◇「朗読・ナレーション」の名手
女性アナウンサー以外で「朗読」や「ナレーション」とくれば、まず次のお三方を思い浮べます。声優でナレーターの白坂道子(しらさかみちこ)さん、それに奈良岡朋子(ならおかともこ)さんと市原悦子(いちはらえつこ)さんの女優お二人でしょうか。
と言っても、白坂さんについてはこの15、6年、その声を聴く機会もなく、また市原、奈良岡のお二人についても、やはりここ10年ほど耳にした記憶がありません。それでも筆者の中では、20年以上前に聞いた白坂さんによる高村光太郎の「千恵子抄」の朗読が鮮明に甦って来ます。
『……東京には空がないといふ、ほんとの空が見たいといふ。……(中略)……千恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山の山の上に、毎日出ている空が千恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である。』
……『あどけない…空の話である…… 』。最後の一節が流れたあと、印象深い独特の余韻、そして余情がありました。言い足りないような感じで終っただけに、“もっと聴きたい”という気持ちがいっそう強く残ったのかもしれません。もっともこのような余韻や余情は、優れたナレーターや朗読者が、ごく自然に表現していることではありますが。
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◇『おしん』にみるナレーションの威力
市原さんはNHKの『日本むかし話』の朗読が、また奈良岡さんは、NHKの朝ドラ……そうです。『おしん』のナレーションです。彼女の口から発せられた『おしん……』という台詞の出だしは、物語の進行とは別次元の世界を創り出していたのではないでしょうか。
わずか「3音」の「おしん……」という言葉にすぎなかったのですが、その後に続く「言葉」すなわち「情景」を簡潔明瞭に、かつ視聴者の自由なイマジネーションを妨げないよう伝えるものでした。
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小林綾子演じる子供時代の「おしん」を想い出してください。「おしんの置かれた情況」がいろいろありましたね。辛い出来事……、悲しい場面、嬉しいことや嫌なこと、おしんの心を傷つける心もとない人物の言葉や態度。胸の張り裂けるような哀しみ……。ようやく差し始めた希望の光……。敢然と切り拓いて行こうとする、さまざまな人生の岐路……。
奈良岡さんのナレーションが優れていたのは、「おしん」に同情して“これ見よがし”的にはならなかったということです。意図的に視聴者の感情移入を抑え、どこまでも “物語の流れ” すなわち「おしん」や両親をはじめとする人物や出来事を淡々と語っていたからです。子供向けの番組であれば、ナレーターは登場人物以上に喜怒哀楽を誇張した口調になるものです。
とはいえ、ときには視聴者を特定の「登場人物」や「事件」に近づけたり、逆に遠ざけたり、また好意的な感情やその逆の感情をを呼び起こさせたりと、その使い分けや演出は無論、ディレクターによるのでしょう。しかし、その具体的な表現は、ナレーターや朗読者の感性や力量に負うところが大きいのです。
『おしん』の場合の奈良岡朋子さんがそうであり、他のナレーションや朗読の名手にして同じです。そしてそれら“名手の頂点”こそ、筆者の独断に従えば、加賀美幸子さんであり、山根基世(やまねもとよ)さんということになります。
◇加賀美幸子のイメージ喚起力
加賀美さんは「ナレーション」と「朗読」のいずれにも群を抜いたセンスと感性を持っています。ドキュメントやドラマの「ナレーション」であれ、小説をはじめ詩、短歌、俳句、童話等の「朗読」であれ、瞬時に“その世界”へ惹き込む巧みさは“別格”と言えるでしょう。しかもその“完成度はきわめて高い”ものです。
私見ですが、加賀美さんは特に「源氏物語」や「枕草子」といった「古典文学」の「朗読」に、いっそう魅力を発揮されるような気がします。「古典」に限らず「文学」ジャンルは、伝える側にも受け取る側にも「イマジネーション(想像力)」や「クリエイティヴィティ(創造力)」が求められるわけですが、とりわけ「古典文学」においては、いっそうその要求が高いといえるでしょう。それは、「歴史の事実」として受け止めなければならない「現代史を語るナレーション」と比較するとき、その違いがはっきりすると思います。
その意味において、加賀美さんの声質、音量、太さ、伸びそして勢い、さらには堂々とした言い回し、そして何よりも“絶妙かつ繊細な休止や間”……。彼女ほどイマジネーションを刺激しながら受け手の創造性を膨らませてくれる「朗読者」はいないのではないでしょうか。「古典の時代には存在しなかった我々現代人」にとって、「古典」は、そして「その文学作品」は、どこまでもイマジネーションとクリエイティヴィティの世界であり、加賀美さんは「その世界」への「導きびと」と言えるでしょう。
「古典文学」の中でも、ことに絢爛豪華で艶麗耽美な「平安朝の文学」にピッタリでは……と個人的には思うのですが……。(続く)
実は私も加賀美幸子さんのそのときの朗読を聴いていました。
聴けば聴くほど、素晴らしいその“朗読力”に圧倒され、黙ってただ聴いていました。
加賀美さんの知性ことに文学や言語、歴史と言ったものに対する造詣の深さとでもいうのでしょう。
たんなる「朗読」ではないことがよく判ります。
しかし、やはり、“朗読力”云々レベルの問題ではなく、“人間力”つまり、“人間そのもの”としての深みということかもしれません。
演劇をする人に、加賀美さんのことをよく研究し、また学ぶように勧めています。
よう
ともあれ、加賀美さんの“朗読の世界”は、ちょっとやそっとのことでは表現できないでしょう。
加賀美さんをはじめとする優れたアナウンサーやナレーターに触れていると、民放のアナウンサーのニュース報道の稚拙さがいっそう耳に付くようになります。もちろん、ドラマなどのタレントも同じです。
だからこそいっそう、加賀美さんをはじめとするNHKのアナウンサーの素晴らしさが際立ってくるのでしょうね。
NHKの男性アナウンサーについても、そのうち書いてみたいと思います。
昨夜はその直前の、内多勝康アナウンサーがナレーターを担当した“中学校公民 市場経済の仕組み”[2014年度 第5回] がコンパクトな内容で大学学部初年度までカバーする番組の密度がとても見事だった。
文学作品朗読を担当するのはみかけたことないですが、朝の生活ホットモーニングやきょうのお料理の脇役担当、週末夕方の地球ラジオ、クローズアップ現代など進行役などいろいろ場面で好感しているアナウンサーです。
一週間前には、手紙文の朗読が10min.boxであり、漱石や芥川の手紙の紹介がありました。これも加賀美さんでした。何と言うラッキー。
加賀美さんは、何をやっても素晴らしいですね。
コメントありがとうございます。またいらっしてください。あなたと私だけでなく、この読者のみなさんにも参考になると思います。
源氏物語を桐壺から紫の上までダイジェスト駆け足でと、徒然草のさわりをいくつかの段から抜粋。松尾芭蕉で奥の細道。
この番組、理科の課目は小学校高学年から対応だと思っていましたが、日本史世界史も中学校以上だろうなあ。
などとおもっていましたが、国語で古文・漢文は朗読と解説による鑑賞は中学校(義務教育を終えたら世間の荒波に出ても恥じない)という高い志を目標にしているのかも、とすら思えます。ガイドのために10分番組、でも続きは自分でと。
贅沢な夜更しで、この番組を見ただけでつい自慢になってしまいました。
『ライ麦畑でつかまえて』は、残念ながら読んではいません。ですから内容は知らないのですが、「タイトル」にはとても強いインパクトを感じ、素敵だと思った記憶があります。
当時、「話題作」として採りあげられましたね。
加賀美さんの『羅生門』、聴きたかったですね。というのは、現在、本ブログで連載している「演劇評」の作品に、この『羅生門』の “ある行動” を彷彿とさせるものがあるからです。
そこで私も、つい3日前に動画サイトの「朗読」を聴いていました。自宅にいれば、「本」を開くのですが、よその地にて草鞋を脱いでいるものですから。
でも、やはり加賀美幸子さんの朗読で聴きたかったですね。
「朗読」が好きな方には、ぜひ「舞台演劇」をお勧めします。眼の前の「演技」や「生の声」の迫力は格別です。優れた役者の優れた演技や台詞回しはことに。
「朗読」とは、また違った魅力に溢れています。優れた役者の優れた台詞回し、すなわち、それを支える「肉声」は「音楽」でもあると思っています。
よくよく考えてみるに、NHKのアナウンサー以外で「朗読」の名手と呼ばれる方は、その多くが「舞台俳優」出身というのも頷けます。
また、いらしてください。お待ちしております。
>いずれも “それなりの愉しみ方”
思い当たるよすがを探すと、大森一樹の映画『恋する女たち』(1986年)。
主演の斉藤由貴が映画の一シーンで『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳)を朗読するのです。
既読の小説作品だったせいか、朗読されたときの感情のゆれが自分で読んだときのゆれない心と印象が異なっていて興味深かった。
NHKので情報番組で顔出ししているアナウンサーが別のプログラムでナレーションを担当するときなんかだと、声は同一人物だと識別できても印象ががらっと異なったりということが多々あります。高橋美鈴アナウンサー以外でも何回かそういう新鮮さを覚えたものです。
昨夜はETVの10min. Box で芥川龍之介の『羅生門』のダイジェストを加賀美幸子アナウンサーがやっていたのでした。
いつも思うのですが、「活字を眼で追いながらの読書」と、「耳を集中させて聴きながらの朗読」というのは、いずれも “それなりの愉しみ方” がありますね。
活字を追いたくないときは横になり、ネットから引いてきた「朗読」を聴いています。現在は何と言っても、NHKの「カルチャーラジオ」ですね。
ことに土曜日は、「朗読」での『奥の細道―‐名句でたどるみちのくの旅』に、「漢詩をよむ」ですね。いずれも加賀美幸子さんです。
「加賀美さん」の「声」だけを聴いているわけですが、実にさまざまな記憶やイメージが心地よく湧いてきます。
番組的にも、優れたナレーターにすべてを委ねるという局の姿勢が素晴らしいと思います。そういう点で、NHKは圧倒的に優れていますね。
東京の民放ラジオの番組としてなのか、ご父君の郷里であり戦時疎開先でもあった青森県との縁あってのことなのかは存じませんが毎回楽しく聴取していたことを思い出します。
当時エンディングに使っていたギターかリュート演奏の中世・ルネサンスの民謡にもとづく曲名を多少探したのに知らないままだということと一緒に懐かしい思い出話。
当時のNHK-FMで相当長い期間やっていたNHKアナウンサーによる日本の古典文芸作品中心の朗読も楽しみな番組でした。
日本の古典だけでなく、バーネット作『小公子』の古い翻訳の朗読はファンがついていたらしく時間をおいて再放送までされていた。