(2021.12.22 Wednesday by my jugemブログより。)
実弟が生きていたら私より中国語が得意だった可能性はある
同じ家庭環境にいた弟は、知恵遅れでなければ、私と同等程度の中国語や台湾語を理解し、話しもできるはずだ。
年もそれほど離れていない年子で、観ていたテレビ番組や聞いていた音楽や接していた人等、知識面でもそれほど違いはないだろう。
私の戸籍事情で私の生地・那覇市に戻ったのも私の方が早く、沖縄(ウチナー)口を少し話し出した私は、台湾台北市の実家で中国語環境にいた実弟と、言語的差異が生まれただろう。
ひょっとすると、その辺で、実弟の中国語能力が私を上回った可能性もあるが、現地沖縄に溶け込む私は、暖かい友人に恵まれ、当時の日本の流行歌を歌っては、地域や学校によって人が「全然優しい」ことに気付いたのだ。
台北日本人学校は、転入転出の出入りが激しいせいか、なんだか殺伐としていたから、「時間がとてものんびりした那覇市」は、私の何かを解放した。
そこで、私の「不足した部分が満たされ」、ほぼオール10の成績をもらったのだと思う。
人生は、必要なモノが揃うのを迎えることが大事だ。最初から全てが揃っていたら、本当につまらない人生だろう。
結婚相手に完璧さを求める日本人は、結局無理難題を出す竹取のかぐや姫の様なやり方で、ドンドン大物が釣れると思っているようだけど、女は出産年齢を過ぎると、全く結婚の意味がなくなる。それで若い内から、セレブ子弟を狙い、婚約紛いの脅し恋愛をかけ、親を落とせば言いなりの2世らを、「約束」でがんじからめにするらしい。
私は月という字で月衣を使っているけど、月に戻りたい姫ではないし、途中で男と結婚して月にはその内戻るかも?姫でもない。
かぐや姫モドキの日本人血筋が気持ち悪い。
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