『こん、エレベーターの中でプルプルふるえ、降りたとたんにうん子する(犬日誌)』
・・・もちろん、手の平ダイレクトキャッチである。
匂いすら包み込むように、ほかの人が気づかないように、見つからないようにである。
さらに補足すると、うん子のポーズというのがあって、どういうわけだか、両手をたかだか挙げてバンザーイするのである。
むむむむむ、という表情をしていると危なくて、そのうちパー!と両手を挙げてお踏ん張りなさる。介添え役は焦る。
犬3匹と暮らしてみて、当たり前の話のようだけれどフシギなことは、うん子というのは、三者三様のによいなのである。
それぞれにのけぞるほどの威力があるし、もちろん決していいもんではない。
それだのに、こんちゃんのそれは、においすらかわいい、許すも許さないもない、だってかわいいんだから!というグレートスメルなのである。
今いちばん懐かしいのは、5月の終わりまであたりまえのようにただよっていた、あの、こんちゃんのグレートスメルかもしれない。
目を閉じれば思い出せそうな気もするんだけれど、頭の中でかたちをたどろうとすると、たちまち、幻のように消えてしまう。
(ちなみにこれは毎年まいとし大事に大事にふむふむしていたこんちゃんのおはなである。星の王子さまでいうところのバラのような存在)
子犬のわりに本格派なころすけの香りですら、かわいいとは思えないし、実際かわいくない。
横綱オレコについては何をか言わんやである。(回収のたびにのけぞる)
入居の時にとりつけた当時から傾いていて、絶えず水漏れの危険があったこん部屋のエアコン。
水漏れするたびに何か挟んだり、手動で角度を水平にするのだが、じき元の傾きに戻って水漏れしたりといとまがない。
帰ってくると、したたる水滴に濡れて、小さく小さくなっているこんちゃんを見たのも一度や二度ではなかった。
さらに言えば、稼働しているとき、なんだかカビ臭いような気もして、掃除を頼むであるとか、何かしないといけない。
なんだかんだ15年選手になるし、まだまだ使えるけれども、万が一故障でもしたら、老犬にはたまらない。
本格的に暑くなる前に新しい物に交換しようっていうんで、申し込んでやっと来たその日。
おうちに人が来ることだっていやじゃのに、こんちゃんは巣(ゲージ)も片付けられて、あっちへいけ、こっちにいろ、と、うるさく言われるので面白くない。
おまけに信用されてないからか、家にいるのに、病院にいくときとおんなじにピンクパンツを履かされている。
『エアコン工事てつだうといってきかないこん、笑われる。終わり、ふたりともぐっすり。バタンQ。むさぼり寝(犬日誌より)』
何を手伝うというのか、やる気だけはまだまだ現役で、作業の方たちの邪魔をするので、別室に閉じ込められているこん。
ドリルなんかの大きな音にびっくりするともらしちゃうので、こちらとしては仕方なく履いてもらっておるのだが。
「なんじゃ」
「なんか大きい音がするのう」
老犬注意力散漫のため、寝かしつければイチコロである。
そうして寝ている間に工事は無事終了、新しいエアコンは音も静かで、水漏れもせず、経済的で、快適になった。
リビングとこん部屋と2台を取り替えたのだが、そのどちらも職場などから遠隔操作ができるようにした。
今ではこの遠隔操作の恩恵が大変ありがたく、当時の思い切りとそれを許した状況に感謝している。
ちなみにこれは、散歩の催促か、いっしょにねんねしようと言いに来た(おそらくいずれかの)顔。
こんなふうに呼びにきては、わかったわかった、待っててね、もうすぐね、と言って追い返し、やりかけの家事を片付けたり、つまらないことをしていたものだった。
そしてまた5分とたたずにやってきて、のう、のう、さんぽいこうよ、ねんねしようよ、というような日常だった。
今にして思えば、老犬にモテるというのは、なんらかのホルモンやら免疫力が上がっている気がする。
あの頃はろくな生活をしていなかったのに、本当に、寝込むこともなく、元気があれば何でもできる123ーーーーーー!!!!!というような日々だった。
まるで猪木のごとく。