古代四方山話

古代について日頃疑問に思っていること、思いついたことを徒然なるままに綴ってみたいと思っています

物部がつくり給うた天照国照彦天火明櫛玉饒速日命

2020-09-25 10:35:14 | 歴史

趣味は何ですかと聞かれたなら当たり障りなく読書ですと答えますが、本当のところ、趣味は古代妄想です。

 

初めて「纏向遺跡は各地の首長層の寄り合いによって造られた都市」らしいと知ったときも、ある妄想に取りつかれました。

私の妄想は、首長層が連合して卑弥呼を担ぎ出し、邪馬台国を…という方向へは向かいませんでした。

「ニギハヤヒ」は各地の神を寄せ集めた神なのではないかという妄想です。

ははぁん、前方後円墳を各地の墓制を寄せ集めて創り出したように、各地の神を集めてニギハヤヒを造ったな、と。

だから天照国照彦天火明櫛玉饒速日命などという、いろいろな神を寄せ集めたような神名を持っておられるに違いないと思ったのです。

一説のとおり、ニギハヤヒを祖とする「物部」は当初は血族ではなく、各地から集まったモノ(霊威)を祀る職能者たちの総称だったのではないのでしょうか。

全国津々浦々といってもよいほどに、物部氏が各地に足跡を残しているのは、もともと物部が全国から集まった人々だったからではないでしょか。

 

以下、妄想を語ります。

 出雲の大物主がナガスネヒコと共に三輪山の麓あたりを開拓していた。

 それを見た各地の首長が「大乱」をおさめ、連合都市を造ろうと人を纏向へ集めることとした。

 各地の首長たちの話し合いで、共通した祭祀を作ろうということになった。

 各地の祭祀を司る「物部」たちが纏向へ集まった。

 「物部」たちの手により、各地の神々を集合した神、ニギハヤヒが誕生した。

 「物部」たちは前方後円墳や統一した祭りの方法を考え出し、それぞれ祖国へと持ち帰った。

 だから前方後円墳はあれほど早くに各地へと広まった。

 

 あっでも、そうするとニギハヤヒが哮峰に降り立ったという伝承はどう解釈する?

・・・となり妄想から覚めます。

 

物部氏に関しては謎の氏族であり、研究者の方々においても百花繚乱の様相です。

物部氏と天照国照彦天火明櫛玉饒速日命、どちらも妄想のしがいがあります。

さて今度はどんな妄想に捕らわれることやら。