ウガラ(族)という語は、親族の内でも限られた範囲を指すとされている。同じ「族」という字を用いても、ヤカラはかなり範囲の広い一族郎党のことを指す。本稿では、ウガラという語が表しているのがどのような結び付きのグループなのか、ヤマトコトバを深く考究することで繙いてみる。
金2017.は、日本書紀の古伝本に付された古訓を網羅的にあげていき、その用いられ方から古語の義を確かめようとしている。結論として、「「ウカラ」は主に子や兄弟・親・妻など比較的身近な関係に使用されているのに対して、「ヤカラ」は同一先祖から結ばれた縦の関係(ここでいう「一族」)の場合に用いられることが明らかになった。」(203頁)とする(注1)。
家族や一族があるのは、婚姻により子供ができて家族の成員が増えていくことを基とする。子どものいない独身の高齢者は、親族に含まれることはあっても自ら親族を構成していくことはない。つまり、族がその時点でなければ、族は作れない。召使を雇えばそれは族になるかもしれないが、なかなかそのようにはならない。召使を雇えるほどの資産家であれば、誰かと結婚していていたり養子をとったりするのがふつうであった。また、独身のままでいて新たに召使を雇うことは、治安の悪い時代には危険を伴うものでもあった。
大系本日本書紀の補注には、ウガラマケジという付訓について疑問が呈されている。本文を提示したのち引用する。
一書に曰はく、伊奘諾尊、追ひて伊奘冉尊の所在す処に至りまして、便ち語りて曰はく、「汝を悲しとおもふが故に来つ」とのたまふ。答へて曰はく、「族、吾をな看ましそ」とのたまふ。伊奘諾尊 、従ひたまはずして猶看す。故、伊奘冉尊、恥ぢ恨みて曰はく、「汝已に我が情を見つ。我、復汝が情を見む」とのたまふ。時に、伊奘諾尊亦慙ぢたまふ。因りて、出で返りなむとす。時に、直に黙して帰りたまはずして、盟ひ曰はく、「族離れなむ」とのたまふ。又曰はく、「族負けじ」とのたまふ。乃ち唾く神を号けて速玉之男と曰す。次に掃ふ神を泉津事解之男と号く。凡て二の神ます。其の妹と泉平坂に相闘ふに及りて、伊奘諾尊の曰はく、「始め族の為に悲び、思哀びけることは、是吾が怯きなりけり」とのたまふ。時に泉守道者白して云さく、「言有り。曰はく、『吾、汝と已に国を生みてき。奈何ぞ更に生かむことを求めむ。吾は此の国に留りて、共に去ぬべからず』とのたまふ」とまをす。是の時に、菊理媛神、亦白す事有り。伊奘諾尊聞しめして善めたまふ。乃ち散去けぬ。……不負於族、此には宇我邏磨穊茸と云ふ。(神代紀第五段一書第十)
上のような語の捉え方をすれば、補格の脱落は奇妙である。ここで、ウガラと呼んでいるのは、イザナキ、イザナミ、双方が双方をそう呼んでいるものと想定している。一方、「不レ負二於族一」を「族に負けじ」であるとしても、いささか不明瞭なことが起こる。そう訓んだ場合の解釈に、女神族に負けまい、としている。男神族と女神族とが対立するとする考えは、それはそれで成り立つが、「男族」、「女族」という言い方は知られない。「不レ負二於族一」と記されてあれば、「族」に「於いて」「負けない」こと、「族」という次元では負けないという意味にもとれる。「不負於汝族」とないのが不審である。最初のイザナミの言葉、「族也、勿二看吾一矣。」の「族」は、イザナキひとりを指して、あなたは私を見るな、という呼びかけにすぎず、他の眷属は含まれない。「汝也、勿二看吾一矣」とせずに、ことさらに「族」という語を持ち出している。持って回った言い方である。私とあなたの仲じゃないか、と馴染んでしまった女に責められている。「汝は吾と族なり(汝与吾族也)。」を記述上で略して、「族也、……」として、「也」を断定の助動詞から間投の助詞へと転化させているように思われる。問題は、「族」という概念にある。
「族」なる語についての記述は、課題としている神代紀第五段一書第十に集中している。その箇所は、語の定義をその使用によって明らかにしようとする試みと見られる。当時の語の意識を反映するべく記述されているということである。他の例は以下の通りである。
悉に親族を集へて宴せむとす。(景行紀二十七年十二月)
親族篤ぶるときは、民、仁に興らむ。(顕宗前紀)
是を以て、今より以後、各親族及び篤信ある者に就きて、一二の舎屋を間処に立てて、老いたる者は身を養ひ、病ある者は薬を服へ。(天武紀八年十月是月)
武蔵国造笠原直使主と同族小杵と、国造を相争ひて、〈使主・小杵、皆名なり。〉年経るに決め難し。(安閑紀元年閏十二月是月)
凡そ諸の考選はむ者は、能く其の族姓及び景迹を検へて、方に後に考めむ。(天武紀十一年八月)
遂に其の妃、幷に子弟等を率て、間を得て逃げ出でて、膽駒山に隠れたまふ。(皇極紀二年十一月)
……終に子弟・妃妾と一時に自ら経きて倶に死せましぬ。(皇極紀二年十一月)
……、布を白き犬に縶け、鈴を著けて、己が族、名は腰佩と謂ふ人に、犬の縄を取らしめて献上りき。(雄略記)
大伴坂上郎女の親族と宴する日に吟へる歌一首(万401題詞)
栲綱の 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして 問ひ放くる 親族兄弟 無き国に 渡り来まして ……(万460)
…… 如己男に 負けてはあらじと 懸け佩きの 小剣取り佩き 冬◆(蔚の寸部分が刄)蕷葛 尋め行きければ 親族どち い行き集ひ 永き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと 処女墓 中に造り置き ……(万1809)
「負けじ」にあるマクについては、古典基礎語辞典に次のように解説されている。
「負く」と「巻く」の語源が同じであるかについては明言を避ける。ただし、「長い物には巻かれろ」という受身形の慣用句があるから、関連する語であろうと察しはつく。また、マク(枕く)はマク(巻く)と同根の語であることは確かであろう。共寝の相手の腕を枕にするとは、数分前、その腕で自分の身体は巻かれる行為に及んでいた。腕は、回しつけられ、まといつけられ、絡まされていた。それと、座(鞍)の意のクラが結びつき、マクラ(枕)という語は成っていると考えられる(注2)。
ウガラマケジと言い放たれた句の、マケジに「負けじ」だけでなく、「巻けじ」、「枕けじ」、「任(罷)けじ」というニュアンスが含まれていたとして問題はない(注3)。それどころか、かえってそのようなさまざまな言葉の意味のまとわりつきこそ、無文字言語時代のヤマトコトバの精神に合致する。そして、今問題にしている語は、マクというまとわりつきを表す語である。ある言葉がその言葉自身を自己循環的に説明することは、音声しか持たない無文字言語にとって、相手を得心に至らしめる唯一無比の手段であり、ヤマトコトバの正当性の根拠となる。
マクという語については、さまざまな漢字を当ててそれぞれの意味を理解する手掛かりとなっている。辞書により挙げる字に異動があるが、次のようなものが見られる。「負」、「敗」、「巻」、「纏」、「蒔」、「撒」、「播」、「枕」、「娶」、「任」、「罷」、「設」である。イザナミの、ウガラ(族)を「汝」の意へと拡大解釈させた言い方は、言葉を無理やり撚りつけた言い方である。その撚りをほどいた元の言い方が、「雖二汝与レ吾族也一、勿二看吾一矣」であったとすれば、イザナキの「不レ負二於族一」という漢文調表記も、「不レ負レ汝二於族一」の省略形であると考えられる。「族」という概念に於いてあなたには負けまい、ということを、ウガラマケジという省いた形にして簡潔に表している。話は男神族と女神族の対立ではなく、離縁のことである。現在の民法でも、離婚した後で子どもの親権や養育権をめぐって争い、子には相続権が残る。それに通じる問題を、ウガラの一語に封じ込めてしまっている。その切れるようで切れないつながりを、ウガラという語で表しているようである。すると、ウガラマケジが、「族」+「枕けじ」の意であるとする解釈は、両語が自己撞着的に収斂する意味を表すことになっておもしろい。ウガラというのだから夫婦であればマク(枕)ことは当たり前であるのに、それはもはやできない相談だと言っている。離婚宣言の第一発語、「族、離れなむ。」という意思表明のみならず、実地にセックスを拒んでいる。族だということが自動的に枕(娶)くことにはつながらないと言っている。
イザナキの離婚宣告は一方的である。その一方的な吐き捨てるような言辞から、二柱の神が成っている。その後、泉平坂という境目でイザナキとイザナミとは対峙する。家庭裁判所の光景である。泉守道者はイザナミ側の代理人である。依頼人のイザナミは、「吾与レ汝已生レ国矣。」と主張している。単にセックスを拒まれているにすぎないと勘違いしているイザナミの観点は、泉守道者によって表されている。国はすでに生んだからもう共寝の必要はない、別居状態でかまわないという言である。セックスレスを容認するかどうかなど、イザナキにとって周回遅れの議論である。
そしてまた、ウガラマケジは、「任(罷)く」の義として直接的に解釈され得る。古典基礎語辞典に、他動詞カ行下二段活用の意として、「①任命して赴任させる。主として「任く」と書く。……②命令で宮廷から退出させる。主として「罷く」と書く。」(1103頁、この項、須山名保子)とある。それぞれの例をあげる。
①即ち当国の幹了しき者を取りて、其の国郡の首長に任けよ。(成務紀四年二月)
②時に皇孫、姉は醜しと謂して、御さずして罷けたまふ。(神代紀第九段一書第二)
①と②とは、上位者が下位者に対して命令して行かせることながら、内容的にアンビバレントな関係にある。任命することも罷免することも同じマクである。最終的なマクの主体はお上にあり、その指示、意向に従うことになる。ウガラマケジはウガラなるがゆえに「任(罷)く」ことはできないだろう、という意味になる。イザナキとイザナミは婚姻関係にある二神である。婚姻届も離婚届も、提出するには両者の署名と押印が必要となる。一方的に決めることはできない。イザナミよ、黄泉国へ赴任してくださいとも、私のところから退出してくださいとも言えない。相互自己呪縛の関係が、婚姻関係、チギリ(契)であることをものの見事に写し取った言い方である。
つづいて、「是時」とあって「菊理媛神」が登場している。一方が代理人を立てて弁論しているのだから、今度はイザナキ側の代理人なのであろう。そのことは特に示されておらず、さらに菊理媛神の言った言葉も示されない。大きな謎掛けが仕掛けられている。菊理媛神の言に成らぬ言辞によって、イザナキはイザナミが発した範疇不明瞭な言葉、ウガラに対して抗している。ウガラという語はそのように使う語ではないと否定してかかっている。そのような曖昧な拡大解釈は許されない、そんな勝手な言葉遣いには負けないぞ、という決意表明である。その際、語の定義を正す方向へまっすぐ進むのではなく、売り言葉に買い言葉的に、イザナミがそう言うのであれば、その議論の設定に乗っかって言い返そうとしている。異なるレベルの言語活動が、ウガラマケジという発語に凝縮されている。語用論で議論されるさまざまな意味を逆にからめてしまい、一つの文脈、イザナキのイザナミに対する離婚宣告の第二発語場面において、言葉の爆弾となって効果的に炸裂している。現代の人が一語句一義との固定観念から考えて、助詞ニの脱落を誤りではないかとする指摘は、論理を操るのに長けた上代の人からすれば、言語能力上ずいぶん劣ると侮られるものであろう。
ウガラマケジという発語は、ウガラ負ケジでありつつ、ウガラ巻ケジであり、ウガラ任(罷)ケジであると感じられる。そんなウガラが形となって現れているものとして、鵜飼の際に鵜にまとわりつけられる手縄があげられる。可児1966.に次のようにある。
鵜を手元へ引き寄せるためにつけられる手縄が、上古からヒノキの繊維(注4)を撚ってできたものであったとすれば、鵜と鵜飼人との間の関係がうまくいかず、こじれていることと対比対照させられる。そのとき、鵜飼では、手縄は両者の結びつきを離すように逆に捻り返して切ってしまう。そうしないと、その一羽が溺れて死んでしまうだけでなく、絡んだ縄の先の鵜までも連鎖的、多重的に溺れ死んでしまう。一羽にこだわるとすべて失いかねない。そうなると、鵜匠(鵜使い)自身が生産手段をなくして路頭に迷うこととなる。負のスパイラルが生じる。だからすばやく捻って、縄を切る。もはや鵜縄は巻けないから、ウガラ(鵜柄)+マケジ(不レ所レ巻)である。
そして、イザナミがイザナキに対してなれなれしく、ウガラ(族)などと呼びかけたことに対して、ウガラ(族)というものは、本来、集合体のことを呼ぶ語であると捉え返している。上の仮説設定では、ウ(鵜)一族、鵜の仲間たちのことである。鵜飼いに飼われている鵜たちは、人間界の I や You、一人称(「吾」)でも二人称(「汝」)でもなく、神さまの男女、イザナキやイザナミでもなく、三人称、他人称に当たると考えられる。ウガラマケジとは、鵜一族は負けないだろうとの謂いである。
鵜は、小さいうちに人に捕らえられ魚を捕るよう調教させられる。アユやイナ(ボラの幼魚)などを捕まえ、代わりに小魚をもらって食べ、安定した暮らしをしている。首結いをつけられているから大きな魚を飲み込むことができない。それはただ単に、人が鵜の丸飲みの性質を利用した漁法にすぎない(注5)。鵜自身は、解き放たれて首結いがはずれれば自活してはいけるが、外敵から守られる保障はなくなる(注6)。
鵜は、ウと呼ばれている。人間の言語は、自然科学にDNA鑑定されて付けられるのではなく、恣意的である。あるとき、人との関係で交わりを持った動物は、その交わり方によって命名を受ける。鵜がウと名づけられたのも、鵜飼という興味深い人間の使用に耐えたことに由来するのであろう(注7)。ウカヒ(鵜飼)がウガヒ(嗽)と同根であることはよく知られる。同じように上を向いて喉でガラガラとし、ペッと吐き出す所作をする。その吐き出す様が、ウッという吐き出し方、頷く姿勢をとるところにから、ウと名づけられている。もちろん、語源の証明ではなく、語感としてそうであったろうとする仮説である。検証はできない。身をもってウガイ(嗽)をして口の内容物を吐き出してみればわかることである。
鵜飼船(一遍聖絵写、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2591579/1/34をトリミング)
その際、必ず頭を前へ下げてウッと吐き出す。このお辞儀の姿勢は、ウ(肯)である。「肯(宜)」、「宜し」、「諾なふ」、「諾うべ)」、「諾な諾な」という言葉となっている(注8)。
東の 市の植木の 木足るまで 逢はず久しみ 宜恋ひにけり(万310)
春ならば 宜も咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜眠も寝なくに(万831)
…… 人そ多にある 浦を良み 諾も釣はす 浜を良み 諾も塩焼く あり通ひ ……(万938)
今造る 久邇の都は 山川の 清けき見れば 諾知らすらし(万1037)
闇夜ならば 諾も来まさじ 梅の花 咲ける月夜に 出でまさじとや(万1452)
…… 山川を 清み清けみ 諾し神代ゆ 定めけらしも(907)
高光る 日の御子 諾しこそ 問ひ給へ 真こそに 問ひ給へ ……(仁徳記、記72歌謡)
…… 大刀ならば 呉の真刀 宜しかも 蘇我の子らを 大君の 使はすらしき(推古紀二十年正月、紀103歌謡)
天照大神の曰はく、「諾なり。〈諾、此には宇毎那利と云ふ〉」とのたまふ。(神武前紀戊午年六月)
直に逢はず 有るは諾なり 夢にだに 何しか人の 言の繁けむ(万2848)
…… 人の子ゆゑそ 通はすも吾子 諾な諾な 母は知らじ 諾な諾な 父は知らじ ……(万3295)
…… 諾な諾な 君待ち難に 我が着せる 襲衣の裾に 月立たなむよ(景行記、記28)
やすみしし 我が大君は 宜な宜な 我を問はすな ……(仁徳紀五十年三月、紀63歌謡)
〈其の服はざるは、唯星の神、香香背男のみ。〉(神代紀第九段本文)
すなわち、互いにウと言い合う間柄こそ、ウガラと呼んで言葉的に間違いない。互いにウンウン頷き合っている間柄の若いペアを、デートスポットのベンチに見ることができる。ウンウン吐いている鵜と、ウンウンよしよしと撫でるようにしている鵜飼いの関係である。給料を運ぶだけのイザナキに対して、ちょっとだけ料理を食べさせて喜ばせるイザナミという関係へと飛躍している。
そんなこんなでイザナキは離婚したがっている。そもそも結婚は契約である。売買契約や賃貸契約など、契約にはいろいろあるが、結婚という契約は、比喩として、鵜と鵜飼人との関係に相当するものと見ることができ、自分たちに当てはめてそれで良しとする契約であると思っても大きな誤りはないであろう。契約は、古語にチキリ(チギリ)(契)である。チキリ(榺)とは機織りの道具で、緒巻ともいい、経巻具のことである。和名抄に、「榺 四声字苑に云はく、榺〈音は勝負の勝、楊氏漢語抄に知岐利と云ふ〉は織機の経を巻く木なりといふ。」、新撰字鏡には、「機𦝘 知支利」とある。両端は太く、中央は細い形をしている。武器とする棒にも、同様の形状の乳切木があり、天秤棒の棹秤の一種も扛秤(杠秤)と言っている。男と女が両端にあって、中央は細いがしっかりとくっついている。そこへ経糸を巻きつけて引っ張りわたして機織りをする。機織りで梭(杼)shuttle を左右へ繰るのは、実は単純作業である。日々の暮らしのなかにある。肝心なのは機拵えである。織り始める前段階で、経糸が布巻具から筬を通って機にかかり、榺で機種を嵌ませて巻きあげテンションを整えておく。その最初の決め方が重要である。この第一段階をなおざりにしていい加減にしてしまうと、しっかりした織物は織り上がらない。織りの運命は、人生でどんな人と契るのかで決まるのと同じである。万事チキリ(チギリ)にかかっている。
左:榺(川崎市立日本民家園実演品)、右:鵜飼籠と天秤棒(長良川鵜飼https://www.gifu-sugiyama.com/ukai/secret/tool.html)
また、天秤棒の場合も、両側が釣り合うように荷や錘をかけている。荷を担ぐに際しては真ん中に人の肩がくる。鵜飼いの場合も、鵜籠を前と後ろに掛け、それぞれの籠に多ければ四羽ずつ鵜を入れて鵜舟へ運んでいる。この場合、必ず天秤棒の前と後ろに籠を掛ける。二羽だけ運ぶ場合にも、前籠、後籠に一羽ずつ入れて運ぶ。バランスがとれていなければ天秤棒は担げない。釣り合いのないチギリはあり得ない。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」(日本国憲法第24条)と謳われている(注9)。
菊理媛については、何と述べたのか記されないままにイザナキは喜んでほめている。我が意を得たりということであろう。何と述べたのか書いてないのは、書くことに不都合があるか、書かなくてもわかることかのいずれかの理由による。日本書紀ではほかに、「曰、云々。」という慣用表現がある。「天豊財重日足姫天皇、中大兄に位を伝へたまはむと思欲して詔して曰はく、云々。」(孝徳前紀)といった記述である。発語したことはわかるが、言葉が聞き取れなかったか伏せられている。そういう記述と、当該記述、「白すこと有り。」で終わるのとでは含意が異なる。おそらく、「菊理媛神」という他に見えない神が登場してきたら、説明する事柄はその名前に包含されていると考えられる。
すなわち、ククリヒメという名義は、ククルことをする神を表すものであろう。ククルとは、括ることと漏ることが同じ言葉ですよ、そう教えてくれる神である。神が顕れたことによって名が現され、そのことだけで、事柄、内容はすべて表されている。鵜は、首を括られつつ、水を潜る。潜るという語は、水が漏れ出る意として使われることが多いが、密にあるものの隙間をぬって移行する意である。鵜が潜って獲物をねらう際の、潜水艦か魚雷のような進み方は、川の中の障害物となる岩石や藻の隙間をくぐり抜けていく様子によく適合している。
菊理媛神が言っていたことは、その存在自体において既に表明されている(注10)。上位概念から下位概念を総括すること、ククル(括)こともしている。締め括りである。相手側代理人の泉守道者という者に対しても、同等に、その存在自体の矛盾の指摘へと向かう。道とあるからには通じている。そこをモリビトたるモル(守)という人がいる。同音のモル(漏)ことに同じであるというのである。だから、モル(漏)義のククル(潜)という名を負った神として、導かれるように菊理媛神は登場している。泉守道者がいかにモル(守)ことをしっかりやっても、そもそも道が通じているから守る役目を担っているのであって、道が通じている限りにおいてどうしたって通したくない犯罪者や謀反人は通過することがでてきてしまう。モル(漏)ことは避けられない。道が通じていないのであればモル(漏)ことは起こらないが、そのとき、モル(守)必要はなく、最初から泉守道者など存在しないということになる。
この哲学によって黄泉国からの脱出は終結する。離婚調停が成立して、イザナキはイザナミの束縛から解放され、「散去けぬ」こととして終わる。単に両者が別れましたという次元にとどまるのではなく、離婚劇そのものが幕を閉じ、舞台が滅失し、完了している。枠組自体が霧消する(注11)。このような手際が記紀の話には頻繁に見られる。無文字文化に暮らした人々の言語能力の高さに感心させられる。
ウガラ(族)という語を、「汝」に当てるような言葉の分解、拡張、頒布、拡散はできなかった。つまり、種蒔きをしようとしてもできなかった。だから、ウガラマケジである。「蒔(播)く」は下二段活用動詞である。イザナミのウガラ(族)概念の拡張は離婚裁判で否定された。ウガラ(族)とは、親族の関係にある者をまとめていう語であって、その対象者のうちの一人に対しての呼称とするのは間違いであると認定された。uncountable な名詞である。菊理媛神の存在による表明により、括り潜ることの全肯定が確かならしめられた。ウが鵜であり、諾であって正しいのである。
同じくカラとついて同族関係を表す語に、ヤカラ、ハラカラがある。ヤカラのヤは屋の意、ハラカラのハラは腹の意である。一つ屋根の下からぞろぞろと出てきて紹介される家族がヤカラという一族、一人の女性のお腹から産まれたのがハラカラという兄弟姉妹である。その伝でいくと、ウガラとは、一つ鵜から出てきたのがウガラであろう。鵜は鵜飼漁にたくさんの魚を飲み込んでは吐き出している。今日でこそ観光鵜飼船にアユばかりを対象としているが、古くはボラの大きめの幼魚、イナにおいても多く行われていた(注12)。同じ鵜から出てきたのが、ウ(諾)という意とは反対のイナ(否)である点にこの頓知話の眼目はある。ウガラと言って紹介されるのが、イナ、イナ、イナ、……ばかり続いていくとなると、ウガラなる族はそもそも無いのだということになる。それがウガラマケジの証明に当たる。結婚によって成り立つのがウガラ、離婚によって成り立たなくなるのがウガラ、そういう語の設定である。実体としてではなく、関係性の中での仮構的存在として位置づけられる。
イナの大量発生(伊勢志摩経済新聞https://iseshima.keizai.biz/headline/1382/)
ウガラという語については、鵜の首結いにつける手縄のことをウ(鵜)+ガラ(柄)のことであると洒落で見立てたと上述した。鵜飼の発祥地とされる日本や中国において、大きな獲物を飲み込めなくする首結いには稲藁が用いられていた。これは、鵜飼人が引き操る手縄とは別仕立てである。放ち鵜飼の場合でも首結いだけはしておいた。大きな獲物が食べられるのに、何も人の管理下に入って小魚をねだる必要はなくなる。この首結いには、農家から調達しておいた稲藁を水に浸して柔らかくし、うまい具合に窒息せず、指が入るぐらいに緩めに苦しくないように結わいつけられる(注13)。
稲藁のことは、古語に、単にワラ(藁)といい、また、イナガラ(稲幹)という。
なづきの田の 稲幹に 稲幹に 這ひ廻ろふ 野老蔓(景行記、記34歌謡)
常湛田の稲の、穂摘み刈りが終わった後の茎に、トコロイモの蔓が巻きついているあり様を描いている。ヤマノイモの蔓は、どこから延びているのだろうかと不思議なほど途方もなく長く延びる。泥田の畦に太くなった根があるのかもしれない。
カラという語は多様に用いられる。時代別国語大辞典は、「から【柄】」、「から【韓・漢・唐】」、「から【柄】」、「から(助詞)」の4項目、岩波古語辞典は、「から【族・柄】」、「から【萁・幹】」、「から【殻・軀】」、「から【韓・唐】」、「から【枯・涸・空・虚】[接頭語]」、「から[助詞]」という6項目を立てている。
他方、白川1995.は、「から〔殻(殼)・幹・茎(莖)・柄(◇(柄の旧字)〕」の1項目にまとめている。「「から」は外皮・外殻を意味するもの、草木の幹茎など、ものの根幹をなすもの、血縁や身分についてそのものに固有の本質をなすものなどをいう。みな同源の系列語である。このような基本語には、それぞれ語義に対応する漢字が選択されている。人には「からだ」という。……「から」は空なるもの、枯れたるもの、茎の形のものなどを意味する語。それに対応するものとして殻・幹・茎・柄の四字をあげておく。」(258頁)とある。
そんなイナガラ(稲幹)が稲藁である。それを鵜の首結いに用いる。すると、ウガラという語は、イナガラのことを指しているのではないかとも考えられる。鵜飼いは、鵜を十羽、二十羽と飼っている。今日の鵜匠は一人で十二羽操る。ウガラよ、出ておいで、と呼んだとき、首結いをつけて準備の整った鵜が、小屋からぞろぞろと出てきたとして、それはまさしくウガラという語にふさわしい。それがみなイナガラをつけている。やはり、イナ、イナ、イナ、……ばかり続いている。
ウガラが、鵜飼に用いられる鵜一族と洒落られたのかもしれない。日本の鵜飼の中国のそれとの違いは、今日見る限りウミウを使うことが多いことと、鵜飼いが鵜を繁殖させるわけではない点である。鵜飼小屋の鵜は、自然界の鵜を捕獲してきたもので、ほとんど「他人」ばかりのところを十把一絡げに集めてきている。そして、鵜小屋は一区画に二羽入れられペアとされている。そのペアリングは、カタリアイと呼ばれている(注14)。つがいのカップルのように思われているが、鵜の雌雄を見分けることは難しくそうとは限らない。すなわち、ウガラ(族)なる概念を押しつけて来たのは鵜飼人の勝手で、鵜にしてみれば冗談じゃないと反発を招きかねないことなのである。イザナキもイザナミに惚れたときは女だと思っていたが、ひょっとしてあれはオネエではないかと感じたのである。「始為レ族悲、及思哀者、是吾之怯矣。」と後悔の弁が述べられている。ウガラという語で一括りにされることは大きな間違いで、たまたま同部屋に入れられて、揃いの支度として首結いして決まっているだけだったということである。
最後に、ウガラがウガラと濁っていて、ウカラと澄んでいない点について考慮しておく。イナガラ(稲柄)などを思わせる語である。人柄、家柄、国柄といったガラと濁る点は、本来のカラの意からは外れるかもしれない拡張概念の指標とされよう。イザナミが猫なで声で、「族也、勿二看吾一矣。」としなを作って言い始めている。イザナキの反論は、語の状況設定、言葉を用いる際の枠組への反駁であった。ウガラなる概念を持ち出したとしても、それはほとんど役割語に傾斜している。この問答は、ウガラという語は、婚姻関係に伴って生じている虹のような言葉なのだと言い負かした話であった。関係性とは、実体としてはカラ(空)ということである。上代のヤマトコトバは、言葉によって言葉を定義、解釈することをくり返しながら確かなものとして使用されていた具体の産物である。ウガラという言葉は、その自己循環のあり様を示す好例と言えよう。
(注)
(注1)ウガラとヤカラの違いについては、「ウガラは婚姻関係を軸に結ばれた族であるのにたいし、ヤカラは同一先祖に出自し、本家を軸に縦に系譜的に結ばれた族である。……少なくともウガラの「ウ」が「生」にかかわり、ヤカラの「ヤ」が「家」にかかわるのはほぼ確か」(西郷2005.22頁)とされるのが現在有力な説である。筆者は、それを否定するつもりはないが、言葉の成り立ちを厳密に定めようとして語源を求めることは、言葉の使用性からしてあまり重要ではないと考える。使われている時、その使われている語がどのようなイメージで使われていたか、それこそが言葉へのアプローチとしてふさわしいであろう。
なお、金氏が「ウカラ」と清音で記しているのは、日本書紀の傍訓表記に重きを置くためと思われる。神代紀訓注に「宇我邏」、琴歌譜に「宇我良」とあるのが限られた仮名書き例であるものの、やはり濁音で「ウガラ」と言っていたと考えられる。
(注2)白川1995.は、「まくら〔枕〕」について、「「枕く」に接尾語「ら」をそえて、その物をあらわす。「ら」は愛称的な語である。さらに動詞化して「まくらく」「まくらまく」というそれぞれ四段の動詞がある。」(693頁)としている。また、「枕く」と同じ語とする「娶く」について、「もとは「目く」で、目を動詞化した語であろう。」(691頁)としている。ただし、万葉集に、「枕く」、「枕」関係の語、枕詞の「草枕」などを含めて、仮名書きに「目」字を用いた例は見られない。
(注3)問題はわずかに存在する。「負く」は下二段動詞だから、否定推量の助動詞ジを承ける未然形にして「負けじ」となる。「巻く」や「枕く」、「娶く」系統の語は四段動詞だから、「巻(枕)かじ」、あるいは、「巻(枕)かれじ」、「巻き得じ」などの形を取らなければならない。けれども、自動詞としての用法に、下二段動詞の存在した痕跡が見られる。時代別国語大辞典に、「「眉間ノ毫相ハ常ニ右ニ旋リ」(西大寺本最勝王経古点)」(668頁)の例をあげている。前田本日本書紀訓に、「二の女の手に、良き珠纏けること有り。」(仁徳紀四十年是歳)とある。巻かれていることがあった、という意味である。すなわち、ウガラマケジの音から「巻く」、「枕く」、「娶く」の意として、族が巻かれる、まといつく、絡んでいる、という意に理解されることはあったと考えられる。語源同一説は傾聴に値する。
(注4)最上1967.に、「長良・小瀬をはじめその系統をひいて鵜飼を復活した土地では、すこぶる原始的な方法でテナワをつくっている。ヒノキ材を薄くへいだものの数日水にひたしてやわらかくし、数本の針のならんだ道具でこいて、細い糸とし、それで三ツ編にしてテナワをつくるのである。これはなかなか丈夫でありながら、ちょっとよりを戻した上でひっぱるとポツッときれる。ウが水中の材などにひっかかった時、即座にテナワを切って放さないと助からないことがあり、そういう時にこの性質が役立つという。」(41頁)とある。
民俗資料では、日本から中国にかけての鵜飼の手縄は、必ずしもヒノキの繊維を撚ったものに限らない。篠原1990.には、「ウを操る手綱・タスキがシュロ縄からナイロン製に変わった。」(175頁)とある。以前から使われていたシュロ縄も、容易くは切れないものと思われる。ただし、複数の鵜を使うのは当然のように行われており、もつれないようにするには熟練を要する。鵜は、縄のことなどおかまいなしに本能的に魚を捕まえに行く。輪にしたり上を下をとくぐっていく。絡んでしまったら舟をまかせて下流へやり、鵜をひとまず舟べりに上げて休ませながら、人の方が川に入って縄のもつれをほどいていく。商売道具がいちばん大切であることは世の常であろう。
(注5)鵜は時に自分の身体に比べてあまりにも大きな魚を獲物にして飲み込もうとすることがある。大きすぎる魚を喉に入れたまま死んでいる姿が見られるという。ただし、窒息して死んだのではなく、飲み込もうとしてがんばっているうちに体力を消耗してつき果てるといわれている。
(注6)後述のとおり、鵜の首結いには藁が用いられる。朽ちやすいからむしろふさわしいのかもしれない。無益な殺生は、めぐりめぐって鵜飼に使う鵜の数を減らしかねない。自然保護の観点からそう考えたのではなく、そのようなことをすれば、自分の首を絞めることにつながるという言語的な循環論法により認識していたのではなかろうか。
(注7)卯田2014.の「まえがき」には、「なぜ、鵜飼い漁を研究しているのか」にまつわる問いと答えのキャッチボールがある。「自然と人間のかかわり」について研究すると言った場合、そのかかわりにおいて、鵜飼は、まず鵜とかかわったうえで魚とかかわるという二重のかかわりが見られる。それは鷹狩にも見られるが、鵜飼の場合は複数の鵜を小屋で飼育し、鵜どうしのかかわりにも任せながら進められる。かかずらわりあうとでも呼べるような、譬えて言えば手縄や首結いの纏わりつきのような関係が、自然と人間との間、またそれぞれの間、またそれぞれの間の間に生じているのである。こうなると、「自然」や「人間」は、確固として存在しているものではないものへと転調を来たす。関係性をカラ(柄、空)と捉えていた上代人は、物事をよく理解していたようである。
(注8)上代に、承諾の意としてウと言っていたのか、疑問とする向きもあろう。
否も諾も 欲しきまにまに 赦すべし 貌見ゆるかも 我も依りなむ(万3796)
何為むと 違ひは居らむ 否も諾も 友の並々 我も依りなむ(万3798)
原文に、「否藻諾藻」と記される上の2例については、イナモヲモと訓まれたと考えられている。「否諾かも 我や然思ふ」(万2593・3470)、「否諾かも かなしき児ろが」(万3351)の原文に、それぞれ「否乎鴨」、「伊奈乎加母」、「伊奈乎可母」とあることから「諾」はヲと訓むからである。
辞書に載る承諾の意の感動詞については1例見られるばかりである。
けふの内に 否ともう共 云ひはてよ 人頼めなる 事なせられそ(信明集、970頃)
ただし、口語的表現を多く伝える日葡辞書は、「Vtomo mutomo fenji nai.(有とも無とも返事ない)……そうだともそうでないとも,返事をしなかった.」(674頁)という用例を載せる。これは、「V.ウ(有)」の項の例であるが、「Vm.ウㇺ(うむ)自分に向かって言われた事に同意するとか、それを了解したとかを示す感動詞.」(691頁)とも記されている。ウトモムトモについては、このウㇺという感動詞に有無という漢語を掛けて洒落で表した言葉であろう。ウンスンカルタに由来するかとされる、「うんともすんとも言わない」という類義語がある。
(注9)「維持されな」い婚姻が、今日、3組に1組あると言われるが、チキリ(チギリ)の決め方にアンバランスがあって支障を来たす場合も多い。無理やり担がなくてもいい時代になっているから、ちきり棒をすぐに下ろしてしまう。
(注10)このような解説なしの解説が行われる点から、上代人のものの考え方が繙かれることもあるだろう。くだくだしく説明を並べるようでは当たっていないということである。言葉の中に矛盾が一切なければすでに言い尽くされており、根本命題にして第一定理であって絶対真理である。その優位性は何ものにも代え難く、いかなる雑音も掻き消える。これを現代の研究者は、言葉の力などと浮ついた言葉で論じているが、まことに真なる言葉は状況から一語に収斂することさえある。本質直観されていたのが上代人の言語世界であった。
(注11)枠組の概念についてはゴフマンに以下のようにある。
イザナキとイザナミは、黄泉国で再会して co-presence の状況になる。その状況の定義づけ framing が行われなければ何が起こっているのか定められない。一次的枠組 primary framework によって共有されるはずの意味に齟齬が生じている。イザナキとイザナミとで、ウガラ(族)という一語をめぐって応酬が繰り広げられるのは、互いの framing の相違によるもので、それぞれの framing に則った異なるレベルの水掛け論が生じている。そして、イザナキの発した「ウガラマケジ(族負けじ)」という句と、菊理媛神という名の神の存在によって、イザナキが新たに下した一句の framing によって、framing of frame する離れ業をやってのけている。言=事であるのが、上代の言霊信仰のもとに暮らした人の通念であったから、a person-role formula において、gear-changing に成功したのであった。
(注12)拙稿「事代主神の応諾について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/0c9178d94e7bad106c7159a74fd78ad1参照。
(注13)中国での鵜飼の首結いについて、卯田2014.に、「首結いに使用される材料は稲わらのほか,麦わら,葦の茎,トウモロコシの茎,細長い布製の紐がある.このなかで稲わらの使用がもっとも多い.……稲わらが使用されている地域では周辺で水田稲作がおこなわれており,漁師たちは農家から調達してきた稲わらを自宅で乾燥させて保管している.カワウの頸に首結いを付けるとき,彼らはまず稲わらを水に浸し,手で何度ももむ.こうすることで乾燥した稲わらをやわらかくし,切れにくくするのである.首結いの結び方はいわゆる男結びである.」(60~61頁)とある。
(注14)最上1967.77頁。
(引用・参考文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
卯田2014. 卯田宗平『鵜飼いと現代中国─人と動物、国家のエスノグラフィー─』東京大学出版会、2014年。
可児1966. 可児弘明『鵜飼─よみがえる民俗と伝承─』中央公論社(中公新書)、昭和41年。
金2017. 金紋敬「『日本書紀』古訓「ウカラ」「ヤカラ」考」蜂矢真郷編『論集古代語の研究』清文堂出版、2017年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
西郷2005. 西郷信綱『古事記注釈 第三巻』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2005年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
篠原1990. 篠原徹『自然と民俗─心意のなかの動植物─』日本エディタースクール出版部、1990年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
大系本日本書紀 坂本太郎・井上光貞・家永三郎・大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店(ワイド版岩波文庫)、2003年。
日葡辞書 土井忠生・森田武・長南実編訳『邦訳日葡辞書』岩波書店、1995年。
最上1967. 最上孝敬『原始漁法の民俗』岩崎美術社、1967年。
Goffman1986. Erving Goffman “Frame analysis:An Essay on the Organization of Experience.” Northeastern University Press, 1986.(New York : Harper & Row.1974.)
※本稿は、2017年8月稿を2020年9月に整理し、2023年8月に加筆、ルビ化したものである。
金2017.は、日本書紀の古伝本に付された古訓を網羅的にあげていき、その用いられ方から古語の義を確かめようとしている。結論として、「「ウカラ」は主に子や兄弟・親・妻など比較的身近な関係に使用されているのに対して、「ヤカラ」は同一先祖から結ばれた縦の関係(ここでいう「一族」)の場合に用いられることが明らかになった。」(203頁)とする(注1)。
家族や一族があるのは、婚姻により子供ができて家族の成員が増えていくことを基とする。子どものいない独身の高齢者は、親族に含まれることはあっても自ら親族を構成していくことはない。つまり、族がその時点でなければ、族は作れない。召使を雇えばそれは族になるかもしれないが、なかなかそのようにはならない。召使を雇えるほどの資産家であれば、誰かと結婚していていたり養子をとったりするのがふつうであった。また、独身のままでいて新たに召使を雇うことは、治安の悪い時代には危険を伴うものでもあった。
大系本日本書紀の補注には、ウガラマケジという付訓について疑問が呈されている。本文を提示したのち引用する。
一書に曰はく、伊奘諾尊、追ひて伊奘冉尊の所在す処に至りまして、便ち語りて曰はく、「汝を悲しとおもふが故に来つ」とのたまふ。答へて曰はく、「族、吾をな看ましそ」とのたまふ。伊奘諾尊 、従ひたまはずして猶看す。故、伊奘冉尊、恥ぢ恨みて曰はく、「汝已に我が情を見つ。我、復汝が情を見む」とのたまふ。時に、伊奘諾尊亦慙ぢたまふ。因りて、出で返りなむとす。時に、直に黙して帰りたまはずして、盟ひ曰はく、「族離れなむ」とのたまふ。又曰はく、「族負けじ」とのたまふ。乃ち唾く神を号けて速玉之男と曰す。次に掃ふ神を泉津事解之男と号く。凡て二の神ます。其の妹と泉平坂に相闘ふに及りて、伊奘諾尊の曰はく、「始め族の為に悲び、思哀びけることは、是吾が怯きなりけり」とのたまふ。時に泉守道者白して云さく、「言有り。曰はく、『吾、汝と已に国を生みてき。奈何ぞ更に生かむことを求めむ。吾は此の国に留りて、共に去ぬべからず』とのたまふ」とまをす。是の時に、菊理媛神、亦白す事有り。伊奘諾尊聞しめして善めたまふ。乃ち散去けぬ。……不負於族、此には宇我邏磨穊茸と云ふ。(神代紀第五段一書第十)
不負於族……下に宇我邏磨穊茸(マケジ)とあるので、それに倣ってウガラマケジと付訓する。その意は、「族に負けまい」で、女神が一日に千人絞殺すると言ったに対して、男神が一日に千五百人生ましめようと言った事を指す。日本語では、主格や目的格の助詞は、本来欠けている場合が少なくないのだが、「族に負けまい」というような場合に、補格の助詞「に」を欠く例はほとんど無い。従って、ここでウガラニマケジのニが無いのは極めて問題である。おそらくニを脱したのか、あるいは、族と不負とに、別々にウガラ、マケジと付訓してあったものを機械的に続けたものであろう。なお、これの上文の族離れなむは、後世行なわれた放氏と同じように氏から追放するの意であったか。((一)345頁)
上のような語の捉え方をすれば、補格の脱落は奇妙である。ここで、ウガラと呼んでいるのは、イザナキ、イザナミ、双方が双方をそう呼んでいるものと想定している。一方、「不レ負二於族一」を「族に負けじ」であるとしても、いささか不明瞭なことが起こる。そう訓んだ場合の解釈に、女神族に負けまい、としている。男神族と女神族とが対立するとする考えは、それはそれで成り立つが、「男族」、「女族」という言い方は知られない。「不レ負二於族一」と記されてあれば、「族」に「於いて」「負けない」こと、「族」という次元では負けないという意味にもとれる。「不負於汝族」とないのが不審である。最初のイザナミの言葉、「族也、勿二看吾一矣。」の「族」は、イザナキひとりを指して、あなたは私を見るな、という呼びかけにすぎず、他の眷属は含まれない。「汝也、勿二看吾一矣」とせずに、ことさらに「族」という語を持ち出している。持って回った言い方である。私とあなたの仲じゃないか、と馴染んでしまった女に責められている。「汝は吾と族なり(汝与吾族也)。」を記述上で略して、「族也、……」として、「也」を断定の助動詞から間投の助詞へと転化させているように思われる。問題は、「族」という概念にある。
「族」なる語についての記述は、課題としている神代紀第五段一書第十に集中している。その箇所は、語の定義をその使用によって明らかにしようとする試みと見られる。当時の語の意識を反映するべく記述されているということである。他の例は以下の通りである。
悉に親族を集へて宴せむとす。(景行紀二十七年十二月)
親族篤ぶるときは、民、仁に興らむ。(顕宗前紀)
是を以て、今より以後、各親族及び篤信ある者に就きて、一二の舎屋を間処に立てて、老いたる者は身を養ひ、病ある者は薬を服へ。(天武紀八年十月是月)
武蔵国造笠原直使主と同族小杵と、国造を相争ひて、〈使主・小杵、皆名なり。〉年経るに決め難し。(安閑紀元年閏十二月是月)
凡そ諸の考選はむ者は、能く其の族姓及び景迹を検へて、方に後に考めむ。(天武紀十一年八月)
遂に其の妃、幷に子弟等を率て、間を得て逃げ出でて、膽駒山に隠れたまふ。(皇極紀二年十一月)
……終に子弟・妃妾と一時に自ら経きて倶に死せましぬ。(皇極紀二年十一月)
……、布を白き犬に縶け、鈴を著けて、己が族、名は腰佩と謂ふ人に、犬の縄を取らしめて献上りき。(雄略記)
大伴坂上郎女の親族と宴する日に吟へる歌一首(万401題詞)
栲綱の 新羅の国ゆ 人言を よしと聞かして 問ひ放くる 親族兄弟 無き国に 渡り来まして ……(万460)
…… 如己男に 負けてはあらじと 懸け佩きの 小剣取り佩き 冬◆(蔚の寸部分が刄)蕷葛 尋め行きければ 親族どち い行き集ひ 永き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと 処女墓 中に造り置き ……(万1809)
「負けじ」にあるマクについては、古典基礎語辞典に次のように解説されている。
まく【負く】自動カ下二/他動カ下二
解説 マクは上代・中古で「負」「敗」「纏」「蜷」の訓として使われる。マク(負く)とマク(巻く)とは共に『名義抄』によるアクセントが「上平」で語源が同じ。マク(負く)はマク(巻く、カ四)の受身形で、相手の力に巻き込まれること、圧倒され動きがとれなくなることが原義。(1103~1104頁。この項、須山名保子)
解説 マクは上代・中古で「負」「敗」「纏」「蜷」の訓として使われる。マク(負く)とマク(巻く)とは共に『名義抄』によるアクセントが「上平」で語源が同じ。マク(負く)はマク(巻く、カ四)の受身形で、相手の力に巻き込まれること、圧倒され動きがとれなくなることが原義。(1103~1104頁。この項、須山名保子)
「負く」と「巻く」の語源が同じであるかについては明言を避ける。ただし、「長い物には巻かれろ」という受身形の慣用句があるから、関連する語であろうと察しはつく。また、マク(枕く)はマク(巻く)と同根の語であることは確かであろう。共寝の相手の腕を枕にするとは、数分前、その腕で自分の身体は巻かれる行為に及んでいた。腕は、回しつけられ、まといつけられ、絡まされていた。それと、座(鞍)の意のクラが結びつき、マクラ(枕)という語は成っていると考えられる(注2)。
ウガラマケジと言い放たれた句の、マケジに「負けじ」だけでなく、「巻けじ」、「枕けじ」、「任(罷)けじ」というニュアンスが含まれていたとして問題はない(注3)。それどころか、かえってそのようなさまざまな言葉の意味のまとわりつきこそ、無文字言語時代のヤマトコトバの精神に合致する。そして、今問題にしている語は、マクというまとわりつきを表す語である。ある言葉がその言葉自身を自己循環的に説明することは、音声しか持たない無文字言語にとって、相手を得心に至らしめる唯一無比の手段であり、ヤマトコトバの正当性の根拠となる。
マクという語については、さまざまな漢字を当ててそれぞれの意味を理解する手掛かりとなっている。辞書により挙げる字に異動があるが、次のようなものが見られる。「負」、「敗」、「巻」、「纏」、「蒔」、「撒」、「播」、「枕」、「娶」、「任」、「罷」、「設」である。イザナミの、ウガラ(族)を「汝」の意へと拡大解釈させた言い方は、言葉を無理やり撚りつけた言い方である。その撚りをほどいた元の言い方が、「雖二汝与レ吾族也一、勿二看吾一矣」であったとすれば、イザナキの「不レ負二於族一」という漢文調表記も、「不レ負レ汝二於族一」の省略形であると考えられる。「族」という概念に於いてあなたには負けまい、ということを、ウガラマケジという省いた形にして簡潔に表している。話は男神族と女神族の対立ではなく、離縁のことである。現在の民法でも、離婚した後で子どもの親権や養育権をめぐって争い、子には相続権が残る。それに通じる問題を、ウガラの一語に封じ込めてしまっている。その切れるようで切れないつながりを、ウガラという語で表しているようである。すると、ウガラマケジが、「族」+「枕けじ」の意であるとする解釈は、両語が自己撞着的に収斂する意味を表すことになっておもしろい。ウガラというのだから夫婦であればマク(枕)ことは当たり前であるのに、それはもはやできない相談だと言っている。離婚宣言の第一発語、「族、離れなむ。」という意思表明のみならず、実地にセックスを拒んでいる。族だということが自動的に枕(娶)くことにはつながらないと言っている。
イザナキの離婚宣告は一方的である。その一方的な吐き捨てるような言辞から、二柱の神が成っている。その後、泉平坂という境目でイザナキとイザナミとは対峙する。家庭裁判所の光景である。泉守道者はイザナミ側の代理人である。依頼人のイザナミは、「吾与レ汝已生レ国矣。」と主張している。単にセックスを拒まれているにすぎないと勘違いしているイザナミの観点は、泉守道者によって表されている。国はすでに生んだからもう共寝の必要はない、別居状態でかまわないという言である。セックスレスを容認するかどうかなど、イザナキにとって周回遅れの議論である。
そしてまた、ウガラマケジは、「任(罷)く」の義として直接的に解釈され得る。古典基礎語辞典に、他動詞カ行下二段活用の意として、「①任命して赴任させる。主として「任く」と書く。……②命令で宮廷から退出させる。主として「罷く」と書く。」(1103頁、この項、須山名保子)とある。それぞれの例をあげる。
①即ち当国の幹了しき者を取りて、其の国郡の首長に任けよ。(成務紀四年二月)
②時に皇孫、姉は醜しと謂して、御さずして罷けたまふ。(神代紀第九段一書第二)
①と②とは、上位者が下位者に対して命令して行かせることながら、内容的にアンビバレントな関係にある。任命することも罷免することも同じマクである。最終的なマクの主体はお上にあり、その指示、意向に従うことになる。ウガラマケジはウガラなるがゆえに「任(罷)く」ことはできないだろう、という意味になる。イザナキとイザナミは婚姻関係にある二神である。婚姻届も離婚届も、提出するには両者の署名と押印が必要となる。一方的に決めることはできない。イザナミよ、黄泉国へ赴任してくださいとも、私のところから退出してくださいとも言えない。相互自己呪縛の関係が、婚姻関係、チギリ(契)であることをものの見事に写し取った言い方である。
つづいて、「是時」とあって「菊理媛神」が登場している。一方が代理人を立てて弁論しているのだから、今度はイザナキ側の代理人なのであろう。そのことは特に示されておらず、さらに菊理媛神の言った言葉も示されない。大きな謎掛けが仕掛けられている。菊理媛神の言に成らぬ言辞によって、イザナキはイザナミが発した範疇不明瞭な言葉、ウガラに対して抗している。ウガラという語はそのように使う語ではないと否定してかかっている。そのような曖昧な拡大解釈は許されない、そんな勝手な言葉遣いには負けないぞ、という決意表明である。その際、語の定義を正す方向へまっすぐ進むのではなく、売り言葉に買い言葉的に、イザナミがそう言うのであれば、その議論の設定に乗っかって言い返そうとしている。異なるレベルの言語活動が、ウガラマケジという発語に凝縮されている。語用論で議論されるさまざまな意味を逆にからめてしまい、一つの文脈、イザナキのイザナミに対する離婚宣告の第二発語場面において、言葉の爆弾となって効果的に炸裂している。現代の人が一語句一義との固定観念から考えて、助詞ニの脱落を誤りではないかとする指摘は、論理を操るのに長けた上代の人からすれば、言語能力上ずいぶん劣ると侮られるものであろう。
ウガラマケジという発語は、ウガラ負ケジでありつつ、ウガラ巻ケジであり、ウガラ任(罷)ケジであると感じられる。そんなウガラが形となって現れているものとして、鵜飼の際に鵜にまとわりつけられる手縄があげられる。可児1966.に次のようにある。
手縄はヒノキの木質部を細くさいて右撚りになったものであり、長さは平均三・三メートル、径三~五ミリである。ヒノキを材料にすると三つの利点がある。第一に水に浸すとさばさばして捌きやすいため、ウが篝火の下で縦横に動いてももつれにくい。第二に引く力に強く耐えることであり、手縄をたぐってウを手もとに引きよせるのにつごうがよい。第三に川に障害物が多く、これに手縄がまきつくとウが水上に浮かびあがれず、 溺死する危険がある。この時は間髪をいれず、気合いとともに手縄をねじきる必要がある。ヒノキの繊維は、撚りをもどすとたやすく切れる。こうした利点をかわれて、ナイロン時代にも化繊をうけつけない。(101~102頁。旧字体は改めた)
鵜を手元へ引き寄せるためにつけられる手縄が、上古からヒノキの繊維(注4)を撚ってできたものであったとすれば、鵜と鵜飼人との間の関係がうまくいかず、こじれていることと対比対照させられる。そのとき、鵜飼では、手縄は両者の結びつきを離すように逆に捻り返して切ってしまう。そうしないと、その一羽が溺れて死んでしまうだけでなく、絡んだ縄の先の鵜までも連鎖的、多重的に溺れ死んでしまう。一羽にこだわるとすべて失いかねない。そうなると、鵜匠(鵜使い)自身が生産手段をなくして路頭に迷うこととなる。負のスパイラルが生じる。だからすばやく捻って、縄を切る。もはや鵜縄は巻けないから、ウガラ(鵜柄)+マケジ(不レ所レ巻)である。
そして、イザナミがイザナキに対してなれなれしく、ウガラ(族)などと呼びかけたことに対して、ウガラ(族)というものは、本来、集合体のことを呼ぶ語であると捉え返している。上の仮説設定では、ウ(鵜)一族、鵜の仲間たちのことである。鵜飼いに飼われている鵜たちは、人間界の I や You、一人称(「吾」)でも二人称(「汝」)でもなく、神さまの男女、イザナキやイザナミでもなく、三人称、他人称に当たると考えられる。ウガラマケジとは、鵜一族は負けないだろうとの謂いである。
鵜は、小さいうちに人に捕らえられ魚を捕るよう調教させられる。アユやイナ(ボラの幼魚)などを捕まえ、代わりに小魚をもらって食べ、安定した暮らしをしている。首結いをつけられているから大きな魚を飲み込むことができない。それはただ単に、人が鵜の丸飲みの性質を利用した漁法にすぎない(注5)。鵜自身は、解き放たれて首結いがはずれれば自活してはいけるが、外敵から守られる保障はなくなる(注6)。
鵜は、ウと呼ばれている。人間の言語は、自然科学にDNA鑑定されて付けられるのではなく、恣意的である。あるとき、人との関係で交わりを持った動物は、その交わり方によって命名を受ける。鵜がウと名づけられたのも、鵜飼という興味深い人間の使用に耐えたことに由来するのであろう(注7)。ウカヒ(鵜飼)がウガヒ(嗽)と同根であることはよく知られる。同じように上を向いて喉でガラガラとし、ペッと吐き出す所作をする。その吐き出す様が、ウッという吐き出し方、頷く姿勢をとるところにから、ウと名づけられている。もちろん、語源の証明ではなく、語感としてそうであったろうとする仮説である。検証はできない。身をもってウガイ(嗽)をして口の内容物を吐き出してみればわかることである。
鵜飼船(一遍聖絵写、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2591579/1/34をトリミング)
その際、必ず頭を前へ下げてウッと吐き出す。このお辞儀の姿勢は、ウ(肯)である。「肯(宜)」、「宜し」、「諾なふ」、「諾うべ)」、「諾な諾な」という言葉となっている(注8)。
東の 市の植木の 木足るまで 逢はず久しみ 宜恋ひにけり(万310)
春ならば 宜も咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜眠も寝なくに(万831)
…… 人そ多にある 浦を良み 諾も釣はす 浜を良み 諾も塩焼く あり通ひ ……(万938)
今造る 久邇の都は 山川の 清けき見れば 諾知らすらし(万1037)
闇夜ならば 諾も来まさじ 梅の花 咲ける月夜に 出でまさじとや(万1452)
…… 山川を 清み清けみ 諾し神代ゆ 定めけらしも(907)
高光る 日の御子 諾しこそ 問ひ給へ 真こそに 問ひ給へ ……(仁徳記、記72歌謡)
…… 大刀ならば 呉の真刀 宜しかも 蘇我の子らを 大君の 使はすらしき(推古紀二十年正月、紀103歌謡)
天照大神の曰はく、「諾なり。〈諾、此には宇毎那利と云ふ〉」とのたまふ。(神武前紀戊午年六月)
直に逢はず 有るは諾なり 夢にだに 何しか人の 言の繁けむ(万2848)
…… 人の子ゆゑそ 通はすも吾子 諾な諾な 母は知らじ 諾な諾な 父は知らじ ……(万3295)
…… 諾な諾な 君待ち難に 我が着せる 襲衣の裾に 月立たなむよ(景行記、記28)
やすみしし 我が大君は 宜な宜な 我を問はすな ……(仁徳紀五十年三月、紀63歌謡)
〈其の服はざるは、唯星の神、香香背男のみ。〉(神代紀第九段本文)
すなわち、互いにウと言い合う間柄こそ、ウガラと呼んで言葉的に間違いない。互いにウンウン頷き合っている間柄の若いペアを、デートスポットのベンチに見ることができる。ウンウン吐いている鵜と、ウンウンよしよしと撫でるようにしている鵜飼いの関係である。給料を運ぶだけのイザナキに対して、ちょっとだけ料理を食べさせて喜ばせるイザナミという関係へと飛躍している。
そんなこんなでイザナキは離婚したがっている。そもそも結婚は契約である。売買契約や賃貸契約など、契約にはいろいろあるが、結婚という契約は、比喩として、鵜と鵜飼人との関係に相当するものと見ることができ、自分たちに当てはめてそれで良しとする契約であると思っても大きな誤りはないであろう。契約は、古語にチキリ(チギリ)(契)である。チキリ(榺)とは機織りの道具で、緒巻ともいい、経巻具のことである。和名抄に、「榺 四声字苑に云はく、榺〈音は勝負の勝、楊氏漢語抄に知岐利と云ふ〉は織機の経を巻く木なりといふ。」、新撰字鏡には、「機𦝘 知支利」とある。両端は太く、中央は細い形をしている。武器とする棒にも、同様の形状の乳切木があり、天秤棒の棹秤の一種も扛秤(杠秤)と言っている。男と女が両端にあって、中央は細いがしっかりとくっついている。そこへ経糸を巻きつけて引っ張りわたして機織りをする。機織りで梭(杼)shuttle を左右へ繰るのは、実は単純作業である。日々の暮らしのなかにある。肝心なのは機拵えである。織り始める前段階で、経糸が布巻具から筬を通って機にかかり、榺で機種を嵌ませて巻きあげテンションを整えておく。その最初の決め方が重要である。この第一段階をなおざりにしていい加減にしてしまうと、しっかりした織物は織り上がらない。織りの運命は、人生でどんな人と契るのかで決まるのと同じである。万事チキリ(チギリ)にかかっている。
左:榺(川崎市立日本民家園実演品)、右:鵜飼籠と天秤棒(長良川鵜飼https://www.gifu-sugiyama.com/ukai/secret/tool.html)
また、天秤棒の場合も、両側が釣り合うように荷や錘をかけている。荷を担ぐに際しては真ん中に人の肩がくる。鵜飼いの場合も、鵜籠を前と後ろに掛け、それぞれの籠に多ければ四羽ずつ鵜を入れて鵜舟へ運んでいる。この場合、必ず天秤棒の前と後ろに籠を掛ける。二羽だけ運ぶ場合にも、前籠、後籠に一羽ずつ入れて運ぶ。バランスがとれていなければ天秤棒は担げない。釣り合いのないチギリはあり得ない。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」(日本国憲法第24条)と謳われている(注9)。
菊理媛については、何と述べたのか記されないままにイザナキは喜んでほめている。我が意を得たりということであろう。何と述べたのか書いてないのは、書くことに不都合があるか、書かなくてもわかることかのいずれかの理由による。日本書紀ではほかに、「曰、云々。」という慣用表現がある。「天豊財重日足姫天皇、中大兄に位を伝へたまはむと思欲して詔して曰はく、云々。」(孝徳前紀)といった記述である。発語したことはわかるが、言葉が聞き取れなかったか伏せられている。そういう記述と、当該記述、「白すこと有り。」で終わるのとでは含意が異なる。おそらく、「菊理媛神」という他に見えない神が登場してきたら、説明する事柄はその名前に包含されていると考えられる。
すなわち、ククリヒメという名義は、ククルことをする神を表すものであろう。ククルとは、括ることと漏ることが同じ言葉ですよ、そう教えてくれる神である。神が顕れたことによって名が現され、そのことだけで、事柄、内容はすべて表されている。鵜は、首を括られつつ、水を潜る。潜るという語は、水が漏れ出る意として使われることが多いが、密にあるものの隙間をぬって移行する意である。鵜が潜って獲物をねらう際の、潜水艦か魚雷のような進み方は、川の中の障害物となる岩石や藻の隙間をくぐり抜けていく様子によく適合している。
菊理媛神が言っていたことは、その存在自体において既に表明されている(注10)。上位概念から下位概念を総括すること、ククル(括)こともしている。締め括りである。相手側代理人の泉守道者という者に対しても、同等に、その存在自体の矛盾の指摘へと向かう。道とあるからには通じている。そこをモリビトたるモル(守)という人がいる。同音のモル(漏)ことに同じであるというのである。だから、モル(漏)義のククル(潜)という名を負った神として、導かれるように菊理媛神は登場している。泉守道者がいかにモル(守)ことをしっかりやっても、そもそも道が通じているから守る役目を担っているのであって、道が通じている限りにおいてどうしたって通したくない犯罪者や謀反人は通過することがでてきてしまう。モル(漏)ことは避けられない。道が通じていないのであればモル(漏)ことは起こらないが、そのとき、モル(守)必要はなく、最初から泉守道者など存在しないということになる。
この哲学によって黄泉国からの脱出は終結する。離婚調停が成立して、イザナキはイザナミの束縛から解放され、「散去けぬ」こととして終わる。単に両者が別れましたという次元にとどまるのではなく、離婚劇そのものが幕を閉じ、舞台が滅失し、完了している。枠組自体が霧消する(注11)。このような手際が記紀の話には頻繁に見られる。無文字文化に暮らした人々の言語能力の高さに感心させられる。
ウガラ(族)という語を、「汝」に当てるような言葉の分解、拡張、頒布、拡散はできなかった。つまり、種蒔きをしようとしてもできなかった。だから、ウガラマケジである。「蒔(播)く」は下二段活用動詞である。イザナミのウガラ(族)概念の拡張は離婚裁判で否定された。ウガラ(族)とは、親族の関係にある者をまとめていう語であって、その対象者のうちの一人に対しての呼称とするのは間違いであると認定された。uncountable な名詞である。菊理媛神の存在による表明により、括り潜ることの全肯定が確かならしめられた。ウが鵜であり、諾であって正しいのである。
同じくカラとついて同族関係を表す語に、ヤカラ、ハラカラがある。ヤカラのヤは屋の意、ハラカラのハラは腹の意である。一つ屋根の下からぞろぞろと出てきて紹介される家族がヤカラという一族、一人の女性のお腹から産まれたのがハラカラという兄弟姉妹である。その伝でいくと、ウガラとは、一つ鵜から出てきたのがウガラであろう。鵜は鵜飼漁にたくさんの魚を飲み込んでは吐き出している。今日でこそ観光鵜飼船にアユばかりを対象としているが、古くはボラの大きめの幼魚、イナにおいても多く行われていた(注12)。同じ鵜から出てきたのが、ウ(諾)という意とは反対のイナ(否)である点にこの頓知話の眼目はある。ウガラと言って紹介されるのが、イナ、イナ、イナ、……ばかり続いていくとなると、ウガラなる族はそもそも無いのだということになる。それがウガラマケジの証明に当たる。結婚によって成り立つのがウガラ、離婚によって成り立たなくなるのがウガラ、そういう語の設定である。実体としてではなく、関係性の中での仮構的存在として位置づけられる。
イナの大量発生(伊勢志摩経済新聞https://iseshima.keizai.biz/headline/1382/)
ウガラという語については、鵜の首結いにつける手縄のことをウ(鵜)+ガラ(柄)のことであると洒落で見立てたと上述した。鵜飼の発祥地とされる日本や中国において、大きな獲物を飲み込めなくする首結いには稲藁が用いられていた。これは、鵜飼人が引き操る手縄とは別仕立てである。放ち鵜飼の場合でも首結いだけはしておいた。大きな獲物が食べられるのに、何も人の管理下に入って小魚をねだる必要はなくなる。この首結いには、農家から調達しておいた稲藁を水に浸して柔らかくし、うまい具合に窒息せず、指が入るぐらいに緩めに苦しくないように結わいつけられる(注13)。
稲藁のことは、古語に、単にワラ(藁)といい、また、イナガラ(稲幹)という。
なづきの田の 稲幹に 稲幹に 這ひ廻ろふ 野老蔓(景行記、記34歌謡)
常湛田の稲の、穂摘み刈りが終わった後の茎に、トコロイモの蔓が巻きついているあり様を描いている。ヤマノイモの蔓は、どこから延びているのだろうかと不思議なほど途方もなく長く延びる。泥田の畦に太くなった根があるのかもしれない。
カラという語は多様に用いられる。時代別国語大辞典は、「から【柄】」、「から【韓・漢・唐】」、「から【柄】」、「から(助詞)」の4項目、岩波古語辞典は、「から【族・柄】」、「から【萁・幹】」、「から【殻・軀】」、「から【韓・唐】」、「から【枯・涸・空・虚】[接頭語]」、「から[助詞]」という6項目を立てている。
他方、白川1995.は、「から〔殻(殼)・幹・茎(莖)・柄(◇(柄の旧字)〕」の1項目にまとめている。「「から」は外皮・外殻を意味するもの、草木の幹茎など、ものの根幹をなすもの、血縁や身分についてそのものに固有の本質をなすものなどをいう。みな同源の系列語である。このような基本語には、それぞれ語義に対応する漢字が選択されている。人には「からだ」という。……「から」は空なるもの、枯れたるもの、茎の形のものなどを意味する語。それに対応するものとして殻・幹・茎・柄の四字をあげておく。」(258頁)とある。
そんなイナガラ(稲幹)が稲藁である。それを鵜の首結いに用いる。すると、ウガラという語は、イナガラのことを指しているのではないかとも考えられる。鵜飼いは、鵜を十羽、二十羽と飼っている。今日の鵜匠は一人で十二羽操る。ウガラよ、出ておいで、と呼んだとき、首結いをつけて準備の整った鵜が、小屋からぞろぞろと出てきたとして、それはまさしくウガラという語にふさわしい。それがみなイナガラをつけている。やはり、イナ、イナ、イナ、……ばかり続いている。
ウガラが、鵜飼に用いられる鵜一族と洒落られたのかもしれない。日本の鵜飼の中国のそれとの違いは、今日見る限りウミウを使うことが多いことと、鵜飼いが鵜を繁殖させるわけではない点である。鵜飼小屋の鵜は、自然界の鵜を捕獲してきたもので、ほとんど「他人」ばかりのところを十把一絡げに集めてきている。そして、鵜小屋は一区画に二羽入れられペアとされている。そのペアリングは、カタリアイと呼ばれている(注14)。つがいのカップルのように思われているが、鵜の雌雄を見分けることは難しくそうとは限らない。すなわち、ウガラ(族)なる概念を押しつけて来たのは鵜飼人の勝手で、鵜にしてみれば冗談じゃないと反発を招きかねないことなのである。イザナキもイザナミに惚れたときは女だと思っていたが、ひょっとしてあれはオネエではないかと感じたのである。「始為レ族悲、及思哀者、是吾之怯矣。」と後悔の弁が述べられている。ウガラという語で一括りにされることは大きな間違いで、たまたま同部屋に入れられて、揃いの支度として首結いして決まっているだけだったということである。
最後に、ウガラがウガラと濁っていて、ウカラと澄んでいない点について考慮しておく。イナガラ(稲柄)などを思わせる語である。人柄、家柄、国柄といったガラと濁る点は、本来のカラの意からは外れるかもしれない拡張概念の指標とされよう。イザナミが猫なで声で、「族也、勿二看吾一矣。」としなを作って言い始めている。イザナキの反論は、語の状況設定、言葉を用いる際の枠組への反駁であった。ウガラなる概念を持ち出したとしても、それはほとんど役割語に傾斜している。この問答は、ウガラという語は、婚姻関係に伴って生じている虹のような言葉なのだと言い負かした話であった。関係性とは、実体としてはカラ(空)ということである。上代のヤマトコトバは、言葉によって言葉を定義、解釈することをくり返しながら確かなものとして使用されていた具体の産物である。ウガラという言葉は、その自己循環のあり様を示す好例と言えよう。
(注)
(注1)ウガラとヤカラの違いについては、「ウガラは婚姻関係を軸に結ばれた族であるのにたいし、ヤカラは同一先祖に出自し、本家を軸に縦に系譜的に結ばれた族である。……少なくともウガラの「ウ」が「生」にかかわり、ヤカラの「ヤ」が「家」にかかわるのはほぼ確か」(西郷2005.22頁)とされるのが現在有力な説である。筆者は、それを否定するつもりはないが、言葉の成り立ちを厳密に定めようとして語源を求めることは、言葉の使用性からしてあまり重要ではないと考える。使われている時、その使われている語がどのようなイメージで使われていたか、それこそが言葉へのアプローチとしてふさわしいであろう。
なお、金氏が「ウカラ」と清音で記しているのは、日本書紀の傍訓表記に重きを置くためと思われる。神代紀訓注に「宇我邏」、琴歌譜に「宇我良」とあるのが限られた仮名書き例であるものの、やはり濁音で「ウガラ」と言っていたと考えられる。
(注2)白川1995.は、「まくら〔枕〕」について、「「枕く」に接尾語「ら」をそえて、その物をあらわす。「ら」は愛称的な語である。さらに動詞化して「まくらく」「まくらまく」というそれぞれ四段の動詞がある。」(693頁)としている。また、「枕く」と同じ語とする「娶く」について、「もとは「目く」で、目を動詞化した語であろう。」(691頁)としている。ただし、万葉集に、「枕く」、「枕」関係の語、枕詞の「草枕」などを含めて、仮名書きに「目」字を用いた例は見られない。
(注3)問題はわずかに存在する。「負く」は下二段動詞だから、否定推量の助動詞ジを承ける未然形にして「負けじ」となる。「巻く」や「枕く」、「娶く」系統の語は四段動詞だから、「巻(枕)かじ」、あるいは、「巻(枕)かれじ」、「巻き得じ」などの形を取らなければならない。けれども、自動詞としての用法に、下二段動詞の存在した痕跡が見られる。時代別国語大辞典に、「「眉間ノ毫相ハ常ニ右ニ旋リ」(西大寺本最勝王経古点)」(668頁)の例をあげている。前田本日本書紀訓に、「二の女の手に、良き珠纏けること有り。」(仁徳紀四十年是歳)とある。巻かれていることがあった、という意味である。すなわち、ウガラマケジの音から「巻く」、「枕く」、「娶く」の意として、族が巻かれる、まといつく、絡んでいる、という意に理解されることはあったと考えられる。語源同一説は傾聴に値する。
(注4)最上1967.に、「長良・小瀬をはじめその系統をひいて鵜飼を復活した土地では、すこぶる原始的な方法でテナワをつくっている。ヒノキ材を薄くへいだものの数日水にひたしてやわらかくし、数本の針のならんだ道具でこいて、細い糸とし、それで三ツ編にしてテナワをつくるのである。これはなかなか丈夫でありながら、ちょっとよりを戻した上でひっぱるとポツッときれる。ウが水中の材などにひっかかった時、即座にテナワを切って放さないと助からないことがあり、そういう時にこの性質が役立つという。」(41頁)とある。
民俗資料では、日本から中国にかけての鵜飼の手縄は、必ずしもヒノキの繊維を撚ったものに限らない。篠原1990.には、「ウを操る手綱・タスキがシュロ縄からナイロン製に変わった。」(175頁)とある。以前から使われていたシュロ縄も、容易くは切れないものと思われる。ただし、複数の鵜を使うのは当然のように行われており、もつれないようにするには熟練を要する。鵜は、縄のことなどおかまいなしに本能的に魚を捕まえに行く。輪にしたり上を下をとくぐっていく。絡んでしまったら舟をまかせて下流へやり、鵜をひとまず舟べりに上げて休ませながら、人の方が川に入って縄のもつれをほどいていく。商売道具がいちばん大切であることは世の常であろう。
(注5)鵜は時に自分の身体に比べてあまりにも大きな魚を獲物にして飲み込もうとすることがある。大きすぎる魚を喉に入れたまま死んでいる姿が見られるという。ただし、窒息して死んだのではなく、飲み込もうとしてがんばっているうちに体力を消耗してつき果てるといわれている。
(注6)後述のとおり、鵜の首結いには藁が用いられる。朽ちやすいからむしろふさわしいのかもしれない。無益な殺生は、めぐりめぐって鵜飼に使う鵜の数を減らしかねない。自然保護の観点からそう考えたのではなく、そのようなことをすれば、自分の首を絞めることにつながるという言語的な循環論法により認識していたのではなかろうか。
(注7)卯田2014.の「まえがき」には、「なぜ、鵜飼い漁を研究しているのか」にまつわる問いと答えのキャッチボールがある。「自然と人間のかかわり」について研究すると言った場合、そのかかわりにおいて、鵜飼は、まず鵜とかかわったうえで魚とかかわるという二重のかかわりが見られる。それは鷹狩にも見られるが、鵜飼の場合は複数の鵜を小屋で飼育し、鵜どうしのかかわりにも任せながら進められる。かかずらわりあうとでも呼べるような、譬えて言えば手縄や首結いの纏わりつきのような関係が、自然と人間との間、またそれぞれの間、またそれぞれの間の間に生じているのである。こうなると、「自然」や「人間」は、確固として存在しているものではないものへと転調を来たす。関係性をカラ(柄、空)と捉えていた上代人は、物事をよく理解していたようである。
(注8)上代に、承諾の意としてウと言っていたのか、疑問とする向きもあろう。
否も諾も 欲しきまにまに 赦すべし 貌見ゆるかも 我も依りなむ(万3796)
何為むと 違ひは居らむ 否も諾も 友の並々 我も依りなむ(万3798)
原文に、「否藻諾藻」と記される上の2例については、イナモヲモと訓まれたと考えられている。「否諾かも 我や然思ふ」(万2593・3470)、「否諾かも かなしき児ろが」(万3351)の原文に、それぞれ「否乎鴨」、「伊奈乎加母」、「伊奈乎可母」とあることから「諾」はヲと訓むからである。
辞書に載る承諾の意の感動詞については1例見られるばかりである。
けふの内に 否ともう共 云ひはてよ 人頼めなる 事なせられそ(信明集、970頃)
ただし、口語的表現を多く伝える日葡辞書は、「Vtomo mutomo fenji nai.(有とも無とも返事ない)……そうだともそうでないとも,返事をしなかった.」(674頁)という用例を載せる。これは、「V.ウ(有)」の項の例であるが、「Vm.ウㇺ(うむ)自分に向かって言われた事に同意するとか、それを了解したとかを示す感動詞.」(691頁)とも記されている。ウトモムトモについては、このウㇺという感動詞に有無という漢語を掛けて洒落で表した言葉であろう。ウンスンカルタに由来するかとされる、「うんともすんとも言わない」という類義語がある。
(注9)「維持されな」い婚姻が、今日、3組に1組あると言われるが、チキリ(チギリ)の決め方にアンバランスがあって支障を来たす場合も多い。無理やり担がなくてもいい時代になっているから、ちきり棒をすぐに下ろしてしまう。
(注10)このような解説なしの解説が行われる点から、上代人のものの考え方が繙かれることもあるだろう。くだくだしく説明を並べるようでは当たっていないということである。言葉の中に矛盾が一切なければすでに言い尽くされており、根本命題にして第一定理であって絶対真理である。その優位性は何ものにも代え難く、いかなる雑音も掻き消える。これを現代の研究者は、言葉の力などと浮ついた言葉で論じているが、まことに真なる言葉は状況から一語に収斂することさえある。本質直観されていたのが上代人の言語世界であった。
(注11)枠組の概念についてはゴフマンに以下のようにある。
‘As suggested earlier, whenever an individual participates in an episode of activity, a distinction will be drawn between what is called the person, individual, or player, namely, he who participates, and the particular role, capacity, or function he realizes during that participation. And a connection between these two elements will be understood. In short, there will be a person-role formula. The nature of a particular frame will, of course, be linked to the nature of the person-role formula it sustains. One can never expect complete freedom between individual and role and never complete constraint. But no matter where on this continuum a particular formula is located, the formula itself will express the sense in which the framed activity is geared into the continuing world.’(Goffman1986, p.269.)
イザナキとイザナミは、黄泉国で再会して co-presence の状況になる。その状況の定義づけ framing が行われなければ何が起こっているのか定められない。一次的枠組 primary framework によって共有されるはずの意味に齟齬が生じている。イザナキとイザナミとで、ウガラ(族)という一語をめぐって応酬が繰り広げられるのは、互いの framing の相違によるもので、それぞれの framing に則った異なるレベルの水掛け論が生じている。そして、イザナキの発した「ウガラマケジ(族負けじ)」という句と、菊理媛神という名の神の存在によって、イザナキが新たに下した一句の framing によって、framing of frame する離れ業をやってのけている。言=事であるのが、上代の言霊信仰のもとに暮らした人の通念であったから、a person-role formula において、gear-changing に成功したのであった。
(注12)拙稿「事代主神の応諾について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/0c9178d94e7bad106c7159a74fd78ad1参照。
(注13)中国での鵜飼の首結いについて、卯田2014.に、「首結いに使用される材料は稲わらのほか,麦わら,葦の茎,トウモロコシの茎,細長い布製の紐がある.このなかで稲わらの使用がもっとも多い.……稲わらが使用されている地域では周辺で水田稲作がおこなわれており,漁師たちは農家から調達してきた稲わらを自宅で乾燥させて保管している.カワウの頸に首結いを付けるとき,彼らはまず稲わらを水に浸し,手で何度ももむ.こうすることで乾燥した稲わらをやわらかくし,切れにくくするのである.首結いの結び方はいわゆる男結びである.」(60~61頁)とある。
(注14)最上1967.77頁。
(引用・参考文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典 補訂版』岩波書店、1990年。
卯田2014. 卯田宗平『鵜飼いと現代中国─人と動物、国家のエスノグラフィー─』東京大学出版会、2014年。
可児1966. 可児弘明『鵜飼─よみがえる民俗と伝承─』中央公論社(中公新書)、昭和41年。
金2017. 金紋敬「『日本書紀』古訓「ウカラ」「ヤカラ」考」蜂矢真郷編『論集古代語の研究』清文堂出版、2017年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
西郷2005. 西郷信綱『古事記注釈 第三巻』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、2005年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
篠原1990. 篠原徹『自然と民俗─心意のなかの動植物─』日本エディタースクール出版部、1990年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
大系本日本書紀 坂本太郎・井上光貞・家永三郎・大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店(ワイド版岩波文庫)、2003年。
日葡辞書 土井忠生・森田武・長南実編訳『邦訳日葡辞書』岩波書店、1995年。
最上1967. 最上孝敬『原始漁法の民俗』岩崎美術社、1967年。
Goffman1986. Erving Goffman “Frame analysis:An Essay on the Organization of Experience.” Northeastern University Press, 1986.(New York : Harper & Row.1974.)
※本稿は、2017年8月稿を2020年9月に整理し、2023年8月に加筆、ルビ化したものである。