青色鉄道模型運転会

一宮市青色申告会ホールで開催されている、鉄道模型運転会公式ブログです。Xアカウントは@railaoiro138a

第26回すぎと寄席を観覧する(2)

2017-12-24 21:00:00 | 日記


皆様、こんばんは。
事務局です。

24日の一宮市内は、雲が多いものの、あまり寒くない1日になりました。

暗くなり、雨が降りだしてきました。

本日の寺西は、不覚にも材料が底をついてしまいました。

できるところまで作業をおこない、午後からは、開店休業になってしまいました。

空いた時間を使って、運転会で使う資材を入れたケースを運ぶ、簡単な台車を、廃材を利用して製作しました。

一番上の写真が台車本体です。

ナイロンロープで台車を引っ張ります。

下の写真は、ケースを台車に載せたところです。



次回の運転会から使用します。

昨日午後、寺西は、杉戸浴場様で開催されました、地域寄席「すぎと寄席」の観覧に訪れました。

引き続き、観覧した感想を書いていきます。

フラ(※)の、カヒコとアウアナの違いの続きになります。

※フラダンスの略称です。

アウアナを説明する前に、フラが踊れなくなった時代を書かないといけません。

西暦1778年、キャプテン・クックがハワイ諸島を発見して上陸します。

これより1874年まで、フラは踊られなくなりました。

イギリス人やアメリカ人、とくに宣教師が、先住民が踊るフラを嫌ったから、と言われています。

当時、男性はマロというフンドシ、女性は腰ミノを付けただけで、上半身は裸で踊っていたからだそうです。

1874年、デイヴィッド・カラカウア王(1836生〜1891没)が、第7代の王位に就きました。

その式典で、「祝いの踊り」として、フラが復活します。

西欧文化が浸透し、服装は、男性がズボン、女性はブラウスにバウスカートに変わったそうです。

カラカウア王が王位に就いた以降、フラは、西欧文化を取り入れて発展して、世界に発信されていきます。

カラカウア王は、作詞や作曲を得意としていたそうです。

音楽家の才能を持ち合わせており、ハワイの歌を英語に訳し(※)、西欧の楽器、ウクレレやギターを取り入れて、ハワイアンミュージックを作っていったそうです。

※学校で、ハワイ語を話すのが禁止になったため、とも言われています。

そのハワイアンミュージックに、振り付けしたものが、もう1つのフラ、「アウアナ」になります。

カヒコと違い、ウクレレののんびりとした音色に合わせて、きれいな衣装をまとって、ハワイアンミュージックに合わせて、優雅に、波のように手をユラユラさせて踊るのが特徴になります。

ミュージックの詩の内容は、自然への感謝、男女間の愛についてのものが多いそうです。

フラの触り(基本)を、躍りながら説明された、きれいなおねいさんは、三重県鈴鹿市より、遠征されていらっしゃったそうです。

お疲れ様でした。

次回に続きます。


■■あしあと■■

2017年12月26日に追記しました。

dotairayama001様、takueisyatyou様、to31875様、hiro3767様、あしあと、ありがとうございました。

ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする