皆様、こんばんは。
事務局です。
27日の一宮市内は、気圧の谷に入っているそうで、曇りの天気になりました。
本日の寺西は、お店の大掃除などでした。
10年以上、使っていないもの、使い道のない在庫の処分作業を行いました。
午後、ICCケーブルテレビ様の担当者様が、「『生中継! 一宮七夕まつり』『生中継! 濃尾大花火』ご協賛のお願い」の申し込み用紙を持っていらっしゃいました。
今年もスポンサー契約をします。
5千円コースですが。
ケーブルテレビを観る機会がございましたら、当運転会の名前を確認してくださいね。
小さく載っています。
14日午後、一宮市大宮にあります、杉戸浴場様で開催された、地域寄席「すぎと寄席」の鑑賞に訪れました。
前回の続きになります。
炊亭あたり様の落語です。
演目の「井戸の茶碗」と聞いて、古い茶碗を収集されている方は、「井戸茶碗は価値があって高価だぞ」とおっしゃると思います。
井戸茶碗は、侘茶(わびちゃ)で使われる、李朝時代前期から中期の朝鮮半島で作られた、朝顔型の茶碗です。
高麗茶碗(こうらいぢゃわん)の一種類になります。
本来は、朝鮮半島の民衆が使う日用雑器として作られました。
ところで、「侘茶(わびちゃ)とはなんだ?」と疑問に思われる方がいらっしゃると思います。
侘茶は茶道の一形式で、「草庵(そうあん)の茶」(※)と言われる場合もあります。
※草庵とは、ワラ(藁)やカヤ(茅)などで、屋根を拭いた、昔でいう粗末で小さい家のことです。
侘茶の創始は、村田珠光(むらたじゅこう※)と伝わっています。
室町時代中期に活躍した茶人で、僧侶でもあり、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)和尚と交流があり、室町幕府8代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)に仕えていた、と言われています。
珠光は、貴族向きの「書院(しょいん)茶」に対して、庶民向きの「数寄(すき)茶」(※)を創案しました。
※転じて、茶道に熱心な方を、数寄者(すきもの、すきしゃ)と呼びます。
書院茶は、殿中(でんちゅう)、いわゆる将軍の居所(※)にある美術品を鑑賞することに重点をおいていました。
※広間の書院に、天目茶碗(てんもくちゃわん、てんもくぢゃわん)や唐物茶入(からものちゃいれ)など、中国渡来の豪華な茶道具を台子(だいす※)に飾った茶の湯です。
※茶の道具を乗せる四本柱の棚です。
珠光は、鑑賞の茶の湯からバクエキ(博奕。博打のこと)と酒盛りを外しました。
亭主と客との精神的交流を重視する、一座、すなわち、同じ場所に居合わせる設定を、定着するように努力されました。
珠光の精神は、千利休(せんのりきゅう)に受け継がれます。
利休は、極限まで無駄を省く、侘茶の完成に努め、草庵風茶室で、井戸茶碗や日用雑器を茶道具に取り入れて、茶道を民衆の生活に根づかせました。
結果として侘茶は、安土桃山時代に、庶民の間で大流行することになります。
次回に続きます。
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