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2020-09-11 15:45:34に記事にしましたが、一部訂正し、【関連記事】を追加しました。よろしければ、またお付き合いください(#^.^#)
前回、能楽が建国の真相を伝える?で示したとおりですが、今回もその続きで、「能であって能にあらず」と言われる、どのカテゴリーにも属さない別格の一曲「翁(おきな)」について見てみましょう(the能.com 演目事典:翁(おきな)あらまし より)(#^.^#)
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神聖な儀式であり、演者は神となって天下泰平、国土安穏を祈祷する舞を舞います。
「翁」は古くから伝わる曲で、その源流は歴史の彼方にあり、謎に包まれています。世阿弥は、風姿花伝に、猿楽の祖とされる秦河勝(はだのこうかつ)の子孫、秦氏安(はだのうじやす)が、村上天皇の時代(10世紀ごろ)に、河勝伝来の申楽を六十六番舞って寿福を祈願したが、そこから三番を選んで式三番(「翁」の別称)とした」という内容を記しています。世阿弥が記した式三番は、父尉(ちちのじょう)、翁(翁面(おきなめん)とも)、三番猿楽(さんばさるがく)という、それぞれ老体の神が寿福を祈願して舞う三番の曲を指し、三番一組で演じられました。後に父尉は演じられなくなり、現在は千歳・翁・三番三(三番叟)の順に舞うかたちとなっています。
「翁」は舞台上演前に始まります。「翁」を勤める役者は、上演前に一定期間、精進潔斎の生活を送り、心と体を整えて舞台に臨みます。
上演当日は、多くの場合、舞台上部に注連縄(しめなわ)を張って場を清め、鏡の間には祭壇を設け、使用面を納めた面箱、神酒(みき)などを供えて儀式を行います。
幕が上がると、橋掛りから面箱を先頭に、シテ(翁)、千歳、三番三(三番叟)、囃子方ほか各役が順に舞台に入ります。金春、金剛、喜多の三流では面箱が千歳の役を兼ねるため、役者が一人減ります。
シテは舞台上で深々と礼をした後に着座します。三挺の小鼓と笛の囃子が始まってからシテは謡を始め、地謡との掛け合いに入ります。その後、千歳が舞います。千歳は露払い(先導し、道を歩きやすく拓く者)の役を担います。この舞の間に、シテは翁面をつけて翁の神に変身します。
翁が進み出て舞い、舞が終わると翁は面を外し、再び舞台上で深く礼をし、その後、翁と千歳は橋掛りより退出します。これを翁帰り(おきながえり)と呼びます(金春、金剛、喜多の三流では千歳は退出しません)。
直面(ひためん)の三番三(三番叟)が登場し、「揉(もみ)ノ段」を舞った後、黒式尉(こくしきじょう)の面をつけ、面箱と問答を行った後、鈴を渡され、今度は「鈴ノ段」の舞を舞います。
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ということで、翁が「天下泰平」「国家安泰」を祝い、三番叟が黒式尉の面を付けて「五穀豊穣」を祈祷する、クライマックスなどない淡々と進行する一連の儀式なのです。この能楽の「翁」は、もとは各地の神社で「人々の延命」を祈願する神事として行われていた「翁舞」です。
「古くは田楽や猿楽、あるいは人形浄瑠璃、歌舞伎、また民俗芸能などでも演じられる儀式的祝言曲であり、芸能本来の目的の一つに人の延命を願うことがあるが、その表現として翁媼を登場させることがあったものと考えられている。しかし、面を付け舞や語りを演じる芸能は猿楽が最初であり、翁猿楽とか式三番と称された。翁猿楽の成立については、『法華五部九巻書』序品第一に、父叟は仏を、翁は文殊を、三番は弥勒をかたどるなどの仏教的解説があり、平安時代後期には成立していたとする説もあるが、『法華五部九巻書』を偽書とする説もある。」とwiki「翁舞」にある。現在では奈良県の奈良豆比古神社や兵庫県の車大歳神社で行われている。
その三番叟(サンバソウのソウは老人の尊称)は三番猿楽(サンバサルガク)ということです。サルはサルタヒコから来ており大国主の分身で、三番(サンバ)が弥勒菩薩なのですから大国主の本地仏ということなのです。翁は智慧を司る仏である文殊菩薩でもありますが、本当は怖い七福神の謎でも見たように、布袋尊は弥勒菩薩の化身でもあり、大黒天である大国主の息子事代主の恵比寿も大国主の分身なのです。そしてアマテラス女神の孫ニニギの天孫降臨に登場する教導の神サルタヒコと、神武天皇の東征を導く塩土老翁(しおつちのおじ)も、七福神の寿老人・福禄寿もすべて人を導く老人で共通します。また、武内宿禰は生まれたばかりの応神天皇を抱きながら、常に神功皇后の傍らに寄り添う三百歳を超える白髪・白髭の老人です。白髭明神(新羅明神)である大国主のことですから、能楽「翁」と、その元になった神社の「翁舞」に登場する翁と三番叟(サンバサウ=サンバサル)は同一で、すべて大国主狗古智卑狗(久々遅彦、豊岡市久々比神社祭神久々遅命、奴国大王スサノヲの子イタケルの直系で木霊として祀られている)のことを表しているのです(狗古智卑狗という人物?)。
また、サルタヒコのペアとして登場するアメノウズメは、天岩戸の前での裸踊りでも有名ですが、サルタヒコが武内宿禰ですから、アメノウズメは太陽神住吉大神が憑依する姫巫女神功皇后のことなのです。つまり、日本建国の主役である実在人物の大国主狗古智卑狗が倭国を支配するために卑弥呼の後継者として立てた十三歳の宗女台与も姫巫女・祝女(はふりめ)であり神功皇后のモデルなのです(悲劇の女王台与のはなし(その1)~(その4))。
この超重要人物二人を殺して倭国を奪った狗奴国ヤマトの卑弥弓呼(ヒコミコか?吉備を平定し、楯築王墓の被葬者として祀られている奴国大王天照大神尊ニギハヤヒ直系の大王)が「日本書紀」では大物主大神(大国主狗古智卑狗)の神託によって大神の子オオタタネコ応神天皇を初代祭祀王として纏向に迎え入れた崇神天皇のモデルでした。オオタタネコ応神天皇は大国主と台与の子供なのですよ。
「記紀」で応神天皇は仲哀天皇の皇子となっていますが、「日本書紀」の記述から仲哀天皇はその父のヤマトタケルが死んで、なんと三十八年後に生まれた計算になるので杜撰な作り話とすぐわかります。応神天皇の実の父親である大国主狗古智卑狗を隠すために登場させた架空の人物です。住吉大社の伝承では応神天皇の本当の父親は住吉大神かも知れないとにおわせています。住吉大神は神功皇后を常に支えた神ですから、武内宿禰のことであり、大国主のことなのです。仲哀天皇の正体は、卑弥弓呼大王によって派遣された倭国征討軍の首将で、卑弥呼の死によって壊滅した倭国勢を蹴散らして、ヤマトを裏切り倭国王に立とうとして大国主に殺された人物だと突き止めました。物部氏の祖卑弥弓呼大王と同族の有力者で東海・伊勢を支配する尾張王だと推理しました。(2024.2.29 赤字修正)
日本建国の主役である、ヤマトに国譲り、つまり倭国を奪われた大国主久々遅彦と女王台与、そしてヤマト勢が押し寄せてくるときに日食があったので伊都国男王(倭国王難升米、卑弥呼を補佐するとした男弟)に殺された卑弥呼の三人は、ヤマトを怨んで亡くなった人物ですから、建国当初の物部政権時代から歴史の真相が隠され、天変地異や疫病が起こらないように鎮魂の祈祷を行ってきたのです。多くの人々は建国の真相を平安時代から室町時代くらいまでは知っていたようですが、崇りが怖ろしいので決して本名を口に出さない、つまり言挙げしないのが暗黙の了解だったのだと思います。だから、書物などにもあからさまにする様な記録を一切残さなかったのだと思います。
これが神道の本質であり、この考え方は現代まで引き継がれているのです。
猿楽(さるがく、猿樂)は、室町時代に成立した日本の伝統芸能。能は江戸時代までは猿楽と呼ばれ、狂言とともに能楽と総称されるようになったのは明治以降のことである[1]。とwiki「猿楽」にあります。勿論、猿楽のサルは大国主サルタヒコのことです。猿女君(さるめのきみ・猨女君、猿女公)は、古代より朝廷の祭祀に携わってきたとされる一族であり、アメノウズメを祖とします。また、武内宿禰は紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏・波多氏など中央有力豪族の祖とあります。猿楽の祖である秦氏の読みがハタですから波多氏のことでしょう。秦氏は大国主の末裔の氏族だったのです。
観阿弥・世阿弥が日本建国の真相を能楽で伝えようとするのは、
やはり大国主久々遅彦の流れを汲む秦氏の一族だったからなのです(^_-)-☆。
日本の伝統芸能の源流が日本建国の真相と底辺で繋がっていることが古代史解明によって分かってきました。
この先もまだまだありますが、結構複雑なので現在まとめています(#^.^#)
【関連記事】
秦氏の正体と能楽のひみつ?
秦氏は、日本書紀が隠したい氏族のひとつでしたので渡来人だとかユダヤ人だとかいろいろと説が生まれるようになったのでしょう!
秦氏と古事記の関係?
古事記は日本書紀によって隠された史実を藤原氏に悟られないように暴露するための暗号書だったのです。
古事記を作った多人長が多氏の祖神を神武天皇の皇子カムヤイミミとしたのは、本当の初代応神天皇の皇太子ウジノワキノイラツコ、宇治天皇の子孫だったことを示唆していますよ(^_-)-☆
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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