花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

熊本地震から半年を経て。さぁ!尼僧さん出番です。

2016年10月16日 19時19分48秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。あの熊本・大分地震から6ヶ月が経ちました。それぞれの町や被災した家屋の復興,復旧もされていることだろうと思います。しかしながら,その一方で,地震の直接的影響で亡くなられた人を地震後の要因で間接的になくなられてしまった人が上回る現実が報道されていました。さらに,阿蘇山の噴火と云う不安な日々を送られていることだと思います。又,仮設住宅で生活を余儀なくされた世帯の内,熊本市内だけでも528世帯の75%(393世帯)が高齢者世帯だと云うことです。独り暮らしの孤独死や孤立死と言われ出して久しいですが,これも自己責任論と言われてしまうのでしょうか。被災自治体も社会福祉法人等の公益法人も様々な取り組みをされていることだと感じていますが,こういった時にこそ神道や仏教などの宗教家の出番だと思っています。

間接的に亡くなられてしまう主な要因はハッキリと解らないと思いますが,仮にその原因のひとつに心の問題や精神的な心労が少なからず関与しているのであれば,今こそ宗教家の出番です。先日の発言で物議を醸し出し,自らの発言を自ら訂正し,謝罪された尼僧さんの出番だと私は感じております。尼僧さんは確か,天台宗に所属されていると思いますから熊本の天台寺院で生命の尊さ,なぜ人は生きるのかを説法して困っている人や弱い立場に立たされてしまっている人たちの心の支えになって頂きたいと思います。体力的に大変であれば,ビデオやVTRなどでを活用されれば可能なことのようにも思えます。それも無理であれば,比叡山天台宗が推進されている「一隅を照らす運動」の一環でも取り組んで頂きたいです。こちらです。公式ページ:http://ichigu.net/

このまま評論家の様に社会の問題に理屈を以て人々を説得することではなく,もっと身近で,困っている人へ,弱い立場の人たちへ生命を伝えて行って頂きたいです。もう落ち込んでいる暇はありません。あの世へ帰るその日まで,前へ前へ。お釈迦様の教えを広め,仏法を唱え,観世音菩薩へお仕えすると決意為された日を思い起こして下さい。本来の仏教に原点回帰する為にも,数々の仏教界のスーパースターを輩出してきた比叡山一門の僧としても被災者の心の救済に立ち向かって頂きたいと切に願っています。祈。拝

記事中の「一隅を照らす運動」とは,比叡山天台宗が,信仰と実践によって一人ひとりが心豊かな人間になり,平和で明るい世の中を共に築いていこうという社会啓発運動です。「一隅を照らす,これすなわち国宝なり」という,天台宗を開かれた伝教大師最澄さま(767~822)の精神を現代に生かすために生まれました。一隅(いちぐう)とは,今,あなたがいる,その場所です。あなたが,あなたの置かれている場所や立場で,ベストを尽くして照らしてください。あなたが光れば,あなたのお隣も光ります。町や社会が光ります。小さな光が集まって,日本を,世界を,やがて地球を照らします。あなたの一隅から世界を照らしましょう!一人ひとりが輝きあい,手をつなぐことができれば,みんなが幸せになり,すばらしい世界が生まれます。(公式ホームページより引用)


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                         

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設126日目 記事数第136記 奉仕の心柱 編 


神様から授かったリスクマネジメント3

2016年10月15日 21時34分54秒 | あさひの経済新書

上の動画は,先日の「水の神への感謝参詣 室生龍穴神社 前編」「水の神への感謝参詣 室生龍穴神社 後編」でご紹介させて頂いた室生龍穴神社のユーチューブ上の動画サイトです。製作及び運営者は,當麻武さんと云う御方です。室生龍穴神社の他にもたくさんの神社や寺院をサイトで公開されております。どの動画も大変素晴らしい制作だと思います。当該記事中にご紹介すれば良かったのですが,私がブログの操作に未だ慣れていないので遅くなってしまいました。どうぞ,室生龍穴神社の御社殿・本殿・奥宮そして,巨大な磐座から流れ落ちる滝のようすをご覧ください。御眷属が守護されている雰囲気が伝わって来ると思います。合掌


さて,それでは「神様から授かったリスクマネジメント2」の続きを書かせて頂きたいと思います。自己責任論は,今では普通に社会一般で使われています。会社でも当たり前の前提事項として使われていますから,就業規則などで会社側と働く従業員との間でも知らず知らずの内に協定が締結されていたと云うことも考えられます。又,その適用範囲も広く,どこまでが自己責任なのか訳が解らなくなっているようにも感じます。この自己責任論に対抗できる手法としてもリスクマネジメントは,とても有効的な手段でもあります。そして,細かい事柄にも応用が十分利きますので,前回も記事にさせて頂いた相関図を作成されてみて下さい。

はじめは何がなんだか解らないと思いますが,自分の身近な事柄に当てはめて行くと使いこなせる様になって来ます。もし,自分の身近な事柄に当てはめが出来ない場合には,たとえば,ニュースなどの事柄で実験するのも良いかも知れません。今ならば,稲田防衛大臣と野党の質疑であったり,昨日の記事でも登場した某尼僧さんの発言であったりと自由にリスクマネジメントをして見て下さい。もう一度書かせて頂きますがリスクマネジメントの基礎基本は①「何の為にするのか?」=目的と趣旨です。そして,目的と趣旨が理解出来たら②「誰が何をするのか?」=役割と分担です。別の言い方で云うと「手段」です。さらに,それぞれの役割と分担が決まれば③「そのことで誰が又は,何がどうなるのか?」=結果と効果です。ここで注視しなければならないのが①②③の大前提になる「課題」です。つまり解りやすく申し上げるとテーマを予め決めるのです。その課題に基づいて,相関図を作成し①②③の順で立案,起案して行くことになります。たとえば,課題を「災害」に設定してみたり「健康」にしてみたり「仕事」でも何でも良いのです。仮に,既婚者の男性であれば「家族」と設定してみてると,自分が健康で仕事が出来る内に何をしなければならないのかが理解できると思います。自分に何か万が一のことが起きたら,残される家族はどうなるのか?そのためにどうするれば良いのか?を謙虚に素直に観つめることで,その先が自分で理解できるようになります。霊能者に頼み込んで多額の金銭を払って見てもらう必要もありません。要は,自分自身で霊視してしまえば良いのです。ついでに霊能者の霊視が出来るぐらいにまで慣れれば名人になれます(笑)私も,霊能者や住職さんの相談に乗らして頂くときにはリスクマネジメントの手法を駆使しています。一通りのお話を伺った後に,相関図を作成して赤丸の付く人物を探す作業をはじめます。そうして,①②③の順で起案して行きます。当の本人は自分のことを真剣に考えて,打開策や対応を私が考えていると思っているみたいですが,実は全然違います。本人は当事者ですから,本人のことは考えないのです。なぜならば,本人はどんな状況であろうと結果であろうと本人ですから当事者です。つまり,第三者にはなりえない人物と云うことになります。逆に,当事者のことを重視し過ぎると第三者へ被害が集中してしまいます。前回も申し上げましたが,危難や災難,被害は最も弱い立場の人に一極集中して起こる癖があるのです。そして,一旦,弱い者へ向かったエネルギーを止めるのは容易なことではありません。国家間の紛争が良い例かもしれません。パワーバランスと云うもので,強い者と弱い者が紛争をしてしまうと,一旦動き出した圧力を強い者は制御出来なくなるのです。また機会があれば書かせて頂きます。拝

以下は,私のひとり言です。稲田防衛大臣は,答弁に立つ場合「黒」か「紺」のスーツが良いです。何も柄の入っていない無事のものです。それと眼鏡は縁なしのものが良いです。又,答弁はハッキリと論点を絞って応答すること。してはならないのは,質問者が法的根拠を求めていることに精神論で押し切ろうとしないこと。質問者は精神論に誘導させようと法的根拠を求めて来ているのですから乗ってはダメです。はじめから法的根拠なんか示すことが出来ないことを知っていて質問しているのです。そういう場合には,逆に,質問の趣旨は?時には,法的根拠は何ですか?と聞けば良い訳です。司法試験の勉強をしているときに条文の趣旨から考えると教わったことを思い出すのです。その上で,質問者が道徳や精神論を述べるようであれば,その時は思いっきり道徳と精神論で答弁すれば足ります。先日の辻元さんからの質問の一部に「稲田防衛大臣が想っている英霊に対する気持ちは,そんな程度なのか?」と聴かれておりました。涙目になっていましたが,ここが見せ所でした。絶対的であり,唯一の見せどころで泣いてはなりませぬ。

神様をお祀りすることも先祖を供養することも,そして,先の大戦で亡くなられた全ての御霊に対し祈りを捧げることは,どこの国にいても出来ることだと思います。本当に真心を以て祈りを捧げたいと想っているならば,たとえ自分一人でも出来るはずです。戦没者慰霊式典に出席すれば,祈りを捧げたことになると云うのは本当の祈りではありません。それはただのパホーマンスです。出席できない特別な事情があれば,遠慮せずにどんどん任務を遂行することだと私は考えます。防衛大臣としての任務を自分の命を懸けて遂行することが何よりも祈りになると信じているからです。しかし,その一方で,出席できないからこそ出来たことがあったように感じています。私が筆頭秘書であれば,訪問先に向かう機内に,御水と御花を用意しました。そして,現地へ向かっている途中に稲田防衛大臣と形式を以て祈りを捧げ,戦没者慰霊式典の時刻には関係者全員で祖国「日本」を向いて黙祷の時間を設けました。これを忙しい防衛大臣に考えろと云うのも無理な事ですから秘書や応援団が提言するべきであったと今更ながら感じています。合掌


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                           ブログ開設125日目 記事数第135記 あさひの経済新書 編 


日弁連の失態と尼僧の懺悔

2016年10月14日 21時51分39秒 | 素直の心柱

こんにちは。夕暮れが近づくにつれ,だんだんと寒くなってお参りました。私も寝るときは,電気毛布に包まって寝ております。皆さまもどうか風邪など引かれませんように。今日は「神様から授かったリスクマネジメント3」を書かせて頂こうと思っていましたが,ニュースでも伝えられているように某尼僧さんの発言で物議を醸し出していた話が,尼僧さん本人の謝罪と云うことで終結するようです。私も「裸足の観世音菩薩」で少しだけ書かせて頂きましたが,何れにしても決着が見えそうで,これ以上だれも巻き込むことがなく終わりそうなので良かったと思います。但し,今回の物議で日弁連の思惑は遠ざかったと云えます。日弁連のミスです。

尼僧さんの考え方が,私たち世俗社会とかけ離れているのか?それとも尼僧さんの伝え方に問題があったのかは解りませんが,もう少し慎重さは必要だあったことは間違いないことだと思います。これも大事なリスクマネジメントでありました。尼僧さんの発言に端を発し,物議を醸し出したことに変わりありませんが,私は日弁連の講演運営に問題があったと感じています。やはり,日弁連の事務方にはリスクマネジメントを理解できる人物が存在しないことが認識できました。あのようなVTRを流せば,そのあとにどう云った反応や反響が来るか解りきっていることです。一体,日弁連は本気で当該制度の廃止を目指す気があるのか疑問です。

今日も仕事の関係でこれにて失礼致します。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

               

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                               ブログ開設124日目 記事数第134記 素直の心柱 編 


神様から授かったリスクマネジメント2

2016年10月13日 22時02分06秒 | あさひの経済新書

こんにちは。昨日は,自己責任と云う言葉が当たり前の様に使われ出して来たと云うことろまで書かせて頂きました。したがいまして,今日は,この自己責任から書かせて頂きたいと思います。そもそもこの自己責任と云う言葉が,一般的に使われ出したのは確か,小泉元総理の時代ではなかったかと思います。当の御本人も個別の事案に基づいて述べられて事だと思いますが,その後,マスコミや一般社会でも自己責任論が流行り出し,今では貧乏になることすら自己責任論と云われてしまう時代になってしまいました。

そのような社会が一部で形成されてしまうと,そこに利益を見出す人たちが登場してきます。いろいろあるとは思いますが,その中でも損害保険の商品に個人をターゲットにした個人賠償責任保険が増えるのではないかと私なりに考えています。損害保険は,最も分かり易いリスクマネジメントの手法であって,自動車を所有し運転される方であれば加入されていると思います。

もし,皆さまが,誰かとの会話や情報を入手する事において,自己責任と云う言葉が出たら一度,冷静になって考えて見てください。「自分の責任」「自分に担えるのか」「自分に負えるのか」自分に身近なことに置き換えて考えて頂きたいのです。私は,この自己責任と云う言葉が,どうも好きになれないのです。自己責任と云う本当の言葉の意味を考えることが重要だと感じています。

本日は,仕事の関係でこれにて。明日また続く。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

               

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                           ブログ開設123日目 記事数第133記 あさひの経済新書 編 


神様から授かったリスクマネジメント1

2016年10月12日 22時01分08秒 | あさひの経済新書

こんにちは。先進各国との共同歩調で経済・防衛・テロ対策などの世界的視野に立った政策が必要だと云われて久しいです。しかし私は,あえて世界に眼を向ける時節ではないと考えています。決して世界の先進各国との関係を軽視すると云うことでもないですし,関係弱化にするべきだと云うことでもないです。何がなんでも先進国と歩調を合わせると云うのは違う気がするのです。たとえば,経済の側面においても,先進各国の国々と同じ様な歩調で無理に推し進めても国民の暮らしは一向に良くならず,貧困層もますます増えて行くように思います。近年は,特に子供たちの貧困が増え続けていて,それが学校の進学や就職にも影響をきたして来ていると感じています。そこまでして,世界の先進国と歩調する意味がなかなか見出すことが出来ません。私は共産主義者でも社会主義者でもありませんが,なにか国民の知らないところで大きな動きがある様に思えてならないのです。TPPは所謂,防衛費だと風潮する人もいます。しかしながら,私は,天井の観えない高い防衛費になると思っています。TPPは,農林水産業に影響があるだけではありません。医療や保険,サービス業にも多大な影響があります。そうすれば,私たちの仕事の仕方そのものが変わります。

私たちのこの国は,これから多くの外国人労働者を受け入れて行きます。外国人労働者に頼らなければ働いてくれる人を確保できない産業が至る所に出て来ます。きっと,外国人労働者が日本の文化や企業文化に合わせるのではなく,日本企業が外国人労働者の機嫌を取り,外国人労働者の主張や要求に応じ,合わせて行くことになるだろうと考えています。日本が誇る世界最高峰の技術やサービスの提供は,勤勉で約束を守り,お客さんの立場に立った考えを持てる日本人だからこそ出来ることです。それは小さい頃からの教育や道徳観が大きな要因になっているのではないでしょうか。私個人的には,それらにプラスして祖先からの遺伝子(DNA)の影響が多大だと思っています。たとえば,大企業に外国人労働者が多く入社し,顧問弁護士も外国人だとすると,外国人労働者が人権や権利を主張しても,その外国人弁護士は日本企業の期待に応えるだけの能力はないと思っています。なぜならば,私たちの考える人権と外国人の考える人権やプライバシーの意識と認識には差がありすぎます。外国人には日本人特有の玉虫色やまあまあ,なあなあは通用しません。嫌なら嫌とハッキリと断り,良いなら良いとちゃんと意思表示しなければ信頼関係が築きにくいのです。

こう云った近い将来に起こり得る事柄に対し,日本政府や日本企業にどういった戦略的考えや発想があるのかをもっと国会などで審議して頂きたいと思います。総理大臣の憲法知識のなさを必要以上に露見させたり,個別の大臣の専門的知識を確認したりすることが豊かで平穏な国民生活に結びつくのか疑問符も多く付くような質疑が多い様に感じています。話がだいぶ飛びますが,戦後の企業は,連合国GHQの占領統治の財閥解体により分断や細分化され外資企業の介入を株式の持ち合いと云う方策で日本の戦後復興を支え,労働者を終身雇用することが出来ました。その企業を裏から支えてきた日本の官僚集団は,それぞれの業界に団体組織を設け,互助会や組合などを結成させて,護送船団方式と云う世界でも類のない官僚主導型で横並びにさせることにも成功してきました。しかしながら,バブル崩壊以降の金融改革によって護送船団方式が維持できなくなり,それぞれの企業が,自由に世界で活躍できるような企業育成に政策の軸を移して行きました。その結果,終身雇用維持できなくなり,労働者派遣が激増して多くの人が経済的な安定を保てなくなってしまいました。派遣労働全盛期には,派遣側の企業も登録者も強気に企業交渉を進め,好条件での就業を実現したいた業種もあったようです。そして,企業も優秀な人材の確保をする為に積極的に派遣労働者へ正社員の募集をしておりましたが,派遣労働者自身が拒否してきた事実もあります。そして,自己責任と云う言葉が当たり前に使われるようになりました。

明日に続きます。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

               

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                           ブログ開設122日目 記事数第132記 あさひの経済新書 編 


太陽神に感謝。

2016年10月11日 22時01分14秒 | 素直の心柱

こんにちは。ここ最近は,太陽神が東の空から昇り,朝のほんの数分だけ御姿を現され,その後は,厚い雲に御隠れになられたままであります。これだけ長く曇りや雨の日が続くと久しぶりの晴天の日は,太陽神に感謝せずにいられません。太陽神は,地球神にとっても自然にとっても大切なものです。もちろん,私たちにとっても様々な恩恵を齎してくださいます。太陽神が御隠れになられたままでは,私たち人間は生きて行くことが出来ません。今年の秋の収穫物の価額が高騰しなければ良いなと考えております。五穀豊穣こそが経済の原点でありますから,その五穀が不作になると国民の生活がより厳しい環境に立たされてしまいます。

先の大戦中に岡本天明さんへ降ろされた,ひふみ神示「日月神示」でも太陽に関する記述や五穀豊穣についても繰り返し警告されています。

今年,来年,再来年の2年2か月を何とか皆様と共に乗り切って生きたいと思います。ここから先は,何が起こるか解りません。予測不可能な事,予期せぬ事など私たちを取り巻く環境は良くも悪くも様々な現象を生み出して行くことだろうと思っています。この国はいったい,どこに向かって進んでいるのか?自然界はどう変貌するのか?経済はどうなるのか?国民の暮らしはどうなるのか?これまでの経験則では計れないのではないかと感じています。国民年金基金はもう既に破綻していると思っています。

今こそ,本気で,本格的に内需に眼を向けるべきです。今日は,仕事の関係でこの辺で失礼します。太陽神に感謝。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設121日目 記事数第131記 素直の心柱 編 


仏教界のスーパーヒーロー 観世音菩薩

2016年10月10日 22時51分10秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。先日,動画サイトにて宗教団体なのか宗教サークルなのか解りませんが「観音様に呼ばれる人」と云うことをテーマにした勉強会のような動画サイトがありました。動画でしたが映像はなく音声のみでしたが,私の思い考えることと相違があるなと云う意味で興味深いものでした。観音様はどんな存在ですか?と聞かれると,多くの人が困っている人を救ってくれる存在であり,願い事を叶えてくれる存在とお答えになると思います。確かに,仏教寺院の僧侶もその様に観音様の存在を伝えていますし,観音経と云う経典の一部にもその様に書かれております。今日は,私たちにとても身近な観音様の存在を少し書かせて頂きたいと思います。

まず観音様と云っても観音様には○○観音と云うようにたくさんの観音様がいらっしゃいます。たとえば,仏教の六道思想に観るように天界を担当する如意輪観音,人間界を担当する准胝観音,修羅道を担当する十一面観音,畜生道を担当する馬頭観音,餓鬼道を担当する千手観音,そして,地獄道を担当する聖観音を六観音と申します。その六観音の内,今日は,地獄の世界で人々を救済される聖観世音菩薩についてです。私たちが一般的に呼ぶ観音さまとは,この聖観世音菩薩を観音様と呼んでいます。仏教の経典の般若心経や観音経で唱える観音様も聖観世音菩薩です。つまり,仏教界のスーパーヒーローと云ったところでしょうか。

観音様は,困っている人や弱い立場にある人を救済することを唯一の任務とされております。つまり,困っている人や弱い立場にある人を救済できるだけ強いとも言い換えることが出来ます。さらに,地獄の淵まで降りて行くことが出来る存在です。したがいまして,本当の観音様と云うのは,観音様自ら地獄まで降りて行って困っている人や弱い立場にある人の元へ行き救済するのです。決して高い場所から声を掛けて叫び続けることではありません。まさに,着の身着のまま裸足で飛び出して行くのが,私たちが祈りを捧げる観世音菩薩の真の御姿です。いろいろと諸説ありますが,私個人的には,聖観世音菩薩は,神界のスーパーヒーローが人々を救済する際に用いる御姿だと思っています。蒼き神の素戔嗚大神様で御座います。黄泉の国を統治する神は,素戔嗚大神様です。

その動画サイトで話されていた内容は「普通の人は観音様のところで厄を落としに行くんだ」しかしながら「私たちは役を貰いに行くんだ」と云う内容でした。つまり,自分たちが観世音菩薩のように菩薩行をする人になるのだと云う趣旨の話でした。ここまでの話は,私たちもいろいろなところでよく聞く話です。新興宗教でも何かと多く引き合いに出されるのが観音様です。しかし,私が思い感じたことは,何故,そこで話を止めるのか?その奥の話をされないのか?が疑問でした。なぜならば,ここまでの話を聴いて実際に人の厄を貰い,人の役に立てると信じて菩薩行を実践しても実感が感じられないどころかこの世では厳しい立場つまり,環境に立たされることが多いのです。その主な理由は2つあります。1つ目は,物質世界に人の価値観を見出すことではなく,生き方や道徳,精神世界に真の価値を見出すからです。2つ目は,私たちは常に見返りを期待してしまう様になってしまっているからです。

先にも申したように,観音様は困っている人や立場の弱い人を救う尊い存在です。しかし,ここだけに着目してもその先にある本当の姿を観ることは出来ません。たとえば,細かい日常的な事柄ですが,自分から人に挨拶をして,相手から挨拶がなければ嫌な気持ちになります。何か人に良い事をして,相手から何も感謝もされない。ありがとうも言ってもらえないと寂しい気持ちになります。中には,人に良くしてもらったら感謝するのは当たり前だ。こんなに自分はしてあげてるのにと怒り出す人も居るかも知れません。

それは何故か?です。日常生活によく在りがちな話でもあります。どうして,私たちは,その様に感じてしまうのでしょうか。もし,その様な不平や不満を抱くのであれば,それは菩薩行とはかけ離れたものです。その様な気持ちはやがて,人を恨み心を穢すことになってしまいます。菩薩行には,感謝されること。ありがとうと言ってもらえることは,はじめから予定されていないことです。つまり,一方的な行為が観音様の菩薩行ですから,相手に感謝されるとか有難うと云ってもらうとか言う話にはならないのであります。物質的な見返りがないのが菩薩行であると考えていた方が,逆に,何ら見返りを期待せず,執着することなく済みます。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設120日目 記事数第130記 奉仕の心柱 編 


裸足の観世音菩薩

2016年10月09日 21時13分34秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。裸足の観音様がいらっしゃったので,下駄を奉納させて頂きました。ここ最近,雨や曇りの日が続き,これから寒い冬がもうすぐ来ますから履いて下さると有難いと思います。こちらの観音様は聖観世音菩薩です。

一昨日のニュースで,某尼僧さんが,日弁連「日本弁護士連合会」が開催する講演で死刑制度廃止論に伴って「ばかどもと闘ってください」と発言されたことが物議を醸し出しているようです。その発言の元になったことは何かは解りませんが,被害者側からの抗議が相次ぎ,日弁連は謝罪の意思を表明したようです。元々,日弁連は死刑廃止を提言する団体ですが,死刑制度は刑法第199条に規定された法律(実体法)です。したがいまして,日弁連は刑法第199条の廃止を要求していることになります。日弁連の提言は別として,なぜ,日弁連は尼僧である宗教家へ意見を求めたのか?

さらに,その尼僧は何故,日弁連の要求に応じたのか?そちらの方が,私としては気になるところでもあります。なぜならば,今の法律と宗教及び法律家と宗教家は対極に立つ立場であることが多いからです。交り合うことは,ほとんどありえないのです。私個人的には,交り合える接点を模索すると憲法か法哲学の分野ぐらいではないかと思います。法律家の役割とは理屈を組み立て理論付けを行い,事実と論理と言葉で相手を説得するものです。つまり,正義であるかどうかを実現することでは,残念ながらありません。

司法試験や法律系の資格試験の勉強をされるとよく解ると思いますが,道徳観を以て勉強すると内容が理解できません。まず問題の意味も解りませんし,なんで?こうなるのか?解らなくなると思います。それが随所に出てくるのが論文試験ではないでしょうか。理屈を組み立てることを起案と言いますが,道徳的な観念では理屈を組み立てることが出来ないのです。なぜならば,規範の元になるのは道徳ではなくて,法律だからです。それ故に,裁判などの訴訟は正義が勝つと云うことには結びつかないのであります。

たとえば,民法の勉強をすると最初の方に「善意」「悪意」という言葉が登場します。私もそうでしたが,これを道徳的に考えると「良い」「悪い」と云う解釈になります。これは普通の感覚だと思います。しかし,法律と云う学問で考えると内容も意味も全く違います。「善意」とは,ある事実を知らないこと。「悪意」とは,ある事実を知っていること。そのように考えるのです。

しかしながら,宗教家の役割と云うものは,人が人として道徳に沿って正しく生きて行くための教えを施すことを目的としています。要は,法律家は,法や法律と云う一部の人が多くの人間を支配する目的で作り上げた規範に付き従い,宗教家「僧侶」は,お釈迦様の唱えた仏法に付き随うことを目的としています。紛争や訴訟と云う「修羅道」の世界に身を置く弁護士と道徳や仏法と云う「仏道」の世界に身を置くもの同士が話をしても交り合うことは出来ないと考えています。仏様は良い人も悪い人もすべての人を救い,正しい道に導くと云われていますから,そもそも相手と闘うなどと言う発想や敵視,敵意を抱くことはありません。

確か,真言宗の豊山派と云う団体で,大変興味深い議論がされていたのを想い出しました。それは,もし,僧侶が裁判員裁判に選ばれた場合,選ばれた僧侶は被告人に対し,死刑と云う極刑を言い渡すことができるかというものでした。これは,私にとっても大変勉強になりました。普段は道徳を説く僧侶が,実際に裁判員として死刑を言い渡せるのかどうかとても興味がありましたし,この様な議論や勉強会が宗教家の間で広がると良いのではないかと思います。私は,この世で償える罪ばかりではないと考えています。

ですが,弁護士は常に相手に勝つことを前提にしていますから,敵視,敵意のような戦意がなければ仕事になりません。裁判は勝ち負けがハッキリとする場であります。ただ,民法などに見る私的自治や信義誠実の原則などは道徳を基礎基本としていますし,刑法の前提となっているのも宗教が元でした。以前にもブログで少し書かせて頂きましたが,科学も経済も医学も法律も元々は信仰の対象として存在していたものです。それを,人間が分離分割させて行った所に根本の深い問題点があり,その問題点が現在の様々な不幸をもたらしていると私は感じています。そして,その不幸は必ず弱い者に集中的に起こるものなのです。集中的に必ずです。

勉強が大嫌いの私ですが,憲法を深く勉強すると神道を学んでいる感覚がありました。憲法に見る天賦人権「自然権思想」はその最たるものです。憲法の基礎基本は神道にあるものだと感じるようになり,民法や刑法などの実体法も民事訴訟や刑事訴訟などの手続法も深く研究すればするほど神道や信仰に辿り着きました。つまり,入口はすべて信仰が元であることを知り,人間は古神道に始まり,古神道に戻るのだと感じています。宗教でも科学も経済も医学もどの学問でも行き着く先は生命だと私は思っています。

仏教者である宗教家の役割は,闘わせることではありませんし,葬儀をすることでもありません。元々,仏教に葬儀を司る目的もありません。厳しい修業をすることでもありません。本来は,人が人として生きるための道徳を説くことが目的であったはずです。しかしながら,時代と共にその姿は葬儀を司る仏教へと変わってしまいました。立派な寺院を建設するために,檀信徒から多額な資金を募ることはもう出来ません。今一度,多くの人に道徳を説く真の仏教者である宗教家が登場することを夢見ています。

いつも神様は「我こそはと想う者,自ら手を挙げ名乗り出よ」と申します。拝


 

2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


晴れの日が続く日は もう来ないかもしれない。

2016年10月08日 19時42分07秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。熊本の地震以降,ずっと懸念して来た阿蘇山がとうとう噴火してしまいました。今回の噴火が,さらなる噴火を誘起するものなのかどうかは解りませんが,この阿蘇山が太古の昔に見せた様な大規模噴火を始めると九州地方には人間は住むことが出来ません。古神道的に云うと火山は神そのものと考えて来られましたから,今回の噴火に何かしらの神意があると考えています。大自然が動くとき,私たち人間の暮らしも大きく変わります。時にそれは,人間の生命を左右するほどのものであります。それを5年前の東日本大震災で私たちは思い知らせれました。私が最近,妙に変だなと感じているのが,最近の気象状況です。もう晴れの日が続く日は来ない。なんて思う日もあります。もし,そうなってしまうと私たちの生活や暮らしはどうなるのでしょう。農林水産業も経済も五穀豊穣も壊滅します。大自然の急激な変化は人間の精神にも多大な影響を与えるはずです。心の病と紛争が増えます。

大自然そのものである太神様は,私たち人間に反対「本当」の世界を見せようとされて居られるのかもしれません。たった一日の晴れの日をとても感謝せずにいられない日が来るかもしれません。すでにもう始まっているのかも知れません。私たちは,大自然や自然の恩恵や恵みをあまりにも当たり前と考えるようになってしまったことで,私たちは大自然や自然に感謝することさえ忘れてしまっているのです。太陽神が御隠れになると私たち人間は生きて行くことが出来ません。もしかすると,今回の阿蘇山の噴火は氷河期が到来することを告げる狼煙「合図」かも知れません。氷河期時代に生き抜いた私たちの祖先が生命を繋げることが出来たのは火山のおかげです。火山がなければ,氷河期に人間は生きて行けません。本来,それを伝える役目の神道家も宗教家も今はいません。

日本神話にある太陽神の岩戸隠れを思い出してください。私は,日本神話は単なる物語ではないと云うことを以前,ブログでも書かせて頂きましたが,素戔嗚大神様が大国主神様をこれでもかと試されたことやスセリ姫が大国主神様と互いに協力し合い,素戔嗚大神様の与えた試練を乗り越えて行く様子は,現代の夫婦や会社,知人,友人との関係を考えたとき,とても参考になることだと最近特に感じています。つまり,ただ純粋だけでは厳しい社会では生きて行けないと云うことを教示してくれているものだと感じています。社会は本当に厳しいです。これでもかと云うくらい厳しいものです。その中で,自分自身がどう生きて行くのかを日本神話は示しているのではないでしょうか。これを単なる物語と解釈するのは勿体ない気がしてなりません。過去の日本の歴史を勉強すればする程,日本神話が転写されているように観えます。例えば,天皇陛下の祈りの根本も国譲りに観ることが出来るのです。

私たちは,昼間の世界が本当の世界であると考えています。つまり,光と闇であれば,光が表で本当だと思っていますが,これは古神道的に云うと全く違うのです。本当の世界と云うのは「闇」なのです。そこに,大自然と云う神様の御働きによって光が生まれると考えられて来たのです。太陽は明るく暖かいと私たちは考えていますが,太陽は明るくありません。もし,太陽が高熱の塊で,その熱が地球に届いているのであれば,地球と太陽の間の宇宙空間は明るくなっているはずです。でも,宇宙空間は「暗い」です。暗い世界に神様の御働きがあるからこそ明るい世界を私たちは頂けるのです。それを縄文以前の古神道はとてもよく判っていました。

現在の神社神道でも重要な神事は,必ず夜に斎行されます。たとえば,伊勢神宮の式年遷宮も上賀茂神社の式年遷宮も夜です。この辺のことは,また機会があれば書かせて頂きたいと思います。人間の生命の尊さとはなにか,なぜ人間が生まれ,生き続ける理由はなんなのか。そう言ったことを教えてくれる神道家も宗教家もいなくなってしまいました。ならば,私たちひとり一人が心に宮柱を太如き立てることが必要だと考えています。そして,誰であっても可能だと私は本気で考えている今日この頃です。もし,私たちが成長し,宗教や教えはいならい!と宗教家へ告知した場合,告知された宗教家は,私たちに何という言葉を投げかけるのでしょうか。仏教の祖,お釈迦様はやがて教えが必要のない時代が来ると云われています。神恩感謝に毎朝毎夕祖霊に感謝。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                          

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設118日目 記事数第128記 謙虚の心柱 編 


今日は独り言です。

2016年10月07日 21時04分11秒 | 反省の心柱

こんにちは。今日は久しぶりに北斗七星にお祈り出来ました。ここ最近,雨や曇りの日が続いていて,お祈りすることが出来なかったので嬉しいです。本日は,ひとり言を書きたいと思います。ただまた明日から雨や曇りの日が続くようです。

がんばれ!麻央ちゃん!

最近,歌舞伎俳優の奥さんが深刻な癌である状態にあることを発表され,本人も毎日,ブログで近況や今の想いを発信されています。又,この話に便乗してか何なのか解りませんが,余命だとか死相出ているだとかをインターネットに書き込んでは客引きらしきことをされている霊能者の方もおいでになるようです。しかし,とうとうその話はエスカレートして歌舞伎役者である本人の先祖の因縁云々を語りだす始末です。もうこうなると言ったもの勝ちみたいな惨状です。それとも自分を誇らしく思わせる為にしているのか訳が解りません。奥さんは,とにかく,自分の身体に感謝することです。感謝しながら,身体をさすって上げること。「今まで本当にありがとう」「無理させてごめんね」と云って愛情一杯に感謝して身体をさすって上げることです。さらに,毎日飲む御水に感謝を捧げて頂くことです。御水の御力を勧請するのです。御水の神様を信じて。それと,どんな家系でも因縁はあります。

がんばれ!ともちん!

昨日の記事で,稲田防衛大臣のことを書かせて頂きましたが,とうとう金銭絡みの問題まで質疑される様になってしまいました。金銭絡みと云っても,現金などを受領したのではなく,白紙の領収証を大量に受け取ったり,発行したりと到底,民間では考えられない方法で金銭の受け取り,支払いの証明が常態化していた上,自分の事務所,相手の事務所で日付けや領収金額を記載していたようです。やはり,どんな政治家でも金銭的な問題はいくらでも話が出てくるなと感じてしまいました。これからも長く政治家であり続けると云う考えがあるのであれば,リスクマネジメントを使いこなせる人物を側近として側に置いておくことです。

昨日も書きましたがリスクマネジメントの基礎基本は「何のためにするのか」=目的と趣旨です。「誰が何をするのか」=役割と分担です。「そのことで誰が又は,何がどうなるのか」=結果や効果です。これを身近な事柄に当てはめて考えて行くと使いこなせる様になります。つまり,応用が出来るのです。それでも理解出来なければ,もっと簡略的と云うか簡単な図柄で試しにやってみて下さい。先ず,一枚の用紙の真ん中に自分の名前を書きます。次に,家族ひとり一人の名前を自分の周りに書いて行きます。最後に,自分と家族の名前を線で結びます。そうすると相関図が出来上がります。その相関図に一番弱い立場の人を赤丸で囲みます。これで完成です。自分を取巻く家族構成で,最も被害が大きいのは赤丸の人です。その赤丸の人を御守りするようにすれば問題は生じません。なぜか?それは,マイナスの事柄は,必ず最も弱い者へと集中的に起こるのです。ですから,事前に赤丸の人は誰かを見つけ出すことが重要なのです。但し,これは個別具体的な事柄の内容によって全く違ってきます。もちろん会社でも使えます。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                         

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設117日目 記事数第127記 反省の心柱 編 


稲田防衛大臣に想うこと。がんばれ!ともちん!

2016年10月06日 19時52分38秒 | 奉仕の心柱

こんにちは。国会が開会され,野党は予算質疑でターゲットを稲田防衛大臣に定めているようです。そして,野党から厳しい質疑が続いているようです。私も動画で一通り観ましたが,連日の質疑で少し疲れだしている感じが見て取れます。前にもブログで稲田防衛大臣の就任を受けて少しだけ書かせて頂きましたように,理屈を使いこなせるかどうかとシビリアンコントロール「文民統制」などと云う幻想を捨て去ることです。そして,有能な人材確保に努めるべきです。有能とはどの様な人物像が理想かと申しますと今は「リスクマネジメント」が使いこなせる人物です。そう云った人物を自分の側近として側に置くことです。これしかありません。

東京都知事である小池さんとはタイプが違いますので,相手を呑み込むくらいの器量はないのではないでしょうか。自分の大臣としてのスタイルを早期に確立すること。過去に自分が積極的に発信してきた発言に足元をすくわれないようにしなければ中々厳しいのではないかと思います。稲田防衛大臣の様な方は,前評判がとても凄い良いのです。つまり,期待値が高いのです。しかし,実際に大臣と云う立場になると評価が下がる傾向にあります。自分自身の考えと現実的に大臣としての考えでは雲泥の差があると実感されているかもしれません。又,自分の考えと大臣としての職責の狭間で苦しんでいる様にも見えます。野党からは格好の標的です。

しかし,自分の弱い部分を認識して,弱さを素直に認め,すべて受け入れることで防衛大臣としても政治家としても強くなれるようにも思います。万が一,稲田防衛大臣のマネージャー的なことを旦那さんがされているのであれば,止めることです。旦那さんには無理です。なぜなら,旦那さんも法律家だからです。つまり,思考回路は同じです。稲田防衛大臣以上のものはありません。

それは,法律家の弱点を理解することにあります。稲田防衛大臣も弁護士出身と云うことですから法律家であります。では,法律家の弱点とは何か?それは,質問「する」ことには優れていますが,質問「される」ことには弱いのです。どの法律家もそうです。ですから,法律家で大臣になった人で活躍された人はそんなにいないはずです。質疑に真正面から応じると負けるのです。この間まで,民進党の政調会長をされていた山尾さんが良い例です。山尾さんは元検事ですから国会質疑を聴いていても質問の趣旨や理屈などの理論を組み立てることに優れています。要は,尋問させると力を発揮することが出来るのですが,尋問されると答弁に説得力もないのです。稲田防衛大臣も野党の時代の方が輝いていた様に見えます。現在の民進党が与党時代に予算委員会などで展開されていた姿は多くの人をひき付けたと思います。しかしながら,今は違います。与党であり,防衛大臣であります。当然,攻める側から攻められる側になったのですから,これまでと同じ考えでは論戦にはならないと考えています。今の感じでは,仮に,民進党の山尾さんが質問に立ったら稲田防衛大臣は官僚の答弁書を読み上げるしか出来ず,多くのファンを失望させるでしょう。稲田防衛大臣も山尾さん同様に,尋問することでは力を見せつけることができますが,尋問されると訳の分からない答弁をすることで時間を稼ぐしかないのです。これではリスクマネジメントになりません。誰かの責任にするのが精一杯です。実に気の毒になってしまいます。

リスクマネジメントの基礎基本は「何の為にするのか」「誰が何をするのか」「そのことで誰が又は,何がどうなるのか」を起案及び立案できる能力のことを言うと私個人的には考えております。しかし,真に残念ながら,この能力は法律家にはありません。マッカーサーが言った言葉を思い出してください「日本人は12歳程度の能力しかない」と言ったことを。そして,このマッカーサーが言った12歳程度の能力とは何を意味するのか?これも私個人的な解釈ですが,マッカーサーが言いたかったことは「理屈を使いこなせる能力」と云う意味であったと思います。法律家の思考と云うものは常に「要件」と「効果」で出来上がっていますので,そこに当てはめられないと思考が停止状態になるのです。先日の予算委員会で質問に立った蓮舫さん,辻本さん,福山さん等の質問に応じた姿を御自分で再度ご覧になると良いと思います。本当は,秘書がするべきと思いますが,しないでしょう。

そうなると,官僚の作成した書き物を読み上げるしか出来ません。防衛委員会での会議中の動画にもありました。官僚は大臣を名大臣にすることも出来ますが,叩き潰すことも簡単にできるだけの力を持っているのです。これでシビリアンコントロール「文民統制」が出来ない理由が分かって頂けると思います。専門的な知識を有する官僚と何ら専門的知識を有しない素人の関係を受け入れ,そこから組み立てることです。愚者は経験に学び,賢者は歴史から学ぶと云う言葉を思い出して頂きたいと思っています。

気を付けよう甘い言葉と文民統制 がんばれ!ともちん!拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設116日目 記事数第126記 奉仕の心柱 編 


高天原とは自分自身の心「心界」のことです。

2016年10月05日 22時15分51秒 | 反省の心柱

こんにちは。心配していた台風18号も今夜には温帯低気圧に変わるとの予報が出されていますので安心しました。左の写真は,京都の貴船神社に御鎮座される相生杉であります。堂々とした風格をいつも感じます。奥宮の少し手前に位置しています。

 

今日は,現在の神道に伝わる祝詞に大祓詞と云う祝詞がありますがその大祓詞の中に登場する高天原について記事にさせて頂きたいと思います。今日でも全国の神社で毎朝,宮司さんや神職さんがお祀りされている御祭神へ奏上されています。この大祓詞については,以前,私もブログで記事にさせて頂いたことがありました。「大祓詞は神様からの音の波動です。」もし,宜しければお読みください。大祓詞の中には「高天原」と云う言葉が登場してきますが,この高天原には神様がいる世界だと考えられていて神界と呼ばれることもあります。しかし,その高天原がどこに存在するのかを知っている人は誰もいません。稀にいるようですが。

私は,この高天原は人それぞれの心に存在するものであると考えいて,外の世界には存在していないと思っています。つまり,外・外観に高天原と云われる世界や場所を特定させようとか探そうとしても永遠に探すことは出来ず,きっと気付くこともないのではないかと感じているのであります。神道でも仏教でもよく死生観を述べられる場合があります。神道ではこの様に考えているとか仏教ではこの様に考えていると云うようにです。又,臨死体験を経験された方も同じように死後の世界を語られることもあります。

しかし,話している人の内容をよく聴くと皆さん違います。一体,この違いはどこから来るのか?何を意味するものなのか?なぜ,人によって違う風景や景色と異なった空間「世界観」を観るのか疑問でした。しかし,ようやく少しだけ音霊を言霊に変換出来てきたように思います。それは,自分自身の心が見せているものではないかと考えたからです。つまり,生前中の行い(業)の一切すべてを自分自身の心が観ています。心が観ていると同時に,高天原を創り上げていると感じているのです。自分の心(高天原)に坐します神様(御分霊)がすべてを観ていて,記録していると云うことがあるようです。その膨大な記録に基づいて心と云う高天原の建設をその人の生前の行いに応じて創り上げていると考えています。例えば,生前に愛情を以てお花を育てていた方は,死後,お花畑が一面に広がる世界を観ると思います。また生前に山や川,海などの自然を愛していた方であれば,自然の風景を観るようになると考えています。したがいまして,こう云った世界を創り出しているのは自分自身のようです。だからこそ人それぞれに違った世界観を観ることに繋がる訳です。もしかすると,神界とは心界とも言い換えることが言葉では出来るかもしれません。


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

               

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設115日目 記事数第125記 反省の心柱 編 


水の神への感謝参詣 伊雑宮 編

2016年10月04日 19時01分11秒 | 感謝の心柱

こんにちは。内宮の参拝を終えて一旦,神宮会館に戻り手続きを済ませて,知る人ぞ知る志摩市磯部の伊雑宮へ向かいます。伊雑宮は,本宮とも云われ本当の伊勢神宮とは伊雑宮だと主張される方々も多いことでも超有名です。左の写真は,内宮神域内に御鎮座される風日祈宮(かざひのみのみや)に設けられた風日祈宮橋です。別称:五十鈴川御橋とも呼ばれることもあるそうです。風日祈宮は,鎌倉時代の蒙古襲来の際に神風を吹かせ日本へ来襲して来た10万の敵兵を全滅させた上,日本の国難をお救いになられた神様をお祀りされております。本当に清々しさを実感出来る御宮です。

内宮さんから志摩市磯部の伊雑宮までは自動車で30分から40分前後で到着します。内宮の後方,島路山を越えて行きます。こちらの伊雑宮には別宮唯一の神田が存在し「伊雑宮御田植祭」とし毎年6月24日には氏子崇敬者が集い盛大に神事が斎行されています。日本三大御田植祭としても有名です。下に掲載させて頂いた写真が,その神田である御料田です。私はこの場所が好きで,毎回参拝させて頂くと必ず最後にお参りをさせて頂いています。とても気持ち良く,異空間のような感じがします。近くには,伊勢神宮の御師をされていた方のご自宅もあり,伊勢志摩の歴史や伊雑宮の歴史などを資料として展示されていたり,自家製の窯で焼きあげた御塩や稲穂を参拝に来られる方々へ奉仕されています。又,前回も伊雑宮さんのことを記事で書かせて頂いたとおり,御酒屋さんでは伊勢神宮の御料酒である白鷹を販売しております。私の住む地域では白鷹さんの御酒を販売しているところがないので,いつもここの酒屋さんで買わせて頂いています。まだまだたくさん伊勢志摩の魅力はありますが,是非とも伊勢神宮へ参詣される予定のある方は,ここ伊雑宮に参拝されてみて下さい。大変素晴らしい御宮ですし,伊雑宮こそが本当の伊勢神宮だと云われる所以が少しでも感じ取って頂けると感じています。これにて水の神への感謝参詣を終わりにさせて頂きたいと思います。今回の京都・奈良・伊勢の参詣は此れまでの参詣とは全く違ったものになりました。有難う御座いました。拝

 


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                 

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設114日目 記事数第124記 感謝の心柱 編 


水の神への感謝参詣 伊勢神宮「内宮」 編

2016年10月03日 21時19分50秒 | 感謝の心柱

        

こんにちは。また台風(18号)です。沖縄に接近している様子ですが,避難勧告も発令されているようですので,早めの避難と準備に備え,どうか御用心下さい。台風のような自然現象は,事前の防災対策である程度の被害を減災できると思います。以前にもブログで情報提供させて頂いた,自治体が取り組む災害対策基本法に基づく「災害時要援護者」登録などの制度を活用されることで,自治体も被災者救出に向かう時間を大幅に短縮できると感じています。独り暮らしの高齢者や被健常者,乳幼児を抱える父母,日本語をしゃべることの出来ない外国人などの所謂,災害弱者の為に設けられている制度です。各市役所の防災対策課などで案内をされているはずですので確認されてみて下さい。もし,自分が被災者になってしまった時,必ず助けに来てくれると云う精神状態と助けに来てくれるかどうか解らない状況の精神状態では,私個人的には少なからず精神状況の面で違ってくるように思っています。

さて,早朝の外宮さんを参拝させて頂き,次に向かうのはお馴染みの内宮です。上の左側の写真は宇治橋の入口です。この画像はテレビやニュースでも放送される際にたびたび使用されているので見たことのある方も多いと思います。そして,右側の写真は宇治橋を渡りきったところに立つ鳥居です。この両方の鳥居を支える柱は,今回の式年遷宮の為に撤下された御正宮の棟持ち柱だった重要な柱です。つまり,古材です。ちなみに,宇治橋入口に立つ鳥居の柱は外宮の御正宮を支えていた棟持ち柱で,宇治橋を渡ったところに立つ鳥居の柱は内宮の御正宮を20年支えてきた重要な柱であります。

したがいまして,現在の外宮・内宮の御正宮を支えている棟持ち柱は,20年後に宇治橋の鳥居として御鎮座されるのです。さらに,それだけではなく,宇治橋の鳥居としてのお役目を終えた後に,三重県桑名市の「七里の渡し場跡」で新たに鳥居として復活されることに定められているようです。通算すると60年と云う年月です。

私が住む地域の氏神神社にも第60回式年遷宮で撤下された古材を貰い受けて鳥居として建立しております。下の写真は,内宮の御手洗場ですが,この日は連日の雨で五十鈴川が増水していて立ち入り禁止となっておりました。私は内宮さんの御手洗場で少しのんびりとしているのが好きで,楽しみの一つとしていますが残念です。とても綺麗な川ですし,以前は錦鯉も悠々と泳いでいることもありました。最近はあまり見掛けなくなりました。昔は,この御手洗場で参拝に来られる人々は禊を済ませていたと云うことです。

五十鈴川の伏流水は,おかげ横丁で販売されています。私も稀に,おかげ横丁のWebサイトからですが注文して自宅の神様の御神前でお祀りされて頂いております。通常の参拝順路ですと五十鈴川で手と口の禊を済ませてから長い参道を歩き,先ずは御正宮へ向かいます。外宮さんの参拝が大よそ1時間前後ですから,内宮さんに到着するのが7時過ぎくらいです。まだこの頃は,参拝者の人数もそれ程多くなく,ゆっくりとのんびり参拝させて頂けます。しかし,私には御正宮に到着するまでにしなければならない重要な任務が御座います。それは,参道などに落ちているゴミ拾いです。外宮さんでは,ほとんど落ちていませんが内宮さんは参拝される人の数も多いですから内宮さんでは結構忙しくさせて頂けます(笑)決して悪気があってわざと落としているのではないと思いますが,意識して拾い集めをしているといろいろな物が落ちています。唯一,いつも残念に想うのは,五十鈴川に小銭を捨てていることです。きっと,縁起を担ぐためか御利益を求めて投銭されているのだと思いますが,何の御利益もありませんし,逆に,川を汚したりする行為には縁起が良いとは思えません。それはそれとして,御正宮で参拝させて頂いた後の順路は,荒祭宮・御稲御倉・外幣殿・御酒殿・由貴御倉(ゆきのみくら)・四至神(みやのめぐりのかみ)・風日祈宮(かざひのみのみや)・瀧祭宮・大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)・子安神社の順で参拝させて頂いて内宮を後にします。このそれぞれの御宮の内,ほとんどの方が参拝されていないところもあります。しかし,どの御宮も内宮ととても関わりが深かったり,神路山の神様であったり,内宮の神域をお守りされている神様であったり,五十鈴川の神様をお祀りしております。全体で大よそ1時間前後の参拝順路です。

そしていよいよ伊雑宮に参ります。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                          

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設113日目 記事数第123記 感謝の心柱 編 


水の神への感謝参詣 伊勢神宮「外宮」 編

2016年10月02日 23時08分17秒 | 感謝の心柱

        

こんにちは。室生寺を離れ,2日目の参詣を無事に終えることが出来たところで,宿泊する為にお世話になる伊勢の神宮会館へと自動車を走らせました。いつも夕方前には伊勢に到着し,夕食は毎回決まったところで済ませてから神宮会館へ入ります。ここ神宮会館は,伊勢神宮の崇敬会が運営されているお宿です。内宮から最も近く,正面の道路を渡ると,おがけ横丁があります。しかも,宿泊料金も素泊まりですと4500円からですから食事はおかげ横丁で楽しみたいと云う方には料金的にも魅力的であります。特段,崇敬会員でなくても誰でも宿泊できるので中々,予約が取れません。ちなみに,私の伊勢神宮に参拝させて頂くときの常宿です。

先ず,神宮会館に到着すると最初にすることがコインランドリーで洗濯をします。乾燥機もありますので,長旅の人にも良いかも知れません。ただ,洗濯洗剤がないので近くのコンビニか持参しなければなりません。そして洗濯をしている最中にお風呂に入って用事を済ませ,明日の準備をして,少し直会をしてから,だいたい夜の8時から9時頃には就寝してしまいます。翌朝は,4時30分頃から5時頃に起床して,お風呂で禊を済ませてから出発となります。神宮会館では,毎朝早朝に,宿泊者さんに限って内宮の早朝参拝とガイドの案内をされております。もちろん無料です。昔で云うところの御師さんのような感じです。

始めに参拝させて頂くのは外宮さんです。伊勢神宮では始めに外宮「から」お参りすることを古来からの習わしとしており,これを外宮先祭と呼ばれています。伊勢神宮にお参りに行かれても外宮に参拝されない人が結構いらっしゃるようですが,これは真に勿体ないことです。しかも,早朝の伊勢神宮は,まだ参拝者の方もそれほど多くなく,人気を気にせず,ゆっくりと参拝できますし,何といっても神域内に張りつめた空気が昼間とは格段に違います。特に,外宮では誰でも感じることが出来ると思います。なぜ外宮さんから先にお参りをするかという事には,昔からいろいろと諸説があります。そう言った過去の文献などの話は別にしても,外宮と内宮では神域の神気や感じ,お祀りされている神様も全く違います。私は,どちらかと云うと外宮さんの神気が好きですが,どちらにしても外宮には参拝させていただいた方が良いです。外宮の神域には,御正宮をはじめ別宮の多賀宮,風宮,土宮と云った神様もお祀りされております。その中でも,小高い山の上に御鎮座されます多賀宮の御社殿は凄い神気が満ち溢れています。一番最初に私が参拝をさせて頂いた時,瞬時に音霊が言霊に変わったのをよく憶えています。しかも,自分の胸の辺りからハッキリとした声でした。その内容はブログでは書けませんが再会を想わせる内容でした。今の御社殿ではなく,式年遷宮が斎行される前の御社殿のときです。多賀宮さんは,レイキヒーラー霊能者に人気があるらしくインターネットなどで検索すると様々な情報が出てくるところでもあります。確かに,御正宮の別宮となる御宮ですから神気は凄いものがありますし,インターネットなどで話題になるのは解る気がします。私が参拝させて頂く早朝の時間帯「6時から6時30分頃」では,ほとんど参拝者がおりませんのでとても静かです。

以前にも伊勢神宮に関する記事は書かせて頂いて参りましたので,もし,宜しければ読みください。拝


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします!

                          

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設112日目 記事数第122記 感謝の心柱 編