『アラブの格言』曽野綾子著 新潮新書 2003年5月20日発行

2016-10-21 | 本/演劇…など

〈来栖の独白2016.10.21.Fri〉
 先日から曽野綾子さんの『アラブの格言』(新潮新書)を読んでいる。私のような者にとって、実に愉しく、啓蒙の書である。昨日も、名フィルサロンコンサート会場に向かう電車の中で本を広げ、衝撃的でもあり、夢中になった。以下、抜粋。
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p32~
 おそらく我々日本人にとって、もっとも、不安な点は、アラブ諸国の土地に住む人たちが、近代国家としての意識を日本人と同じように持っているかどうかである。もちろんオリンピックやサッカーなどの大きな試合の時には、彼らは一つの旗、つまり国旗のもとに力を結束する。しかし、我々と同じような国家の概念で統一されているわけではないと思われる。
 私流にその理由を述べれば、彼らにとって大切なのは、部族の概念なのである。同じように乾いた土地に発生した一神教であるキリスト教の新約聖書が側面から、その答えを出してくれている。『マタイによる福音書』(5章43~44節)には次のような箇所がある。
 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい』
p33~
 この隣人というのは、ヘブライ語では「レア」という語が当てられているようである。レアは単なる隣に住む人でもなければ、会社で隣席に座る人でもない。厳密に同部族、同宗教に属する人々のことである。同部族、同宗教以外とは通婚もせず、対立するのは当然と思われている社会にあって、イエスは敵を愛し迫害する者のために祈れと言ったのである。これほどの価値の破壊と混乱をもたらした張本人は、磔(はりつけ)の刑にでもしなければ到底収まらなかったであろう。(略)
p34~
 (略)
 それならば、電力の恩恵を受けない土地では、どのような支配体制が行われているかというと、族長支配なのである。
 アメリカ人の99%も日本人の多くもそうした族長支配の体制を、「遅れている」とか、「封建制度の悪習」とかみるようだが、民主的な選挙をしようにも、電気もなく、通信手段もなく、テレビもなく、交通手段も原始的なままとすれば、形ばかりは民主的投票のシステムを採用したとしても、充分にそして安全に機能しないから、現実の政治は、依然として封建的族長政治の形態を取り続けるより仕方がないのである。そのことを我々は理解しなければならないし、非難してはならないと思う。ここに述べられる多くの格言は、まさに民主的社会形態こそ最上のものと勝手に考える先進国型の思考との落差を浮き立たせるものだ。
 アメリカも正しい。しかしアラブも正しいのである。相対する立場の二者が共に正しいということがあり得る。ということは、すでに聖書が『マタイによる福音書』(20章1~16節)の「ぶどう園の労働者」という物語の中で取り上げているところである。
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〈来栖の独白〉続き
 この「ぶどう園」の物語が、私は昔から好きだった。生真面目な人々の意表をついていたからである。真面目に長時間働いた人は(職に就けている人は)賃金を多く貰えるが、職もなく、或いは「怠けている」人は収入がない・・・こういった几帳面な論理をあざ笑うメッセージであるからだ。イエスは云う。「払ってやりたいのだ」と。
 聖書は、日本のような所に暮らす人々の感性や価値観を裏切る、或いはあざ笑うようなメッセージで溢れている。
 「命は地球よりも重い」、こんなことは、聖書は云わない。「命を惜しむものは、それを失う」という。また、「平和」なんて、イエスにかかれば次のようになる。「わたしが来たのは平和をもたらすためではない。分裂だ」。

51 あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
52 というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、
53 また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。

 以下にマタイによる福音書も挙げておきたい。

マタイ 第 20 章
1 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
2 彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
3 それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
4 そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
5 そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
6 五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
7 彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
8 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
9 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
10 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
11 もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
12 言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
13 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
14 自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
15 自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
16 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。

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