どれだけの曲が弾けるだろう。

2007-10-19 | 日録

 歯医者さんでの治療中、BGMで、ショパンのNocturne No.1変ロ短調が流れた。途端に、家にいる気分になった。家で、さっきまで(曲番は違うが)弾いていたNocturne。バッハに替わって、この1年はショパンを聴き、弾いてきた。ショパンとダン・タイ・ソンとに出会ったことで、私は変わった。バッハを稽古していたときより、腕が上がったようにも感じる。ショパンには、そうさせる深さがある。

 先日FM.NHKで花房晴美さんが「ショパンはポーランドという国に生まれたわけですから。単なるロマンティストではない」と話していた。「ロシアの人がショパンを弾くのもおかしなものだし、日本人が弾くのもなおさらおかしい」。

 ヴェートーベンの音楽によくいわれるが、「苦悩を突き抜けたところに」ショパンの「華麗」も「しなやかさ」もある。玄冬の後に春があるように。どこまでも、深い。だから、ショパンには、春に弾いても冬に弾いても、心にしっくり来る底知れない魅力がある。

 先日、次男が「エレクトーンで音源を取らせて」と言って、やってきた。廃校になる小学校の記念の歌を作曲中だという。ひとしきりエレクトーンを相手にしていたが、やがてピアノの音が聞こえてきた。シンプルで如何にも現代的な曲。「何?」と尋ねたら、「ギロックだよ」。GILLOCKは1917年、アメリカ生まれの作曲家。息子の弾いていたのは「Forest Murmurs」という曲。森のざわめき。いい曲。

 ここ数年私は、今後の人生の中でどれだけの曲が弾けるだろう、と考えることがしばしばだ。クラシックだけでも、素晴らしい曲が星の数ほどもある。その中、弾いて楽しむ曲数は、ほんの数パーセントにすぎないだろう。限りある人生であることを感じないではいられない。


1 コメント

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少ない曲 (介護員)
2008-07-13 20:25:17
しか弾けない♪人生なんてア~短い時間、俺が、弾ける人なら、例えばモシュコフスキ―のコンチェルトだの、チヤイコフスキ―のコンチェルトNo.2だとか死ぬ迄一度弾いて‥ブラボ―て喝采浴びたいとか 欲深い妄想起こしそうだ‥

姉妹わ神を賛美する為に奏楽の賜物が与えられましたその通りよき管として。
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