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古代史ランキング
以下の邪馬台国論争に関する以下の動画で標記の話題が出ましたので、拙論を紹介させていただきました。お付き合いください( ^)o(^ )
邪馬台国論争の嘘 12連発
武田晴樹 燃え盛るように熱い日本古代史
チャンネル登録者数 4460人 5,811 回視聴 2023/07/02
邪馬台国論争には嘘が多い。そんな気がしたので、少し邪馬台国論争について俯瞰してみました。
1.年已長大は〇〇歳
2.城柵は城の柵。
3.径は真円の直径
4.大作冢は作大冢
5.有棺無槨封土作冢は庶民の墓
6.方位は九州説が正しく、距離は畿内説が正しい
7.遠絶は近い。
8.鉄鏃が決め手。
9.年代が確定している
10.文献史学なら九州説。考古学なら畿内説
11.説明できれば証明
12.九州説に諸説あるのは研究が途中だから
トミヤマ様(@user-zm6iw4cl2z)
@takedaharuki 勿論私も七万戸という国が奈良盆地に存在出来るとは思わないです。
巻向遺跡=邪馬台国とされる畿内説の方にも私は批判しています。
魏志韓伝における韓半島の国々、馬韓、辰、高句麗の数字を見ると
おのおの十万、四、五万、三万戸ですからね。
少なくとも邪馬台国の七万戸が九州に収まるような場所はとても考えられないと思います。
魏志倭人伝における邪馬台国の情報も改めて明確にしておきます。
まず投馬国より遠方で五万戸よりも多い、七万戸の大国だという事。
辰よりも大きく馬韓より少し小さい位の国だと魏では捉えられていた点。
また卑弥呼が都としていた国で鬼道の影響下が残っている場所。
邪馬台国の情報なんてこれだけですからね。
後の魏志倭人伝の記述は倭人の国の情報にしか過ぎないです。
そうなると三世紀以降に畿内中心に出土が見られる画文帯神獣鏡、また三世紀半ば以降大量に出土が確認される三角縁神獣鏡は、時期的にも卑弥呼の用いた鬼道の証と捉えるのは自然だと思いますね。
三角縁神獣鏡を国産として卑弥呼の鏡ではない、と大騒ぎされていたのが九州説の方々の大きな間違いなんですよ。
三国志において鬼道の説明してある文章、初期道教と明記されてるのは無視できないですからね。
神獣鏡の大量出土=神仙思想の影響下にある場所です、これは北部九州にも確認されてますよね?
対して熊本や大分宮崎等は殆んど出土しない、卑弥呼の鬼道の影響下が無かったエリアと考えればいいと思います。
武田晴樹様(@takedaharuki)
人口についてはどの説でも過大となるため、少なくとも何かしらの解釈をすることになります。その解釈がすべての人に納得できるものであれば、議論は収束に向かいますが、方位や距離を無視して良いなどの自由がまかり通る邪馬台国論争の世界なので、おそらく水掛け論に終わると思います。また、神獣鏡に重きを置かれていますが、それは諸刃の剣に思えます。物事は一点から見ればすごく完璧なものに見えますが、別の方向から見ればそれが弱点になることもあります。たとえば、三角縁神獣鏡の神獣配置は中国の神仙思想を逸脱しています。もし、おっしゃるとおり鬼道と原始道教がイコールなら、逸脱した神仙配置となっている銅鏡を配布する畿内は神仙思想を知らないから鬼道の卑弥呼とは関係ないといった主張もできてしまいます。私からすればどちらも極論です。私が懸念するのは、解釈の余地のあるものが根拠の場合、きっと水掛け論に終わってしまうだろうといったあたりです。共通認識にできる根拠を揃えていけば。邪馬台国論争は収束に向かうはずですが、みんな手を抜きすぎているような気がします。証明って本来結構難しいものです。
刮目天
武田さん どこかに書きましたが、それぞれの論者の立場というか思い込みで一つの事象に対していくつもの解釈が存在するのが現状です。ですから、現状では物別れということになります。しかしそれを解決する科学的な手法を提案しています。
実は、その中に正解があるはずですが、対立する解釈であれば正解は一つだけ!その正解はどうやって決めるかは、問題となる時代を中心に、分かっている多くの事象を説明できる仮説を構築すると解釈が絞られてきます。そういう仮説を立てられない解釈は別の事象を説明できないので最初から没です。
有望な仮説が複数あれば、どちらの仮説がより多くの事象を説明できるかで優劣が決まります。したがってそういう仮説が真相に近いと考えることができるということです。そしてその仮説で解釈されたものが正解ということになります。
ただし、その時点での話です。発掘などが進めば新たな事象によって仮説は修正されなければならないかもしれません。でも、現状ではという条件付きで判定できるということです。これが科学的な探求ということになります。それでもいくつもの事象を説明できるわけですから、少しの修正で済むかもしれません。詳しくは拙ブログ「【刮目天の古代史】古代史を推理する」をご参照ください。
わたしはヤマト王権成立過程を説明する仮説を構築し、入手できる事実(考古学や民俗学などの成果)で検証を繰り返して、いまのところ有望な仮説だと考えています。
卑弥呼の墓と考えられる三柱山古墳も発見して、卑弥呼が宗像女神で、その原形は半島東部海岸に今でも残されている縄文系海人が航海安全や豊漁を祈る海娘神だと分かりました。ですから卑弥呼の鬼道は、縄文系のヘビ神信仰から派生した太陽神信仰でしょう。鏡(カガミ)はカガ(へび)のメ(目)からきた言葉です。詳しくは吉野裕子「蛇」にあります。蛇神は男性のシンボルでもあり、石棒が崇拝されています。安心院町三女神社の三柱石がその石棒です。半島の東海岸に男根公園がありますが、縄文系の人々が祀ったものですよ(^_-)-☆
(韓国観光公社の紹介記事より 閲覧注意)
【関連記事】
【刮目天の古代史】宇佐八幡のなぞが真相へ導く!
卑弥呼は宇佐八幡の比売大神宗像女神イチキシマヒメだったのですよ(^_-)-☆
邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!
【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!
卑弥呼の記事をまとめました。是非ご覧ください(#^.^#)
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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武田晴樹 燃え盛るように熱い日本古代史
チャンネル登録者数 4460人 5,811 回視聴 2023/07/02
邪馬台国論争には嘘が多い。そんな気がしたので、少し邪馬台国論争について俯瞰してみました。
1.年已長大は〇〇歳
2.城柵は城の柵。
3.径は真円の直径
4.大作冢は作大冢
5.有棺無槨封土作冢は庶民の墓
6.方位は九州説が正しく、距離は畿内説が正しい
7.遠絶は近い。
8.鉄鏃が決め手。
9.年代が確定している
10.文献史学なら九州説。考古学なら畿内説
11.説明できれば証明
12.九州説に諸説あるのは研究が途中だから
トミヤマ様(@user-zm6iw4cl2z)
@takedaharuki 勿論私も七万戸という国が奈良盆地に存在出来るとは思わないです。
巻向遺跡=邪馬台国とされる畿内説の方にも私は批判しています。
魏志韓伝における韓半島の国々、馬韓、辰、高句麗の数字を見ると
おのおの十万、四、五万、三万戸ですからね。
少なくとも邪馬台国の七万戸が九州に収まるような場所はとても考えられないと思います。
魏志倭人伝における邪馬台国の情報も改めて明確にしておきます。
まず投馬国より遠方で五万戸よりも多い、七万戸の大国だという事。
辰よりも大きく馬韓より少し小さい位の国だと魏では捉えられていた点。
また卑弥呼が都としていた国で鬼道の影響下が残っている場所。
邪馬台国の情報なんてこれだけですからね。
後の魏志倭人伝の記述は倭人の国の情報にしか過ぎないです。
そうなると三世紀以降に畿内中心に出土が見られる画文帯神獣鏡、また三世紀半ば以降大量に出土が確認される三角縁神獣鏡は、時期的にも卑弥呼の用いた鬼道の証と捉えるのは自然だと思いますね。
三角縁神獣鏡を国産として卑弥呼の鏡ではない、と大騒ぎされていたのが九州説の方々の大きな間違いなんですよ。
三国志において鬼道の説明してある文章、初期道教と明記されてるのは無視できないですからね。
神獣鏡の大量出土=神仙思想の影響下にある場所です、これは北部九州にも確認されてますよね?
対して熊本や大分宮崎等は殆んど出土しない、卑弥呼の鬼道の影響下が無かったエリアと考えればいいと思います。
武田晴樹様(@takedaharuki)
人口についてはどの説でも過大となるため、少なくとも何かしらの解釈をすることになります。その解釈がすべての人に納得できるものであれば、議論は収束に向かいますが、方位や距離を無視して良いなどの自由がまかり通る邪馬台国論争の世界なので、おそらく水掛け論に終わると思います。また、神獣鏡に重きを置かれていますが、それは諸刃の剣に思えます。物事は一点から見ればすごく完璧なものに見えますが、別の方向から見ればそれが弱点になることもあります。たとえば、三角縁神獣鏡の神獣配置は中国の神仙思想を逸脱しています。もし、おっしゃるとおり鬼道と原始道教がイコールなら、逸脱した神仙配置となっている銅鏡を配布する畿内は神仙思想を知らないから鬼道の卑弥呼とは関係ないといった主張もできてしまいます。私からすればどちらも極論です。私が懸念するのは、解釈の余地のあるものが根拠の場合、きっと水掛け論に終わってしまうだろうといったあたりです。共通認識にできる根拠を揃えていけば。邪馬台国論争は収束に向かうはずですが、みんな手を抜きすぎているような気がします。証明って本来結構難しいものです。
刮目天
武田さん どこかに書きましたが、それぞれの論者の立場というか思い込みで一つの事象に対していくつもの解釈が存在するのが現状です。ですから、現状では物別れということになります。しかしそれを解決する科学的な手法を提案しています。
実は、その中に正解があるはずですが、対立する解釈であれば正解は一つだけ!その正解はどうやって決めるかは、問題となる時代を中心に、分かっている多くの事象を説明できる仮説を構築すると解釈が絞られてきます。そういう仮説を立てられない解釈は別の事象を説明できないので最初から没です。
有望な仮説が複数あれば、どちらの仮説がより多くの事象を説明できるかで優劣が決まります。したがってそういう仮説が真相に近いと考えることができるということです。そしてその仮説で解釈されたものが正解ということになります。
ただし、その時点での話です。発掘などが進めば新たな事象によって仮説は修正されなければならないかもしれません。でも、現状ではという条件付きで判定できるということです。これが科学的な探求ということになります。それでもいくつもの事象を説明できるわけですから、少しの修正で済むかもしれません。詳しくは拙ブログ「【刮目天の古代史】古代史を推理する」をご参照ください。
わたしはヤマト王権成立過程を説明する仮説を構築し、入手できる事実(考古学や民俗学などの成果)で検証を繰り返して、いまのところ有望な仮説だと考えています。
卑弥呼の墓と考えられる三柱山古墳も発見して、卑弥呼が宗像女神で、その原形は半島東部海岸に今でも残されている縄文系海人が航海安全や豊漁を祈る海娘神だと分かりました。ですから卑弥呼の鬼道は、縄文系のヘビ神信仰から派生した太陽神信仰でしょう。鏡(カガミ)はカガ(へび)のメ(目)からきた言葉です。詳しくは吉野裕子「蛇」にあります。蛇神は男性のシンボルでもあり、石棒が崇拝されています。安心院町三女神社の三柱石がその石棒です。半島の東海岸に男根公園がありますが、縄文系の人々が祀ったものですよ(^_-)-☆
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