青色鉄道模型運転会

一宮市青色申告会ホールで開催されている、鉄道模型運転会公式ブログです。Xアカウントは@railaoiro138a

第26回すぎと寄席を観覧する(4)

2017-12-26 21:00:00 | 日記
皆様、こんばんは。
事務局です。

26日の一宮市内は、曇ったり、晴れたりを繰り返す天気になりました。

本日の寺西は、現場作業でした。

23日午後、杉戸浴場様で開催されました、地域寄席「すぎと寄席」の観覧に訪れました。

引き続き、観覧した感想を書いていきます。

KOHARU亭兄弟のお二人でお話をつなぐ「講談」が始まりました。

先ずは、お兄さんのKOHARU亭たいちろう様が、お話をします。

演目は、鼠小僧外伝「ネズミ小僧とサンタクロース」です。

この演目は、講談師の神田山陽様の持ちネタです。

お話は、検索サイトで「神田山陽」で検索しますと、YouTubeで聞くことができます。

ところで鼠小僧について、皆様、詳しく知っていますか?

寺西が知っていることは、

(1)三河国蒲郡出身
(2)大名屋敷専門の盗人
(3)義賊

ぐらいです。

そこで調べてみました。

生まれた年は、1797(寛政9)年でした。

出生地は二ヵ所ありました。

(1)三河国蒲郡出身説
(2)江戸日本橋(元吉原)説

生い立ちは、10歳前後で木具職人の家に奉公に入り、16歳で親元に戻っています。

戻ったのち、鳶人足になったものの、不行跡(ふぎょせき)のため、25歳の時、父親に勘当されています。

勘当後は、賭博(とばく)三昧の生活を送り、結果として、身持ちを崩してしまい、賭博の資金稼ぎのために、盗人稼業に手を染めたそうです。

鼠小僧は、約5尺(151.515cm)に満たない小男で、動作が敏捷(びんしょう)、という記録が残っています。

鼠小僧は、武家屋敷の奥向(おくむき)専門で盗みに入っていました。

皆様、ご存じかと思いますが、武家屋敷は、男性が住んでいる「表」と、女性が住んでいる「奥」が、はっきりと別れていました。

表は、当主を中心に、家政処理や対外的応接などおこなう場所、奥は、当主の妻を中心に、子女たち家族が生活する場所になっていました。

奥であれば、女性ばかりで、発見されても逃げやすいことを知って、鼠小僧は、奥専門で盗みに入っていたようです。

鼠小僧は2回、捕まっていました。

1回目は1825(文政8)年。
2回目は1832(天保3)年。

1回目で捕まった時までの忍び込み数は28箇所32回(※)。

2回目で捕まった時までの忍び込み数は71箇所90回(※)。

北町奉行所の尋問で、鼠小僧は、荒らした屋敷95箇所839回、盗んだ金額は三千両あまり、と供述したそうです(※)。

※数字については諸説あります。

近年、盗んだお金の大半は、博打、女性、飲酒に消えた、と言われています。

次回に続きます。


■■あしあと■■

2017年12月26日に追記しました。

tropaeolum様、あしあと、ありがとうございました。

ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第26回すぎと寄席を観覧する(3)

2017-12-25 21:00:00 | 日記


皆様、こんばんは。
事務局です。

25日の一宮市内は、雨は上がりましたが、晴れたり、曇ったりを繰り返す天気になりました。

本日の寺西は、現場作業でした。

23日午後、杉戸浴場様で開催されました、地域寄席「すぎと寄席」の観覧に訪れました。

引き続き、観覧した感想を書いていきます。

フラが終わった後は、お休み予定でした、

KOHARU亭たいちろう様(上の写真)、
KOHARU亭けいじろう様(下の写真)

のご兄弟が、都合を付けて、寄席に出演してくださいました。



けいじろう様は、現在、中学3年生で、これから高校受験のための受験勉強を控えています。

そのため、今回の寄席には欠席する予定でした。

今回は落語でなく、お二人でお話をつなぐ「講談」を披露してくれました。

演目は、鼠小僧外伝「ネズミ小僧とサンタクロース」です。

「講談」を知らない方がいらっしゃると思います。

簡単な歴史などを書いていきます。

講談は、日本の伝統芸能のひとつで、起源は、戦国時代までさかのぼり、「御伽衆(おとぎしゅう)」だと言われています。

「御伽衆はなに?」と言われそうです。

戦国時代から江戸時代はじめ頃までに、大名家にあった職務の1つです。

主君の側近として、召し出され、政治や軍事の相談、諸国の動静や武辺(ぶへん)話(※)を伝えることなどを担当していました。

※軍記物、武道に関係するお話で、戦(いくさ)で勇敢に戦った武士のお話が多いです。

この御伽衆のお話が、江戸時代の大道芸の1つ、「辻講釈(つじこうしゃく)」と結びついたのではないか、と言われています。

理由は、辻講釈は「古典太平記」(※1)などの軍記物を題材にしていたからです(※2)。

※1.日本の古典文学作品の1つで、南北朝時代を舞台にし、後醍醐天皇即位から鎌倉幕府の滅亡など、1318(文保2)年から1368(貞治6)年までの50年間をまとめ軍記物語です。

※2.諸説あります。

辻講釈は、注釈をつけながら、調子をつけて語ります。

観客に対して、お話を分かりやすく理解していただくため、と言われています。

江戸時代宝永年間、講釈だけの常設小屋が設けられた記録があるそうで、この頃に、講釈が「講談」に変わったと言われています。

講談の演者様は、高座に置かれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、

張り扇(はりおうぎ)や拍子木(ひょうしぎ※)で、机の天板を叩いて調子を取りつつ、演目のお話を観客に対して読み上げます。

※拍子木は、上方講談のみで使います。

※「一宮駅前寄席」様に出演されている、講談師・旭堂鱗林(きょくどうりんりん。以前は古池鱗林)様の講談を観覧されますと、拍子木が見られます。

次回に続きます。


■■あしあと■■

2017年12月26日に追記しました。

hiro3767様、ta31875様、kochanj2様、osuteosuperumamu様、あしあと、ありがとうございました。

ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第26回すぎと寄席を観覧する(2)

2017-12-24 21:00:00 | 日記


皆様、こんばんは。
事務局です。

24日の一宮市内は、雲が多いものの、あまり寒くない1日になりました。

暗くなり、雨が降りだしてきました。

本日の寺西は、不覚にも材料が底をついてしまいました。

できるところまで作業をおこない、午後からは、開店休業になってしまいました。

空いた時間を使って、運転会で使う資材を入れたケースを運ぶ、簡単な台車を、廃材を利用して製作しました。

一番上の写真が台車本体です。

ナイロンロープで台車を引っ張ります。

下の写真は、ケースを台車に載せたところです。



次回の運転会から使用します。

昨日午後、寺西は、杉戸浴場様で開催されました、地域寄席「すぎと寄席」の観覧に訪れました。

引き続き、観覧した感想を書いていきます。

フラ(※)の、カヒコとアウアナの違いの続きになります。

※フラダンスの略称です。

アウアナを説明する前に、フラが踊れなくなった時代を書かないといけません。

西暦1778年、キャプテン・クックがハワイ諸島を発見して上陸します。

これより1874年まで、フラは踊られなくなりました。

イギリス人やアメリカ人、とくに宣教師が、先住民が踊るフラを嫌ったから、と言われています。

当時、男性はマロというフンドシ、女性は腰ミノを付けただけで、上半身は裸で踊っていたからだそうです。

1874年、デイヴィッド・カラカウア王(1836生〜1891没)が、第7代の王位に就きました。

その式典で、「祝いの踊り」として、フラが復活します。

西欧文化が浸透し、服装は、男性がズボン、女性はブラウスにバウスカートに変わったそうです。

カラカウア王が王位に就いた以降、フラは、西欧文化を取り入れて発展して、世界に発信されていきます。

カラカウア王は、作詞や作曲を得意としていたそうです。

音楽家の才能を持ち合わせており、ハワイの歌を英語に訳し(※)、西欧の楽器、ウクレレやギターを取り入れて、ハワイアンミュージックを作っていったそうです。

※学校で、ハワイ語を話すのが禁止になったため、とも言われています。

そのハワイアンミュージックに、振り付けしたものが、もう1つのフラ、「アウアナ」になります。

カヒコと違い、ウクレレののんびりとした音色に合わせて、きれいな衣装をまとって、ハワイアンミュージックに合わせて、優雅に、波のように手をユラユラさせて踊るのが特徴になります。

ミュージックの詩の内容は、自然への感謝、男女間の愛についてのものが多いそうです。

フラの触り(基本)を、躍りながら説明された、きれいなおねいさんは、三重県鈴鹿市より、遠征されていらっしゃったそうです。

お疲れ様でした。

次回に続きます。


■■あしあと■■

2017年12月26日に追記しました。

dotairayama001様、takueisyatyou様、to31875様、hiro3767様、あしあと、ありがとうございました。

ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第26回すぎと寄席を観覧する(1)

2017-12-23 21:00:00 | 日記


皆様、こんばんは。
事務局です。

23日の一宮市内は、引き続き、少し暖かい、晴天が続いています。

本日の寺西は、裁ち切り作業、現場作業などでした。

午後、一宮市大宮にあります、杉戸浴場様で開催された、「すぎと寄席」(※)の観覧に訪れました。

※天狗連の皆様が出演する地域寄席です。

現場作業のため、観覧できないもの、と考えていました。

予定より早く作業が終わり、中入りから観覧することができました。

会場の空席は数えるほどでした。

中入り前は、多分、

・引木亭あたま様
・杉戸亭さち様

による落語で、観覧者の皆様は、楽しまれたと思います。



中入り後は、フラ(※)のきれいなおねいさんが登場されました。

※フラダンスの略称です。

ゆっくりとした手の動き、しなやかな時があれば、軽快な時がある腰の動きやステップには、意味があることを、ご教示くださいました。

音楽が流れ、踊りながら、フラの手や腰の動きが、何を表現しているかの、お話がありました。

フラはハワイ、タヒチなども含む、ポリネシアの伝統舞踊として伝わっています。

ポリネシアの人たちが、まだ文字を持っていなかった時代に、神への祈りを表現するために、今でいう手話が元になって、フラが始まった、と伝えられています。



両手を手のひらを開いた状態で下に向けて、2〜3回、上下しますと、「雨が降っている」、

手をユラユラと動かしますと、「波がある」と表現します、というご説明がありました。

ここからは過去に、フラをされていた、きれいなおねいさんから聞いたお話になります。

フラには大きく2種類の踊りがある、と言われています。

1つは、フラの古典と言われる「カヒコ」、1つは、現代のフラと言われる「アウアナ」です。

寺西も含めて、皆様が知っている、ハワイアンミュージックに合わせて、きれいなおねいさんが優雅に踊っているフラは、「アナウア」になります。

カヒコとアナウアの違いです。

カヒコは、男性が神に祈りを捧げるために作られた踊り、と言われています。

古い形式のフラで、最初にオリ(詠唱)を読み上げたのち、歌い手のメレ(歌)に合わせて踊ります。

メレは、オリに節回しが付いたもの、考えてください。

踊りの際、化粧をしたり、アクセサリーを付けることはしないそうです。

次回に続きます。


■■あしあと■■

2017年12月25日に追記しました。

kotyu586658様、takuya979様、k24_0511様、atcchin様、fc5551様、sugimoto1120様、kippy0001様、minicraftmie様、corgi_yume様、あしあと、ありがとうございました。

ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬至なのでゆず湯

2017-12-22 21:00:00 | 日記


皆様、こんばんは。
事務局です。

22日の一宮市内は、風の弱い晴天の1日でした。

本日の寺西は、縫製作業と裁ち切り作業などでした。

一宮青色申告会連合会の機関紙が完成しました。

今朝、印刷屋様が納品してくださいました。

関係する皆様に助けていただいて、無事に機関紙が完成しました。

関係した皆様に、お礼申し上げます。

ありがとうございます。

12月31日の定例運転会ですが、予約されていた方が、予約を取り消され、予約数0名になってしまいました。

予約された皆様にも、ご都合があり、仕方がないところです。

定例運転会は予定通り開催します。



レイアウト設営後、購入した旧国鉄50系客車や、譲渡していただいた旧国鉄10系客車を運転して楽しみます。

のちに、お暇な時間を利用して、パイプイスの張り替え作業や、反物の裁ち切り作業をおこなうことにします。



お暇な時間に、動力や電気を使わない、本業の仕事を、少し済ませます。

さて本日は「冬至」です。

一年でお昼が一番短い日になります。

冬至といいますと、日本では、お風呂で「ゆず湯」を楽しむという風習があります。

夕食後、一宮市大宮にあります、「杉戸浴場」様に訪れて、ゆず湯を楽しみました。

玄関扉前に立ちますと、ほんのり、ゆずの香りが漂っていました。

一番空いている時間を狙って訪れましたが、銭湯のお祭り日であることから、お客様の数は、混雑している時間と変わりませんでした。

寺西の入った時間帯は、体に模様が入った皆様が楽しんでいらっしゃいました。

電気風呂にも、ゆずが入った袋が入っており、ビリビリしながらゆずの香りを楽しむ、という不思議な体験もしました。

体に模様が入った方といいますと、昔、京都市内だったか、東京都内だったか、銭湯に入りましたら、お客様10名、全員が模様のある方で、驚いたことがあります。

湯煙の向こうに、富士山をバックにして、桜吹雪、風神雷神、昇り龍、下り龍、弁天小僧、弁財天などを見ながら、お湯を楽しんだことがあります。

風神雷神の方と目が合いまして、模様を褒めましたところ、気に入っていただき、入浴後、飲料をおごっていただきました。

下の写真は今日、楽しんだ炭酸飲料です。



夕食も誘っていただきましたが、電車の時間がありましたので、夕食のお誘いは丁重にお断りして、銭湯を後にしました。

杉戸浴場様といいますと、明日は、恒例の地域寄席「杉戸寄席」が開催されます。


■■あしあと■■

2017年12月27日に追記しました。

sakurakomachi8739様、takueisyatyou様、karen1221様、gumrie様、ta31875様、k24_0511様、あしあと、ありがとうございました。

ブログに関するご感想・ご意見・クレーム等は、ブログのコメントや携帯電話にお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする