『靖国』上映中止 自主規制の過ぎる怖さ。日教組の集会、ホテルの拒否と同じではないか。

2008-04-02 | 社会

【社説】中日新聞 2008年4月2日

 靖国神社をテーマにしたドキュメンタリー映画の一般公開が中止になった。表現の自由が過度な「自粛」で踏みにじられた格好だ。大事なことを無難で済ます、時代の空気を見過ごしては危うい。
 遺族が参拝する。軍服の人々が行進する。日の丸が振られる。星条旗まで掲げる人がいる。「魂を返せ」という韓国や台湾の遺族もいる。八月十五日の靖国神社の光景である。
 中国人監督が終戦記念日を映像に収め、ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」を制作した。東京と大阪で公開される予定だったのに、中止となった。その経緯に重大な問題がある。
 映画制作に文化庁所管の独立行政法人が助成金を出しており、これを週刊誌が取り上げた。政治的な宣伝意図を有したものは、助成金の対象にしないと、この法人が定めているからだ。
 そして、保守色の強い自民党の衆院議員が、助成金拠出の妥当性を問い合わせた。だが、法人側は外部の専門委員会が「適正」と判断し支出を決めたと、回答した。
 では、なぜ中止となったのか。ある映画館の経営会社の説明は、こうだ。街宣車が別の映画館に来た。「何で上映するのか」という電話もあった。別の映画館は、商業ビルの店子(たなこ)だったから、「迷惑になる」と心配した。さらに別の映画館では、上映を妨害するような被害が起きない限り、警察が動いてくれないだろうと考え、中止を決めた-という。
 中国人監督だから、内容は反日的だったろうか。映画を見た人によれば、ナレーションもなく、その場の生の音声を拾い、淡々と「特別な一日」を中心に記録したものだったという。
 国会議員向けに試写会も開かれたが、火をつけた議員自身が「上映の是非を問題にしていない」と述べている。上映中止は、日教組の集会で、都内のホテルが街宣活動などを恐れ、使用を拒否したのと、背景は同じではないか。
 自由の首を絞めているのは誰なのか。メディア側に問題はないか。映画の関係者に過剰反応はないか。議員もむろん言論の自由には注意深くあるべきだ。自主規制という無難な道を選ぶ、社会全体が自縄自縛に陥っていないか。そこに危険が露(あら)わに見える。
 権力だけが言論を封じるのではない。国民の自覚が足りないと、戦前のセピア色が急に、生々しい原色を帯び始める。


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