オレコを保護してくれた、
動物愛護団体ミグノンさん(一般社団法人ランコントレ・ミグノン)に、
ずっと気になるわんこがいまして。
うーちゃん、というのだけど、保護されたときから重い病気で。
その子がね、亡くなりました。
福島の動物たちを保護したりいろいろがんばっているミグノンさん
ツイッターで時々報告される、
うーちゃんのその折々の様子を、
どきどきしながら、
見守っていたんだけど、
とうとうその日が来てしまったのね。
いのちとの付き合いというのは、こういうものだ、
と頭ではわかっているのだけれど、
うーちゃんがこんなふうに生きていたこと、
少しでも多くの人の心に残したくて、
ここにメモってみました。
ミグノンさんのある日のブログです。
ここにうーちゃんのこと、書いてあります。
どうか、読んでください。
うーちゃんって、こんな子だったんですよ。
とっても素敵なわんこだったんです。
↓↓↓うーちゃんのこと↓↓↓
昨夜、肝臓ガンのウースが1年10ヶ月の保護犬生活を終えた。
2010年8月9日に愛護センターに収容され、8月12日に他の動物たちを引き出しに行ったとき、壁の方を向いて寝ていた姿が印象的で、期限が切れたら引き出す、とキープをした。
腹部が大きく腫れているので、フィラリアによる腹水か?いずれにせよ長くはないだろうと見立てる。
翌週の19日に期限が切れても飼い主は現れず、ウースも生きていたので迎えに行く。
愛護センターの職員さんに、団体が病気の動物を無理に保護してパンクしたら困るから、気持ちは分かるけど、と留められた。
どうせ長くないだろうし、と聞かずに連れてきた。
先の長くない動物をわざわざ処分器に入れなくてもいいだろう。
団体は預かり先が足りなくなればパンクするけど医療費はなんとかなる、どうせ長くないんだし。
何よりも好みのタイプの犬だ。
なんて可愛いんだろう。
毛はボソボソで目はうつろ、食欲はあるけれど一度にたくさん食べない。
食べ過ぎると吐く、常に下痢。
食餌は一日4回に分け、少量ずつ与えることにした。
両膝が脱臼していて15分程度しか歩けない。
とにかく動物病院に連れて行った。
結果、肝酵素の値が高く、肝臓が腫瘍により巨大化して他臓器を圧迫している。
先生には、・・・おうちで看てあげてください、、と帰された。
そっか、ガンだったか、早速、栄養療法を始めた。
しばらくすると、たくさん食べても平気になり、毛も顔の周りを中心に艶が良くなり、嬉しくなると飛び跳ねたり、頭を撫でろと要求したり、活動的になった。
苦痛がやわらいだのかも。
まとまった時間歩けるようになってきたけど、とても暑い夏だった。
プールを買った。
:今年のカレンダー8月の写真。
ガン仲間の保護犬ロネフと一緒に泳いだ。
:ロネフはいまもサプリメントを続けながら、新しい家族のもとで元気にしている。
泳いだり、食べたりしているうちに、栄養療法で相談に乗ってもらっていた先生が、預かってくれることになった。
2010年10月2日に病院に移動。
この時点でも肝酵素の値、アルカリフォスファターゼが707u/lもあったと、先生から電話がかかってきた。
元からぶっ飛んでたんで、と笑いながら保護時の検査結果をファックスした。
震災の時は先生がウースを連れて別荘に避難してくれた。
シェルターを作らないと、被災地の動物を助けないと、ミグノンの動物達を安全な地域に避難させないと、でも平常心を失わないように・・とにかく、頭も身体もパンパンだった。
体の大きな病気の犬が安全な場所にいてくれて本当によかった。
ウースの容態も安定し、彼を一時預かりするボランティアさんが見つかった。
犬が好きでない、人見知りをする、騒がしいのが苦手、という彼にピッタリの家。
2011年5月28日に一般家庭に移動。
少しずつ、老いと腫瘍の影響を受けながらも、その余生は長く、楽しそうだった。
いちばん最近の写真、痩せてるけど美味しい肉をペロリと食べた。
ウースがいて、たくさんのことを考えた。
病気になった動物は処分するしかないのか?
保護しても誰ももらってくれないから意味がない?
でも、たくさんの人が彼の笑顔が好きだった。
たくさんの人が彼のために寄付をした。
たぶん、みんな楽しかったんだよ。
久しぶりに書いたのにこれ以上続けると、さらに鬱陶しくなるからやめよう。
うーちゃん、バイバイ。
ありがと。
(元ブログこちらから)
動物愛護団体ミグノンさん(一般社団法人ランコントレ・ミグノン)に、
ずっと気になるわんこがいまして。
うーちゃん、というのだけど、保護されたときから重い病気で。
その子がね、亡くなりました。
福島の動物たちを保護したりいろいろがんばっているミグノンさん
ツイッターで時々報告される、
うーちゃんのその折々の様子を、
どきどきしながら、
見守っていたんだけど、
とうとうその日が来てしまったのね。
いのちとの付き合いというのは、こういうものだ、
と頭ではわかっているのだけれど、
うーちゃんがこんなふうに生きていたこと、
少しでも多くの人の心に残したくて、
ここにメモってみました。
ミグノンさんのある日のブログです。
ここにうーちゃんのこと、書いてあります。
どうか、読んでください。
うーちゃんって、こんな子だったんですよ。
とっても素敵なわんこだったんです。
↓↓↓うーちゃんのこと↓↓↓
昨夜、肝臓ガンのウースが1年10ヶ月の保護犬生活を終えた。
2010年8月9日に愛護センターに収容され、8月12日に他の動物たちを引き出しに行ったとき、壁の方を向いて寝ていた姿が印象的で、期限が切れたら引き出す、とキープをした。
腹部が大きく腫れているので、フィラリアによる腹水か?いずれにせよ長くはないだろうと見立てる。
翌週の19日に期限が切れても飼い主は現れず、ウースも生きていたので迎えに行く。
愛護センターの職員さんに、団体が病気の動物を無理に保護してパンクしたら困るから、気持ちは分かるけど、と留められた。
どうせ長くないだろうし、と聞かずに連れてきた。
先の長くない動物をわざわざ処分器に入れなくてもいいだろう。
団体は預かり先が足りなくなればパンクするけど医療費はなんとかなる、どうせ長くないんだし。
何よりも好みのタイプの犬だ。
なんて可愛いんだろう。
毛はボソボソで目はうつろ、食欲はあるけれど一度にたくさん食べない。
食べ過ぎると吐く、常に下痢。
食餌は一日4回に分け、少量ずつ与えることにした。
両膝が脱臼していて15分程度しか歩けない。
とにかく動物病院に連れて行った。
結果、肝酵素の値が高く、肝臓が腫瘍により巨大化して他臓器を圧迫している。
先生には、・・・おうちで看てあげてください、、と帰された。
そっか、ガンだったか、早速、栄養療法を始めた。
しばらくすると、たくさん食べても平気になり、毛も顔の周りを中心に艶が良くなり、嬉しくなると飛び跳ねたり、頭を撫でろと要求したり、活動的になった。
苦痛がやわらいだのかも。
まとまった時間歩けるようになってきたけど、とても暑い夏だった。
プールを買った。
:今年のカレンダー8月の写真。
ガン仲間の保護犬ロネフと一緒に泳いだ。
:ロネフはいまもサプリメントを続けながら、新しい家族のもとで元気にしている。
泳いだり、食べたりしているうちに、栄養療法で相談に乗ってもらっていた先生が、預かってくれることになった。
2010年10月2日に病院に移動。
この時点でも肝酵素の値、アルカリフォスファターゼが707u/lもあったと、先生から電話がかかってきた。
元からぶっ飛んでたんで、と笑いながら保護時の検査結果をファックスした。
震災の時は先生がウースを連れて別荘に避難してくれた。
シェルターを作らないと、被災地の動物を助けないと、ミグノンの動物達を安全な地域に避難させないと、でも平常心を失わないように・・とにかく、頭も身体もパンパンだった。
体の大きな病気の犬が安全な場所にいてくれて本当によかった。
ウースの容態も安定し、彼を一時預かりするボランティアさんが見つかった。
犬が好きでない、人見知りをする、騒がしいのが苦手、という彼にピッタリの家。
2011年5月28日に一般家庭に移動。
少しずつ、老いと腫瘍の影響を受けながらも、その余生は長く、楽しそうだった。
いちばん最近の写真、痩せてるけど美味しい肉をペロリと食べた。
ウースがいて、たくさんのことを考えた。
病気になった動物は処分するしかないのか?
保護しても誰ももらってくれないから意味がない?
でも、たくさんの人が彼の笑顔が好きだった。
たくさんの人が彼のために寄付をした。
たぶん、みんな楽しかったんだよ。
久しぶりに書いたのにこれ以上続けると、さらに鬱陶しくなるからやめよう。
うーちゃん、バイバイ。
ありがと。
(元ブログこちらから)