語霜久泉千波らんらん虹月の文人芸術家ブログ☆虹色の素手で神霊と対話創作☆

文人・芸術家・学者☆語霜久泉望玄彌冬月〜月衣日月鷲togoKa?.台湾華僑。小顔一重瞼細長骨細女辰年双子座出生:元蘇嘉奈

コピーと模造と海賊版

2019-01-07 16:52:14 | 文人日月緋望玄

コピーと模造と海賊版

歌のタイトルの様だ。部屋とワイシャツと私を思い出したが、その順番だと海賊版に私が入り、どうも落ち着かない。

もちろん、「海賊版の私」ではなく、本人なので安心してほしい。

海賊版とコピーは似ているようで少し違う。

海賊版は本物そっくりそのままの製品を作り、無許可で販売しているモノで、コピーは中身だけが同じ場合や一部だけ同じ製品だろう。

学生時代、難しいレジュメやレポートを提出する際、全てを書き上げる能力はあっても時間が足りない時、参考文献から引用文を書き込む事がある。(注釈入りで)それがコピー。

模造は、何となく似たモノを作る事だ。

三者の違いで、何かを作るという苦労が伺える。

推奨はしないが、グレー地帯で取り引きされるメリットもあるにはあるのだろう。

今問題となるのが、明らかに模造品なのに認めず、オリジナル作品だと虚勢を張る連中だ。

で、大勢で云えば嘘も真になるとピーチクパーチク事情通を装うのだ。日本の俗標語で有名な「赤信号 皆で渡れば 恐くない」である。

赤信号を渡って車にひかれるのは本人の運次第なので、それほど大問題にならない。

ただ、芸術作品となると名声や信用に関わるので、真の作者の方は、模造品やコピー品を許すわけにはいかないのだ。

真の作者を海賊版作家だと逆立ちして言っても、普通は信用されない。但し、真の作者よりも早く勝手に登録した場合、その真贋の区別はやや難しくなる。

それでも、盗まれた作品の模造品でしかないのだから、登録は抹消可能だ。

まだ自分の作品を登録したわけではないので、見つけたら模造品の抹消を申請するつもりだ。

中身だけ同じの作者名を変えた模造品についても同じだ。カバーだけ変えても、模造品は模造品だ。

模造品作家へ。「人生、やり直して来い。」

まだやり直せるはずだ。真の作者である私を虐殺したり殺害しない限りは。

 

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華人とは華僑二世以降である

2019-01-07 13:31:54 | 文人日月緋望玄

華人とは華僑二世以降である

華人が中国人だと思われるのは、中華民族の略で自称する中国人がいるからだろう。

日本語での華人は、華僑二世以降の人を指す。

どこの国の人かは、それぞれだ。

私の場合、日本にいるので日本人だ。華人の日本人。

華僑は父親だ。華僑は大抵、一世の事を指す。

二世となれば、言葉や習慣がどうしても薄れていくからで、使い分けがなされている。

私は運悪く、生まれてすぐには国籍を得られず、幼い頃に台湾に台湾人母と弟と強制送還され、台湾で育った。しかも台湾でも無国籍児への処遇は悪く、半分私立の日本人学校に入学する以外、道は無かった。

1つだけ、運が良かったのは、雑貨屋を営む事で生計が立てられた事だろう。

台湾人の店仲間やお客さんと揉まれながら育ったので、中華文化や中国語・台湾語に接して来られた。

テレビ番組も中国語や台湾語で、字幕スーパーで漢字を覚えた。

暗い生い立ちでも、救いの道は開かれていたのだ。

言語能力は小さい頃に身につけたので、発音は良い方だと思う。ただ、ほぼ独学なので、正確性にはやや欠けるかもしれない。日本語については、小学校から大学まで、日本語で学んで来たので仕事に支障は出ず、日本語を教えた経験もある。

バイリンガルでないとできない正確性の必要な翻訳業務をこなし、文章に対する敏感度は高い。

私の文章能力を、私の血筋で計れないのは、そういう理由だ。

〈東郷嘉奈意流花千波らんらん路世汰炬呂拿月彌千彌冬月月衣baobabbabyDebbyTogoKana  筆。〉

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文章の才能は文字を愛しているかで決まる

2019-01-07 12:49:45 | 文人日月緋望玄

文章の才能は文字を愛しているかで決まる

文章の才能は文字を愛しているかで決まる

悪人が、ちょっとした事で殺人をする今日、私を庇った人々の可哀想な生を弔う。

私を庇った人々は、心が優しい人か真実を見抜いた人かのどちらかであろう。

だが、真実を見抜くにはかなりの調査能力知能や財力人脈が必要になるので、心が優しい人がほとんどだと思う。

殺伐とした社会となった一因に、心ならずとも私が少し関わっているようで悲しい。

私が誰かに嫉妬されるだけの文章力を持たなければ、彼らは殺されずに生きていたかもしれないからだ。

だが、そういうカラクリなら、勉強する必要がないという結論に達してしまう。

皆がバカで、頭が空っぽで、不細工ばかりで、金は1銭も残せず、テント暮らししていれば、すぐ殺人する連中は殺人をしなくて済むという事になる。

愛について私はよく知らない独身で、生まれ育ちも愛からは嫌われて来た者だ。それでも、文章を書く才能に恵まれたのなら、文字の神様を愛したからだろう。

愛を向ければ愛が戻るシステムは、文字に存在している。

人間は不安定なので、愛を向けたら愛が戻るとは限らない。人に頼らないとは、そういう事なのかもしれない。

自分で愛せないモノから、愛を求めてはならないのだ。

殺してしまっても、文章の才能を持つ文字と相思相愛の私の寂しい幸せを、死者はまだ哀れんでいる。

私の才能を妬む前に、なぜ殺人犯らは自分らの才能を見つけないのか。そこに、誰かを殺す必要のない愛が有るというのに。

それと、文字は愛しているが、私を信用しない東アジアがとても嫌いで、知力の低さにお手上げだ。

〈東郷嘉奈意流花千波らんらん路世汰炬呂拿彌冬月月衣baobabbabyDebby  筆。〉

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