こんにちは。
昨日の続きを書かせて頂きたいと思います。
現代では他力本願と聞くとあまり良い方に捉えられることはありませんが,本来の他力本願と云う言葉の意味は,他人の為に救って差し上げることであります。仏教では,阿弥陀如来の本願と言われています。他力本願を説いた親鸞さんの言葉も有名ですね。
少し話は変わりますが,歴史の勉強をしていると過去の偉人を学ぶことになります。歴代天皇や皇族に貴族など。そして,戦国武将に一般庶民の暮らしに至るまで。宗教家もそうですね。その時代を懸命に生き抜いた先人の教えや生き方は,どれも私たちが生きて行く上でとても参考になります。歴史好きな人であれば,過去の偉人の言葉を座右の銘にし頑張って居られると思います。
そう言った,歴史上の「人物」を調べているとある共通することがあるのです。
それは何かと申しますと後世の私たちへ託す思いと願いです。その思いと願いは何かと云うと「他の為の奉仕」です。
つまり,現代を生きる私たちへの遺言であります。本当に日本は凄い国だなと感じるひとつでもあります。
平安時代に平将門公と云う徹底した弱者救済保護政策の実現を目指された御方が居りました。将門公は,今でも関東地方の特に,現在の茨城県坂東一帯で絶大の人気があります。当時の貧しい暮らしを余儀なくされていたお百姓さんを救済しようと日々奮闘を重ねて行きました。歴史書と云うものは常に勝った方が自分たちに有利に書いてしまう為,私たちが学ぶ歴史書は真実とは遠いものであるようです。平将門公も同じで,私たちが学んできた人物像とは違うのです。実際の将門公は慈悲に溢れた半端でない人物です。
その平将門公が,現代の私たちに向けた遺言が御座います。
どうか人の世に暮らす人々よ。他の為に慈悲を施し,悪行を消す為,善行を積むようにせよ。
実際に,将門公が言い残した言葉ではないようですが,書き記した人物が将門公の生き方を書き残したもの「将門記」の最後に書かれている言葉であります。わたし個人的には,貴族ばかりが京都の都でのうのうと贅沢に暮らし,一般のお百姓は今日の食べ物も皆で分け合っている姿に涙していたのだと想っています。そして,将門公自ら立ち上がり苦しむお百姓を救済する為に戦ったのです。
歴史上,平安時代と鎌倉時代は飢餓に疫病,大飢饉と言った災難・苦難・困難の時代でありました。私たちの先祖は,その苦しい時代を生き抜いて来たのですが,そんな時代だからこそ将門公のような慈悲の心を持ち,自分の身を犠牲にしてまで弱者救済政策を実現させようと奮闘し戦える人物が登場して来たのかも知れません。決して,自分が偉くなりたいとか言うことではありません。
歴史は,学問として捉えるか,ロマンとして捉えるかで全く違うものになります。
貧しい御百姓さんを何とか救済しようと権力者と戦い続けた平将門公でした。
現代の世の中をご覧になったらどう思われるでしょう。
続きはまた明日。拝