「だってぇ、いぬは、おはなみ、しませんも~ん」
土曜にもものすごい風が吹いて、
せっかく美しく咲いていた梅の花びらが、
サササーっと、散り去ってしまった。
さみしいなあ、と思っていたら、また、
今度は台風並の低気圧だっていう。
なんだか春一番じゃ気がすまなくて、
二番も三番もやってくるっていうのは、
いい春になるのか、ならないのか。
せめてもの幸いは、桜の開花がまだなこと。
ころあいに大風でも吹いたものなら、残念無念でしょうがない。
なにしろ、去年は桜を楽しむ余裕も無かったし、
桜を見ても悲しい気持ちや愕然とした気持ちは正直消えなかった。
まわりも混沌としていたので、去年の春がどんなだったか、記憶はおぼろげだ。
だから今年は、桜を心まちにしていた。
そういう人、多いと思う。
2年越しの『てりたま』のように(いやもっと)。
この季節、
おれこと散歩をしていて楽しいのは、
あちこちの桜の枝が薄もも色に染まり、
「さあ咲きますよ、今に咲きますよ」
とばかりに、空を仰いでいるからだ。
「見てみて見て」
と、こちらを呼んでいる気さえする。
しかし、犬には聞こえないのね。
家族でとても大切に思っている桜の木がある。
もし、なんどきか、大変な災害などがあって、
目印もなんもかんもわからんようになったら、
ここで互いを待とう、と、決めているのだ。
ずいぶん古い大木で、
昭和・大正・明治・江戸、
いいやひょっとすると、
戦国時代も、咲いていたかもしれない。
そんな古い古い木なのだが、
その桜の枝が数本、
今朝から少し、ほころびはじめている。
花びらをつけて枝の下で、
肩からかばんをななめに下げた、かわいらしいおじいさんが、
デジカメで一生懸命、写真をとっている。
ブログに投稿するんだったりして。
だったら素敵だなあ。
「おれこをつれてあいさつにこなくちゃね」
もちろん、おじいさんにではない。
桜の木にである。
夫の言葉に温度を感じ、
なんだかうれしい気持ちで、
そうだね、
とこたえたのであった。
「おさいせん、わすれちゃった」
たくさんの桜を伐採されて、痛々しかった神社の森。
3月末までだったはずの『木々の手入れ』がまだ続いている。
重機の移動で傷つけられた木の幹や、
切り株のいくつかから、まるで蛇口をひねったように、
樹液がしたたり落ちている。
すべての木がそうというわけではなくて、
いくつかの木がものすごい。
「このー木、なんの木、気になる木~」
この木、なんの木?
帰ったら調べようと思うのだけれど、
なかなか調べられないでいる。
最初のうちは、あまりにずぶずぶぬれているのが、
なんだか泣いてるみたいに見えて、
とても気の毒だったのだが、今では、
この樹液の恩恵にあずかる虫たちが、
まだ活動シーズンを迎えていないことが、とても「惜しい」。
話は変わるが、昨日の朝、
セキレイのつがいに、一羽のキセキレイがくっついていた。
汚い川ではセキレイは珍しくはないが、
清流を好むといわれるキセキレイがいるのは、ちょっとした驚き。
鳴き声も美しくて、ついつい姿を追ってしまった。
キセキレイ
黄色い腹、澄んだ声。
全長:20cm
屋久島以北の川や池沿いの地上にすみ、秋冬には南下するものもいる。
チチン、チチンと鳴く。
さえずり:チチチチッと細く鋭い声。
今朝は会わなかったけど、山に帰っちゃったのかしら?
なんでセキレイ夫妻にくっついていたのかしら?
遠い親戚なのかしら?
などなどの疑問を残し、キセキレイは去った。
・・・また会えるといいなあ。
あ、そういや、今朝は、
燕尾服のつばめさんを見かけた。
「え?あれ?まさか?もしかしてつばめ?」
なんてちょっとびっくりしたのだった。
おれこにぐいぐい引っ張られて移動して、あとでみたら、もういなかった。
また会えるといいなあ。
どうでもいいことだけど、どうもつばめの燕尾服を見ると、テーラードという言葉を思い出す。
ごめんよ、つばめ。君は悪くないぜ。