私は住吉神に興味を持っておりますので、地図で神戸・本住吉神社と、大阪・住吉大社の位置関係を見ていました。
すると気づいたのです。
本住吉神社と住吉大社を結んだ延長線上に、応神天皇の陵とされる誉田御廟山古墳があるではないですか。
応神天皇は一説に住吉神の子であると疑われています。
これは偶然ではないかもと思い、そのまた延長上を確認すると、飛鳥に行き着くことがわかりました。
飛鳥…。蘇我氏⁉
応神天皇の親かもしれない住吉神は、武内宿禰と同一視されています。
その武内宿禰は、蘇我氏の祖先とされる人物です。
蘇我氏の4代の墓は明日香にあると考えられています。
蘇我馬子の墓であることが有力視されている石舞台古墳の下層からは、古い時代の古墳が発見されています。
つまり古い古墳を破壊して、何故かわざわざその場所に石舞台古墳は築造されています。
石舞台古墳と応神天皇陵、住吉大社、本住吉神社はかなり一直線上に並んでいます。
これって、所謂 レイライン でしょうか?
本住吉神社側の延長線上には何もないのかな?
いや、ありました。
播磨国一之宮 伊和神社です。
伊和神社の祭神は伊和大神=大己貴神とされます。出雲神です。
伊和神社のそのまた先には伯耆国一之宮、倭文神社もあるじゃありませんか。
倭文神社にも大己貴神が祀られています。
倭文神社・伊和神社(大己貴神)→本住吉神社(住吉神=アジスキタカヒコネ?)→住吉大社(住吉神=武内宿禰)→誉田御廟山古墳(応神天皇)→飛鳥(蘇我氏)
きれいに時代を下って一直線に並んでいました。
蘇我氏はやっぱり「出雲」の出身者なのでしょうか。
それとも伯耆や播磨?
入鹿殺しの犯人と目される秦河勝が播磨に逃げていることを考えると播磨はないでしょうか?
(地図を載せたかったのですが、私のパソコンスキルが酷いため無理でした)