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皆様、こんばんは。
事務局です。
24日の一宮市内は、雲が多いものの、あまり寒くない1日になりました。
暗くなり、雨が降りだしてきました。
本日の寺西は、不覚にも材料が底をついてしまいました。
できるところまで作業をおこない、午後からは、開店休業になってしまいました。
空いた時間を使って、運転会で使う資材を入れたケースを運ぶ、簡単な台車を、廃材を利用して製作しました。
一番上の写真が台車本体です。
ナイロンロープで台車を引っ張ります。
下の写真は、ケースを台車に載せたところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/47/f60ded8bbb74364b10bb5143065eb8e2.jpg)
次回の運転会から使用します。
昨日午後、寺西は、杉戸浴場様で開催されました、地域寄席「すぎと寄席」の観覧に訪れました。
引き続き、観覧した感想を書いていきます。
フラ(※)の、カヒコとアウアナの違いの続きになります。
※フラダンスの略称です。
アウアナを説明する前に、フラが踊れなくなった時代を書かないといけません。
西暦1778年、キャプテン・クックがハワイ諸島を発見して上陸します。
これより1874年まで、フラは踊られなくなりました。
イギリス人やアメリカ人、とくに宣教師が、先住民が踊るフラを嫌ったから、と言われています。
当時、男性はマロというフンドシ、女性は腰ミノを付けただけで、上半身は裸で踊っていたからだそうです。
1874年、デイヴィッド・カラカウア王(1836生〜1891没)が、第7代の王位に就きました。
その式典で、「祝いの踊り」として、フラが復活します。
西欧文化が浸透し、服装は、男性がズボン、女性はブラウスにバウスカートに変わったそうです。
カラカウア王が王位に就いた以降、フラは、西欧文化を取り入れて発展して、世界に発信されていきます。
カラカウア王は、作詞や作曲を得意としていたそうです。
音楽家の才能を持ち合わせており、ハワイの歌を英語に訳し(※)、西欧の楽器、ウクレレやギターを取り入れて、ハワイアンミュージックを作っていったそうです。
※学校で、ハワイ語を話すのが禁止になったため、とも言われています。
そのハワイアンミュージックに、振り付けしたものが、もう1つのフラ、「アウアナ」になります。
カヒコと違い、ウクレレののんびりとした音色に合わせて、きれいな衣装をまとって、ハワイアンミュージックに合わせて、優雅に、波のように手をユラユラさせて踊るのが特徴になります。
ミュージックの詩の内容は、自然への感謝、男女間の愛についてのものが多いそうです。
フラの触り(基本)を、躍りながら説明された、きれいなおねいさんは、三重県鈴鹿市より、遠征されていらっしゃったそうです。
お疲れ様でした。
次回に続きます。
■■あしあと■■
2017年12月26日に追記しました。
dotairayama001様、takueisyatyou様、to31875様、hiro3767様、あしあと、ありがとうございました。
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