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刮目天にとって経済学の師匠の三橋貴明先生が神功皇后の神話を史実のように考えられているので、つい以下のようなコメントをしました。
応神天皇の父とされる仲哀天皇は、日本書紀の記事から計算すると、その父日本武尊が薨去されてから34年後に生まれたことになりますから、杜撰な作り話だと直ぐに分かります。
日本書紀をそのまま信じると訳の分からない話になります。
刮目天のブログ「神武天皇はいつ即位した?」を読んでいただければわかりますが、日本書紀編纂当時の権力者藤原不比等の作り話なのです。
本当の初代天皇(ヤマトの祭祀王)応神天皇の史実を隠すために不比等によって創作されたものだと突き止めています。よろしければ拙ブログをお読みくだされば幸いです。イデオロギに関係なく、神武東征も考古学的に完全に否定されている事実です。最近の保守に人気の自称古代史研究家の説は専門家に全く相手にされない荒唐無稽な説です。念のため!
保守の方たちが女帝を信奉されるのは女系天皇を認める根拠になるので非常に危険です。女神アマテラスは持統天皇の皇位簒奪を正当化するための日本書紀の創作です。勿論、推古、皇極(斉明)も前例の創作です。江戸時代まで、女性天皇は皇室の菩提寺でも天皇として認知されていません。
神功皇后は卑弥呼の後に13歳で女王に立てられた台与をモデルにした作り話です。
実際は、記紀で仲哀天皇とされた倭国征討軍の主将の尾張王が、卑弥呼を擁立した伊都国を都とする倭国男王を蹴散らして自ら倭王に立ったのですが、倭国征討軍の副将狗古智卑狗(出雲・丹波王久々遅彦、豊岡市久々比神社祭神)が承服せず、久々遅彦と内戦になり殺されます。久々遅彦は魏使張政の進言で魏を後ろ盾として狗奴国ヤマト(纏向)と対立することになりなります。卑弥呼の版図だった九州、四国・中国西部に加えて山陰、北陸まで支配したので、後世に大国主と呼ばれた人物ですが、後にヤマトに滅ぼされます。記紀神話では大国主の国譲りという話になっています。
その後280年にヤマトの後ろ盾だった呉が魏の後を継いだ西晋に滅ぼされて、次にヤマトが追討されると考え、大国主(武内宿禰=住吉大神)と台与(神功皇后)の子(応神天皇)を崇神天皇(ニギハヤヒ直系の大王)がヤマトに呼び寄せて、戦死した両親(大国主と台与)の霊を祀る祭祀王にしたのが日本の建国の史実だと突き止めました。大国主の妻ヤマトトトビモモソヒメの箸墓は台与の墓です。詳しくは刮目天のブログ「古代史を推理する」をご参照ください。
【参考記事】
見ようとすれば「正史」のウソを見抜ける!
女性天皇待望論は伝統国家を破壊する!
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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神功皇后は卑弥呼の後に13歳で女王に立てられた台与をモデルにした作り話です。
実際は、記紀で仲哀天皇とされた倭国征討軍の主将の尾張王が、卑弥呼を擁立した伊都国を都とする倭国男王を蹴散らして自ら倭王に立ったのですが、倭国征討軍の副将狗古智卑狗(出雲・丹波王久々遅彦、豊岡市久々比神社祭神)が承服せず、久々遅彦と内戦になり殺されます。久々遅彦は魏使張政の進言で魏を後ろ盾として狗奴国ヤマト(纏向)と対立することになりなります。卑弥呼の版図だった九州、四国・中国西部に加えて山陰、北陸まで支配したので、後世に大国主と呼ばれた人物ですが、後にヤマトに滅ぼされます。記紀神話では大国主の国譲りという話になっています。
その後280年にヤマトの後ろ盾だった呉が魏の後を継いだ西晋に滅ぼされて、次にヤマトが追討されると考え、大国主(武内宿禰=住吉大神)と台与(神功皇后)の子(応神天皇)を崇神天皇(ニギハヤヒ直系の大王)がヤマトに呼び寄せて、戦死した両親(大国主と台与)の霊を祀る祭祀王にしたのが日本の建国の史実だと突き止めました。大国主の妻ヤマトトトビモモソヒメの箸墓は台与の墓です。詳しくは刮目天のブログ「古代史を推理する」をご参照ください。
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