■ 山口県光市母子殺害事件差し戻し審 2007-05-25 へのコメント
(被告と弁護団を配慮なさって円様からご要望があり、円様のコメントを削除しています。=来栖)
Unknown (DH)
2007-06-02 00:50:54
こんばんは。
円様:
仮に傷害致死に止まるとすれば、どのような刑が相応しいのでしょうか。一桁の有期刑でしょうか。或いは弁護側は精神年齢が12歳程度と主張しているようですから、そもそも刑事責任能力に欠けると見做されるべきなのでしょうか。
いずれにしても、お二人の命は何と軽いことか、と思います。被告の処遇とは別に、犯罪被害者(遺族)の救済・人権擁護にもっと積極的に取り組むべきだと思います。
被害者遺族を批判するのは自由だと思いますが、我々が本村氏について知っている(と思っている)こともマスコミを通じてのことなのですから、本当に彼が言っているのか否か、どのような文脈、前後関係であるのか等、検証が必要だと思います。
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傷害致死の法定刑 (春霞)
2007-06-16 06:39:43
横レス失礼します。法律問題が問われているので、円さんやゆうこさんに代わって、答えさせて頂きます。こちらでDHさんと会うとは思ってもみませんでしたが。
>DHさん
>仮に傷害致死に止まるとすれば、どのような刑が相応しいのでしょうか。一桁の有期刑でしょうか。
(傷害致死)
刑法第二百五条 身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。
行為当時の刑の上限は15年の有期懲役ですから、2人死亡させたので併合罪加重があるとしても、3年以上20年以下の懲役の範囲内となります。なので、「一桁の有期刑」の可能性もあることは確かです。
このように傷害致死罪であれば、死刑になる可能性はゼロです。弁護人であれば、傷害致死罪の可能性があるならば、当然、主張するべきです。
>弁護側は精神年齢が12歳程度と主張しているようですから、そもそも刑事責任能力に欠けると見做されるべきなのでしょうか。
知能が未発達な精神薄弱となれば責任無能力(刑法39条1項)となる場合があります。精神年齢があまりに幼いのであれば、限定責任能力(刑法39条2項)として刑の減軽することになります。
>いずれにしても、お二人の命は何と軽いことか、と思います
人を死亡させた場合、客観的な行為態様の違い、殺意があるか否かで殺人罪か傷害罪か異なってきます。条文が異なれば、量刑が異なるのは当然です。法とはそういうものです。
命の重さは、刑法の量刑で決まるのでしょうか? 死刑にしないと命が軽いと思うのですか? 命は、命として尊重するからこそ重いのであって、量刑で決まるものではないと思います。
命は、命として尊重するからこそ重いのであって、量刑で決まるものではないと思います。
実に、おっしゃる通りだと思います。激しく同意、です。
>死刑にしないと命が軽いと思う
世の風潮かもしれません。が、ここに新たな問題も生じているように思います。例えば飲酒運転で死亡させられた親御さんの気持ちを酌んで罰則が厳しくなりましたが、弊害も出ているのではないでしょうか。捕まるのが怖くて逃げてしまうというケースです。看過することのできない問題だと思います。無論、親御さんの胸中は察するに余りありますが。
>命は、命として尊重するからこそ重い
今、こういう見極めが大切ではないですか。
エントリで引用して頂き、ありがとうございます。
幾らか関連する問題として、ヤメ記者弁護士さんのエントリがありましたので、紹介しておきます。
「橋下弁護士の口車に乗って光市事件弁護団の懲戒請求をしたあなた、取り下げるべきだとアドバイスします!」
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/0aae66140bb428ac787e6169890fd64b
このエントリによると、橋下弁護士がテレビの番組で、安田弁護士を非難して、誰でも懲戒請求できると述べたようです。しかし、最高裁平成19年4月24日判決によれば、事実上又は法律上の根拠もないのにあえて懲戒請求したりすると、違法な懲戒請求として不法行為責任が生じる可能性があります。なので、懲戒請求の取り下げをお勧めするという、エントリ内容です。
煽る橋下弁護士も悪いのですが、煽られてしまう市民も悪いです。もっと冷静さが必要です。
>清爾さん
>激しく同意、です
ありがとうございます。付け加えるならば。法律判断は、刑事事件以外でも民事事件なら、失われた命を損賠賠償の金額としてはっきり決めなくてはいけません。割り切らざるを得ないのです。でも、命の重さは金額で決まる……なんて誰も思わないはずです。
>結城さん
>春霞さんの書かれたものも、拝見させて貰いました。
ありがとうございます。
>罰則が厳しくなりましたが、弊害も出ているのではないでしょうか
>捕まるのが怖くて逃げてしまうというケースです
そうですね、逃げなければ命が失われずにすんだ例もかなりあったかもしれません。飲酒の場合、逃げて水を飲んで誤魔化す例がかなり増えたと聞いています。厳罰化の弊害です。厳罰化一辺倒は止めるべきだと思います。
>割り切らざるを得ないのです。でも、命の重さは金額で決まる……なんて誰も思わないはずです。
全く、春霞さんの仰るとおりと思います。
春霞様:
丁寧な御解説ありがとうございます。コメントを頂戴するとは思ってもみませんでした。
>死刑にしないと命が軽いと思うのですか?
以前こちらのブログの別記事に対するコメントにおいても述べたように、この事件のF被告に関して、必ず死刑に処すべきだ、とは主張しておりません。
ところで、本村氏の発言についても「ただ感情的に極刑を求めている」として批判的に受け止めている方々もいらっしゃるようですが、氏は次のようにも仰っています。
>たとえ、殺人という度の過ぎた犯罪だったとしても、犯罪の内容や加害少年の事情を考慮して、場合よっては、その寛容さを貫いて更生の機会を与えることは必要かもしれません。
>たとえ、少年のときに重大な犯罪を行ったとしても、きっちりと反省し、更生して立派な大人になり、社会に貢献できる人間になれば、社会にとっては利益です。そう考えると、被害者にも少年法の存在は理解できるものになります。(「少年犯罪被害者遺族」中公新書ラクレ 2006年12月)
本村さんは、被告が真人間になってもらいたい、そうして死刑を執行してほしい、と言っておられたように思います。
被告が本当に更正したなら、死刑ではなく無期に減刑してもいいと、考えを変えられたのでしょうか。
本日3日間の公判を終えて本村氏は「反省して死刑になってほしい」との趣旨を云っていました。反省しないでの死刑には意味が無い、ということでしょう。
1審の弁護人が「争わない。」と述べ、調書を被告に差し入れもせず見せもせず「証拠採用に同意。」してしまったから、こういう間違いになってしまったというのが真相です。
おそらくずっと傍聴している本村さんは気付いています。だからこそ焦って世論を味方にして潰そうとしているのでしょう。
しかもわれわれマスコミは今そのことを報道するのが怖くてできません。
差し戻し審とはいえ、実質的には、この裁判はやっと始まったばかりというところではないでしょうか。被告人は謄写コピー代にも事欠き、調書も読めず、自分がどのような状況に置かれているかも把握できなかったということです。安田弁護人の話や弁論を読むほどに、報道されていることと事実との乖離に驚くばかりです。
「刑事裁判は死んだ」と言った安田さんは「最高裁判決と弁護人バッシング報道」のお話しの最後で、次のようにも言っています。
そういう私が、今では、理性を取り戻せと言わざるをえないようになっています(笑)。冷静になろうということをみんなに呼びかけざるをえなくなってしまっています。司法なんていうのは国家の暴力装置以外の何ものでもないんだからあんなものはなくてもいいんだと言っていた私が、いやあ、司法は大切だ(笑)、というようなことを言い出しました。・・・やっぱり理性を取り戻せと、ほんとうにシステムをシステムとして立ち直らせる以外ないんじゃないか、可能性がないにしてもあるにしてもやらざるをえないと、明日の判決を前にして思っています。
来栖様のこのエントリーへのコメントと一字一句異ならないコメントを拙ブログにも投稿されていますね(母子殺害事件、差し戻し審始まる 2007/07/10 20:57)。
拙コメントでも申し上げましたが、仰っていることが真実であると御自身が確信なさっているのであれば、やはり報道すべきだと思いますが。