても、未だにどう云う訳だか分からないのですが、物理的被害はほとんどゼロでした。(結構古い建物の“がた、ゆるみ”が、偶然にも地震の揺れを吸収してくれたのか、或いはうまい具合に共振したのか。 自転車で5分の阪神高速が倒壊するくらい揺れたにも拘らず)
当時一番印象深かったのは、山口組が何時あるやも知れぬ抗争の為の食糧備蓄を全て周辺住民に放出したり、渡辺五代目自ら炊き出しをやったり、動けないお年寄りのために若手組員が給水車に並んだりしていたことです。  
被災者達は、自分がいっぱいいっぱいの状況に有りながらも、他人の不幸を心底思いやり、お互いに支え合っていました。
あの時だけは性善説を信じることが出来ました。
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Unknown (ゆうこ)
2008-01-17 23:24:07
 お家の損傷がなくて幸いでしたね。
>当時一番印象深かったのは、山口組が
 心がほっこりと温かくなるお話をありがとうございました。田中森一さんの話を思い出しました。田原総一朗さんが「それほど魅力的で、能力があれば、何もヤクザになんかなることはない。才覚を生かして、表の世界で成功することだってできたはずです」と問うたのに対して、「ひとつは、人より強い義侠心。宅見組長がまさにその例ですが、あの世界には、人のため、世のために何かしたいという気持ちが人一倍強い人間が大勢いる。とくに親分にまでなった人には多い。彼らの義侠心を満たせる道は、あの世界しかないという理由です。サラリーマンになったら、何か人のためと言っても、精神的に応援するだけ。体を張ってまではできない。 あるいはおカネ。・・・・勤め人の薄給では限度がある。・・・・」等々、話していますね。人間の性、善なるものかも♪
 (私事ですが、1.17は、弟が「確定した日」です。大震災の1年前の同日に確定しました。その年には同日にアメリカで震災がありました。心波立つ日付です。)
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Unknown (rice_shower)
2008-01-18 05:06:43
>私事ですが、1.17は
人智を超えた“何か”は確かに有るのですね。

もう一つ想い出しました。 震災から一月くらい経った頃だったでしょうか、被災者を招待する落語会が催された。 ある女性落語家は、少し迷ったが枕で被災者を“いじって”みた。 するとこれが大受け。(さすが関西人) 「この人達は笑いに飢えていたんだ...」と知る。

-工場から油にまみれて家路をいそぐ人たち、災害で家を失った人たち、親兄弟に先立たれた人たち、
そういう人たちに、たとえひとときでも、ほほえみとやすらぎを与えてあげられる者、そういう者たちのことを喜劇役者といい、そうよばれる権利がある-(マルセル・パニョル)
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Unknown (ゆうこ)
2008-01-18 08:34:56
 ほほえみ・やすらぎ・喜劇役者。やさしさという一本の糸で繋がった言葉ですね。

>枕で被災者を“いじって”
 核になる部分に触れて・・・やさしく“いじった”のですね。
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