犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

さくら。

2012年04月05日 | おせわがかり日誌


「だってぇ、いぬは、おはなみ、しませんも~ん」


土曜にもものすごい風が吹いて、

せっかく美しく咲いていた梅の花びらが、

サササーっと、散り去ってしまった。

さみしいなあ、と思っていたら、また、

今度は台風並の低気圧だっていう。

なんだか春一番じゃ気がすまなくて、

二番も三番もやってくるっていうのは、

いい春になるのか、ならないのか。

せめてもの幸いは、桜の開花がまだなこと。

ころあいに大風でも吹いたものなら、残念無念でしょうがない。

なにしろ、去年は桜を楽しむ余裕も無かったし、

桜を見ても悲しい気持ちや愕然とした気持ちは正直消えなかった。

まわりも混沌としていたので、去年の春がどんなだったか、記憶はおぼろげだ。



だから今年は、桜を心まちにしていた。

そういう人、多いと思う。

2年越しの『てりたま』のように(いやもっと)。



この季節、

おれこと散歩をしていて楽しいのは、

あちこちの桜の枝が薄もも色に染まり、

「さあ咲きますよ、今に咲きますよ」

とばかりに、空を仰いでいるからだ。

「見てみて見て」

と、こちらを呼んでいる気さえする。

しかし、犬には聞こえないのね。



家族でとても大切に思っている桜の木がある。

もし、なんどきか、大変な災害などがあって、

目印もなんもかんもわからんようになったら、

ここで互いを待とう、と、決めているのだ。

ずいぶん古い大木で、

昭和・大正・明治・江戸、

いいやひょっとすると、

戦国時代も、咲いていたかもしれない。

そんな古い古い木なのだが、

その桜の枝が数本、

今朝から少し、ほころびはじめている。

花びらをつけて枝の下で、

肩からかばんをななめに下げた、かわいらしいおじいさんが、

デジカメで一生懸命、写真をとっている。

ブログに投稿するんだったりして。

だったら素敵だなあ。

「おれこをつれてあいさつにこなくちゃね」

もちろん、おじいさんにではない。

桜の木にである。

夫の言葉に温度を感じ、

なんだかうれしい気持ちで、

そうだね、

とこたえたのであった。







「おさいせん、わすれちゃった」


たくさんの桜を伐採されて、痛々しかった神社の森。

3月末までだったはずの『木々の手入れ』がまだ続いている。

重機の移動で傷つけられた木の幹や、

切り株のいくつかから、まるで蛇口をひねったように、

樹液がしたたり落ちている。

すべての木がそうというわけではなくて、

いくつかの木がものすごい。






「このー木、なんの木、気になる木~」


この木、なんの木?

帰ったら調べようと思うのだけれど、

なかなか調べられないでいる。

最初のうちは、あまりにずぶずぶぬれているのが、

なんだか泣いてるみたいに見えて、

とても気の毒だったのだが、今では、

この樹液の恩恵にあずかる虫たちが、

まだ活動シーズンを迎えていないことが、とても「惜しい」。


話は変わるが、昨日の朝、

セキレイのつがいに、一羽のキセキレイがくっついていた。

汚い川ではセキレイは珍しくはないが、

清流を好むといわれるキセキレイがいるのは、ちょっとした驚き。

鳴き声も美しくて、ついつい姿を追ってしまった。



 キセキレイ
 黄色い腹、澄んだ声。
 全長:20cm
 屋久島以北の川や池沿いの地上にすみ、秋冬には南下するものもいる。
 チチン、チチンと鳴く。
 さえずり:チチチチッと細く鋭い声。




今朝は会わなかったけど、山に帰っちゃったのかしら?

なんでセキレイ夫妻にくっついていたのかしら?

遠い親戚なのかしら?

などなどの疑問を残し、キセキレイは去った。

・・・また会えるといいなあ。



あ、そういや、今朝は、

燕尾服のつばめさんを見かけた。

「え?あれ?まさか?もしかしてつばめ?」

なんてちょっとびっくりしたのだった。

おれこにぐいぐい引っ張られて移動して、あとでみたら、もういなかった。

また会えるといいなあ。

どうでもいいことだけど、どうもつばめの燕尾服を見ると、テーラードという言葉を思い出す。

ごめんよ、つばめ。君は悪くないぜ。