花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 2

2019年11月18日 05時22分29秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

こんにちは。

昨日の過去記事「昭和天皇 終戦の詔勅に秘められた祈り 1」の続きを書かせて頂きたいと思います。

その昨日の記事で,東京大空襲に纏わる内容とその作戦を計画立案した起案者についてご紹介させて頂きました。広島と長崎への原爆投下並びに東京大空襲のことについては,さらに別の機会で記事にして行きたいと思います。何ら罪もない私たちの先祖がたくさん犠牲者となった歴史の事実は伝えて行かなければならないことであります。私たちの先祖の犠牲の上に,私たちの今の日常があり,生活が存在できることに想いを寄せることは日本人であれば当然のことであります。神風特攻隊の史実もしかり,沖縄のひめゆり隊の史実も同様に後世に伝えなければならない歴史がたくさんこの国にはあります。靖國神社においてもそうです。

そこで今日は,いよいよ日本が終戦を迎えたとき,天皇陛下御自ら国民へ終結宣言がされた終戦の詔勅「通称:玉音放送,以下同様」について記事にしたいと思います。きっと,私たちくらいの若い年代の人は,玉音放送と云ってもおじいちゃんやおばあちゃんから聞いたことがあるくらいの話だと思います。しかし,この玉音放送には,昭和天皇の祈りのメッセージが込められていて,さらに,天皇家の御祖神である天照太御神そして,歴代の天皇への謝罪の意も込められている御言葉だと私は思っています。あの玉音放送を昭和天皇はどのような御気持ちで国民に向けて語られたのかを想像すると胸が痛くなります。それぞれの各人が素直な心柱で感じ取って頂ければと思っています。

その玉音放送で読まれた文書の中に「耐えがたきを耐え 忍びがたきを忍び」と云う日本の復興についての御言葉はあまりにも有名でありますが,それよりも私は「皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」と云う御言葉がその意を表しているように考えています。つまりそれは,天津神からもっと言えば,さらに国津神からお預かりし国民「おほみたから」と歴代天皇が守り続けてきた祈りを戦争と云う形で失ってしまった。そのことを私はどのように天照太御神と歴代天皇に謝罪すればよいのでしょうかと云った,我が国の最高祭主としての悲痛な言霊でもあると感じています。そのことを想像するだけでも昭和天皇の苦悩とは想像を絶するものであったと思います。天皇はありとあらゆる祭祀を司る最高祭主であります。

以前にも記事にさせて頂きましたが数千もの間,歴代天皇は,なぜ我々国民の平穏と幸せを天照太御神へ毎日祈り続けるのでしょうか。

もし宜しければ読んでみて下さい「伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り」と「伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神 」です。

すべての祀り事,祭祀を司る立場にある最高祭主の天皇陛下が天照太御神から預かった国民「おほみたから」を戦争と云う最も神から遠く,神の神意に叶わない方法で失うことへの想いは,玉音放送にも「五内爲ニ裂ク」とありますように我が身を引き裂かれる思いであったに違いないと私も考えております。政治と云う祭り事の最高責任者と国家国民の安寧を祈り続けることを使命とする最高祭主として戦争へと突き進んでいった史実は隠された秘め事もたくさんあるのであろうとも想像しています。又,玉音放送に至るまでの過程においても様々な人の思惑や思想,信条が入り交わり終戦の詔勅が作成されたのだと考えますが,決して昭和天皇の意思のみで戦争へ突き進んだのではありません。

神道が戦争を誘起させたと云う所謂,左派の皆さんはもっと勉強して頂きたいと思います。左派の論客が主張している国家神道が戦争をさせたと言わんばかりですが,それはぜんぜん違います。一部の軍人が,天皇と神道を利用して「戦争」国家神道を確立させたのです。

そして最後の箇所に「國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」と語りかけられております。国とそれぞれの一家の子孫にも絶えなく伝え,語り続けて行き,確固たる神の国は不滅であることを信じ,これからの復興がとても遠い道のりであることを皆が覚悟し,国家国民が総力を挙げて将来の建設に傾けて常に正しい道を歩み忘れず,世界の流れに遅れることがないように固く決意しなければなりません。ひとり一人の国民は,私の意をよく理解して行動に移しなさいと語られております。つまり,この戦争でのさまざまな出来事や事柄を将来の子供たちへ絶えなく伝え,語りかけて行くこと。そして,日本は神の国であり不滅であることを信じて,国と国民の復興を国家国民が総力をを挙げ,叡智を結集し新しい日本の建設を道徳と努力を忘れずに歩んで行くことが天皇の意であると私は解釈しています。

玉音放送「終戦の詔勅」から今年で,71年目の終戦祈念日を迎えます。戦争を経験された人もだんだんと少なくなって行き,伝え語り継ぐ人たちも少なくなっています。そんな時代だからこそ今一度,戦争の残虐性と恐ろしさをいま生きている私たちが後世へ伝えることが大切であると思っています。ちょうど現在,憲法改正の議論と集団的自衛権の議論が盛んになっています。これは,昭和天皇と先の大戦で犠牲になられた御霊からの伝え,語り続けるを忘れてはならないと云う重要なメッセージであるとも私は考えております。この国は,五穀豊穣を祈る国なのです。太古の昔から和と相互扶助が生き残る唯一の道だと云うことは過去の歴史が証明してくれています。理屈に騙されてはいけません。

学歴と偏差値,相続によって仕掛けられ来たのです。そんな仕掛けに騙されないで下さい。平和ボケだの右翼だ左翼だと云う無責任で破綻した理屈(理論)はどうでもよいことです。そう言った決めつけこそが戦争を仕掛けたい人や国民を分断したい人たちの想いや仕掛けであります。その仕組みにまんまと嵌められて行った歴史に学ぶことこそ昭和天皇の意に沿うものであると思います。それを論じる前に,私たちの先祖が尊い命を掛けて引き継いでくれた御恩は何としても忘れてはならぬことであります。

花咲 あさひ 拝



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