私の実力なのに私に相応しくないという知恵遅れ理論
知的障がい者の治める国が、漢字文化を退化させている。どこの国か?
それを見つけるまでもなく、農民に文人の代わりをさせたり、文人から筆や作品を奪ったり、商人に盗品や贋作を売らせたり、学生に学習させながらプロのふりさせたり、プロたちを日陰に隠したり、あらゆる美しいモノを太陽から遠ざけながら、蕾やダニを過度に太陽の下で擁護して摘んだ花をダメにし、補償なら国に頼れと無責任だ。
知的障がい者かどうか判別するのは精神科医の仕事であっても、専門家じゃなくとも大抵判別は可能だ。何しろ、私の実力を認めないばかりか、私の実力が私に相応しくないと言うらしい‥‥‥。
努力しても実力が伴わない時、その事柄に関する才能がその人にない場合と、どんな才能も開花させにくい知的障がい者の場合も考えられる。
さて、どちらにせよ、その業界に相応しくない人種なのは明らかで、それらがダニという生き物だ。
例え、私が今から体操選手になりたい!と言い出しても、選手にも専門家にも相応しくないはずで、無理やり体操業界に居座った場合、私は体操業界で有名なダニと化すだろう‥‥‥。
知的障がい者か無才能者か?両者ともダニにしかなれないなら、駆除するべきだろうな?それとも、その業界をダニでダメにしたいのか?
プロや識者や目利きを殺害して回っても、結局、荒廃させるだけの、金塊が沈んだ砂地でしかありえないのだ。