刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

倭国大乱の原因が古代史解明のカギ!(^_-)-☆

2022-03-28 00:11:26 | 古代史
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前からチャンネル登録していた方のとてもいい動画があったのを見逃していました。以下のようなコメントをしました。お付き合いください。( ^)o(^ )


2021/08/28  まあちゃん@YouTube


ご無沙汰しています。倭国大乱に着目するのはとてもいいセンスです。なぜ起こったのかを追求すると古代史の謎が解けます。戦争の証拠と言えるものが少ないので大規模な乱はなかったのではという説が有力でしたから、男女の人口差をあげておられるのはとても素晴らしいと思います。全く気づきませんでした。ただし、これは倭国内の話だと思います。

わたしは、弥生時代後期末(二世紀末から三世紀初頭)の列島内の鉄鏃と銅鏃の出土状況を調べて大乱の様子が分かりました。倭国は糸島平野・福岡平野・筑紫平野・佐賀平野です。熊本県の菊池川流域は反倭国側で、その地名から狗奴国の官狗古智卑狗が指揮していたと分かります。また、福岡県東部から大分県大野川流域も、北九州から沖ノ島経由で製鉄遺跡のある半島南部まで狗古智卑狗が指揮していたようです。四国や中国西部・山陰・北陸も勢力下で、本拠地は兵庫県豊岡市だったようです。
狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコが正しい)は、吉備から播磨・河内、そして東海・関東までを勢力圏としていた模様で、その中心は纏向遺跡でした。纏向遺跡の3世紀前半の外来系土器の分布から分かります。九州のものは全くと言っていいほどありませんが、菊池川流域の遺跡では山陰・畿内の土器が見られますから、北部九州の倭国と対立していたと分かります。詳しくは拙ブログ「鉄鏃・銅族の出土状況のデータ共有」「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」をご参照ください!

そこで大乱の原因ですが、寒冷化になって食料争奪というのは、中国大陸のことです。後漢王朝内部の権力闘争が引き金で、農民の支配が緩み黄巾の乱などが発生しました。三国時代に向かう桓霊の時代です。半島でも楽浪郡の支配が緩み韓人・濊人が暴れたとあります。ですから、倭国王が依存していた楽浪郡との交易ができなくなり、倭国が衰退する時期に、大分から熊本方面に軍地基地を築いた狗古智卑狗王が倭国を攻撃していた様子が見て取れます。狗古智卑狗王が沖ノ島経由で狗奴国勢力に鉄素材や鉄製品を供給し倭国を圧倒するようになったので戦争が起こりました。倭国と狗奴国は最初から確執があったと推理できます。

長くなったので、つづきは拙ブログで記事にしますので、よろしければご参照ください。失礼しました。




倭国側は鉄素材が供給されなくなり青銅器を潰して銅鏃を作って応戦していたことも分かりました。そして、菊池川流域の方保田東原遺跡やうてな遺跡の環濠などから銅鏃が出土しているので、倭国側に襲われたと分かります。

結局、縄文海人ムナカタ族の姫巫女卑弥呼が女王に共立されたのは狗奴国圏よりも西側の国が倭国側に寝返ったからだと推理できます。北部九州を中心とする倭国の伝統祭祀は甕棺や武器形青銅器に特徴がありますので、太陽神を祀る卑弥呼は縄文系だと分かります。

何故寝返ったかを考えると、先ほどの菊池川流域の軍事基地から倭国を襲撃していた狗古智卑狗王が倭国の襲撃によって戦死し、沖ノ島ルートを支配していたムナカタ族の族長赤坂比古(卑弥呼の父と推理、和邇坐赤坂比古神社の祭神、和邇氏の祖)が倭国王難升米に懐柔されたからだと推理しました(「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その1)(その2)」参照)。倭国王は伝統祭祀を捨てて縄文系の祭祀を導入したことが、甕棺墓が消滅し、筑紫平野などで縄文系の箱型石棺が見られるようになったことから分かります。

さて、今回の倭国大乱の直接の原因ですが、57年に後漢光武帝から金印を賜った奴国王の後の107年には伊都国王師升が160人もの生口を献上する朝貢をしていますから、師升が奴国を乗っ取り、倭国を支配したと推理できます。金印は江戸時代に志賀島で発見されたことから、師升は金印が手に入らなかったので、後漢に倭王として認めてもらうために朝貢したと分かります。

そして、景初三年(239年)に魏へ朝貢するために帯方郡に出かけた倭国の大夫の難升米は儺升の米=頭目を意味する名前で、伊都国を王都とする師升一族の倭国王の襲名だと分かりました。魏の朝廷は難升米王に魏の正規軍の軍旗を直接渡していますので、軍事を司る人物、つまり魏志倭人伝で、女王の政治を輔佐するとした男弟で、伊都国男王で、刺史のような役割の大率だったということです。

奴国は奈良時代には儺県(なのあがた)と呼ばれていましたが、「儺」は鬼やらいの意味です。鬼のような乱暴者の奴国王を師升が追放した史実を示唆しています。難升米の難はニンベンがありませんが、金印で「倭」が「委」と書かれたように、ニンベンを省略するのが当時の漢字の流儀のようです。伊都国を水源とする福岡市の室見川河口で延光四年(125年)と彫られた文鎮状の銘文の入った銅板「室見川銘板」が発見されています。師升が奴国の楽師で司祭だったことを裏付ける内容の文章が掘られていました。日本で作られた最古の金石文でした(「【わかった!】室見川銘板のなぞ(^_-)-☆」参照)。

最近、伊都国で出土していた砥石と思われていたものが実は硯(すずり)の欠片だったことが分かったとニュースになりましたが、福岡市の雀居遺跡では木製の組み机が丸ごと出土していますから、当時の倭人の中に漢字を読み書きできた人がいたと分かります(「変わる弥生時代観」)。



そうなると、魏志倭人伝に登場する倭国内の地名や人名などは、従来は漢字を書けない倭人から魏の役人が発音を聞いて、韻書の先頭の文字を当てたという通説が否定されることになります。つまり、難升米王がこれらを書いて帯方郡太守劉夏に教えたと分かります。卑弥呼などいわゆる卑字が多用され、漢字を読めないことをバカにしたものですし、狗奴国は狗コロの奴国という意味の旧奴国の蔑称なのです。また狗古智卑狗は難升米がよほど頭に来ていた人物だと分かります。そして、伊都国だけは孟子に登場する殷(商)王朝初期の政治家伊尹(いいん)に因む名前だと分かります。それは伊尹が放蕩者の主君を追放したことで評価が議論される人物ですから、同様に師升が奴国を滅ぼした事績を持つ人物だと示唆しています。師升が儺升と呼ばれたのだと分かります。ですから伊都国の男王のことを難升米(なしょうめ)と呼んだのです。

それでは、奴国最後の王は誰でしょうか?

そうです。記紀神話で高天原を追放された乱暴者の神スサノヲ、「宋史 王年代紀」第18代王だと分かります。高天原も代々奴国王が支配していた北部九州の倭国のことだったのです。ヤマト王権が成立した奈良県の地名と北部九州の地名が対応するのは、日本が古の倭の奴国だった証拠のひとつですね(^_-)-☆

この先もまだまだありますが、結局、倭国大乱の直接の原因は、奴国の宮廷楽師で司祭だったと思われる師升が奴国大王スサノヲを殺して倭国を奪ったことへの恨みだったということなのです(「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?」参照)。

そして、ヤマト王権が成立までの込み入った話は拙ブログでお楽しみください(*^▽^*)

王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆日本神話は不比等が創作したことが分かります。江戸時代まで多くの人は伊勢の神と三輪の神は同じヘビの化身(天照皇大神大国主命)と信じていました。神仏習合、修験道や道教の影響を受けた記紀神話と全く違う神話が語られていたのですよ(^_-)-☆。




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卑弥呼の宮室が日田盆地だったのか?

2022-03-25 12:25:37 | 古代史
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2022-03-23 23:59:59 にアップしましたが、余り読まれていないようなので念のため再掲いたします。お付き合いください(*^▽^*)

とてもいい動画を発信されている方に質問させていただき応答がありました。ちょっと長くなったので、分割します。どうぞよろしくお願い致します。


刮目天
大変興味深く拝見させていただきました。いくつか教えていただきたいのでコメント致します。お手数ですが、どうぞよろしくお願い致します。

(1)卑弥呼の宮室が日田盆地だったのか?
卑弥呼が小迫辻原遺跡で発見された古墳時代最古の居館跡に居たという推理ですが、弥生終末期に環濠集落があったようですので、候補として挙げるのはいいのですが、居館跡はそれより後の三世紀末のもののようですので卑弥呼の宗女台与の時代かその後ではないかと思います。卑弥呼が三世紀中頃247年以後に急造され、葬られた径百余歩(直径約150m)の円墳と奴婢百余人の殉葬址は見つかっているのでしょうか?

また日田盆地が卑弥呼の居所に相応しいとされ、当時の最高傑作の鉄鏡などが出土していることから納得されておられますが、これらについても以下のとおり問題があります。

まず、日田盆地は東西南北の道が集まる場所ですから、防御が困難な地形だと思いますので戦乱期の女王の宮室を置くことは考えにくいと思います。

また、豪華な鏡などが卑弥呼のものであったとしても、持ち運べるものですので出土地が卑弥呼の居所だったとは限りません。またこれらのものは後漢時代のものですので卑弥呼が貰ったものかどうかもはっきりしませんが、その点はどうお考えでしょうか?

さらに女王国から東に渡海千余里に倭種が居るということで、四国をあげておられますが、日田盆地から海に出るまでに山々を越えて周防灘に面した海岸に出なければならないので、女王が日田盆地に居たとするとこの記事は違和感がありますけど、どう思われますでしょうか?

(2)邪馬台国・投馬国は佐賀平野・筑紫平野にあったか?
魏志倭人伝の行程記事で奴国までは考古学の成果とだいたい一致しますので、まあいいとして、不弥国から先が記事と考古学の成果とが一致しませんので邪馬台国問題が解決していないのだと思います。不弥国を飯塚市辺りとする方は多いですが、その先の投馬国と邪馬台国が当時の列島最大の都市があった奴国の2万戸よりもはるかに多い、それぞれ5万戸、7万戸とされています。1戸あたり4人として奴国が8万人に対して、投馬国20万人、邪馬台国28万人ですから、推理された筑紫平野・佐賀平野にそれほど人口があったのでしょうか?

また、邪馬台国が投馬国の北側に隣接しているというのも魏志倭人伝の記述と合いません。上で違和感を述べたように、なぜ行程記事がそのように矛盾するような内容になっているのでしょうか?

(3)狗奴国の鉄はどこから?
投馬国の南側の熊本県に狗奴国があったとされていますが、狗奴国の豊富な鉄鏃はどのように入手していたのか、説明されていなかったと思います。倭国大乱は卑弥呼が擁立されて収まったとされているので、半島へのルートは卑弥呼側が握っていたはずですので、狗奴国は入手できないのではないかと思いますが、いかがでしょうか?

(4)卑弥呼の正体は?
倭国大乱は福岡平野から筑紫平野・佐賀平野で起っていたと考えるのはいいですが、南から熊本にあった狗奴国が攻めてきたので卑弥呼を女王にして、女王国としてまとまったということのようですが、そう推理された根拠は何でしょうか?卑弥呼の素性はどう考えられているのでしょうか?

(5)ヤマト王権との関係は?
当時の畿内の土器(庄内式)が奴国に大量に出土しているとのことですが、三世紀に纏向遺跡が出現し、箸墓よりも前に石塚古墳などいくつか前方後円墳が造営されています。そこに北部九州の土器がほとんど出土していないので、纏向の勢力と祭祀を共にしていないので北部九州はむしろ対立していて、畿内勢力が北部九州に侵入してきたと考える方が自然ではありませんか?熊本の狗奴国と纏向の関係はどうなっているのでしょうか?ヤマト王権の成立をどのように説明されるのでしょうか?


これはどうでしょうさん
沢山のコメントありがとうございます。
数えると10項目あるようですので、勝手ながら番号をふらせて頂きました。(①~⑩)


(1)卑弥呼の宮室が日田盆地だったのか?
①「居館跡はそれより後の三世紀末のもの」について
庄内式Ⅱ~Ⅲ式の土器が居館跡から出ているので、AD200~250年としました。
三世紀末とされる根拠は何ですか?

Wiki「小迫辻原遺跡」概要に「3基の環壕居館の遺構は、出土した土器から3世紀末-4世紀初頭のものであると推定されており、日本最古の豪族居館跡であると考えられている。」とありました。「庄内式Ⅱ~Ⅲ式の土器が居館跡から出ているので、AD200~250年としました。」とありますが、調査報告書にあったのでしょうか?この様式であればわたしは「230~250」と考えています。そうすると一番新しい様式の250年頃に畿内の勢力が来たことを示すと考えるのがよいと思います。何故ならば、畿内との交流が一方向と考えられるからです。九州から畿内には3世紀の前半は交流がありませんから。つまり247年後死亡した卑弥呼の死に関わる畿内の勢力がやって来たことを示すものだと考えています。
そして居館の様子は、その頃の宇佐市小部遺跡に見られるものと同じような形式のようで、270年頃に畿内勢力が九州遠征し、占領した時のものと考えています。

それから金印が出土したとしても、宮室址と明確に分かる遺跡かその付近で見つからない限り、持ち運べる貴重品ですのでそこが卑弥呼の場所だとは言えないと思います。


②卑弥呼の墓が発見されたか
候補の墓はいくつかあると思いますが、決め手は無いですね。
金印が出れば決まりですが。

候補が幾つかあるというのは初耳です。直径150mクラスは宇佐市安心院町宮ノ原遺跡の三柱山にあるくらいしか知りません。100mクラスも同じ遺跡に一つあります。また、佐賀県鳥栖市の愛宕神社古墳くらいだと思います。いずれにしてもこの時代の100mを越える円墳は列島内にもあまりないと思いますので、あるのならば是非お教えください。

③日田盆地の防御性
盆地の防御性は基本的に高いと言えます。入口さえ見張ればいい訳ですし、実際、福岡県の西ノ谷遺跡や大分県白岩遺跡などは、当時の日田盆地の監視用とも考えられる立地です(片岡宏二氏)


日田盆地は先に述べたように東西南北どこからでも襲うことができ、事前に軍勢を見張るのも結構困難かと思いますので、防御性は良くないと考えていました。二世紀末から三世紀初頭の倭国大乱期には日田盆地を狗奴国側に抑えられると筑紫平野の倭国勢力は熊本側と連動して襲われて劣勢になる、軍事的に重要な場所だったと考えています。しかし、その時期の戦闘の址ははっきりわかりません。日田市天瀬町五馬市の五馬大坪遺跡の墓から鉄鏃がひとつ見つかっている程度で、付近には見当たりません。わたしの知る限り、その時期の日田盆地には鉄鏃は出土していません。卑弥呼を警護した兵士の鉄鏃が住居跡などから出土しているのでしょうか?

④金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は卑弥呼の鏡か
2年前に中国の研究者から、魏の曹操の鏡と同型鏡と鑑定されているので、金印まで下賜されている卑弥呼に対しては、相応の鏡と言えます。鏡は動く物ですから幾通りもストーリーは考えられますが、今回示したものはその一つです。


おっしゃるとおりですが、wiki「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」「ダンワラ古墳が実際の出土地であったかどうかは確かではない。また、古墳からではなく、横穴墓から出土したとも言われる[7]。」とあり、持ち運べる貴重品ですからダンワラ古墳が卑弥呼の墓でない限り、その鏡も卑弥呼が貰ったものと決めることはできないと思います。

⑤「女王国から東に渡海千余里に倭種」について
女王国は広い連合国と捉えておりますので、日田盆地からではなく宇佐あたりから東に出れば渡海千余里で四国につくハズです。


「日田盆地からではなく宇佐あたりから」ということは分かりますが、宇佐は女王の居所付近ではないと思ったので、表現に違和感があると思いました。


ここまでお付き合い、ありがとうございます。つづきがありますので、どうぞよろしくお願い致します。
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邪馬台国・投馬国は佐賀平野・筑紫平野にあったか?など( ^)o(^ )

2022-03-24 00:33:58 | 古代史
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前回の続きです。


第10話 考古学資料で解明/新・卑弥呼はここにいた【古代史探索の旅Ⅲ】
378 回視聴2022/03/23 これはどうでしょう様@YouTube


(2)邪馬台国・投馬国は佐賀平野・筑紫平野にあったか?
⑥筑紫平野・佐賀平野の人口
当時の日本列島の人口は60万人位だったとする推計がありますので、投馬国20万人、邪馬台国28万人は現実的ではない、と考える方が理にかなっていると思っています。


佐賀平野や筑紫平野は現在と違い当時は筑後川などの流域はかなり広い湿地帯だったようですから、50万人規模の人が居住していたとは考えにくいですね。現実的ではないと考えられているとのことですから、なぜ七万戸・五万戸のような数字が出てきたのか?魏志倭人伝の記述の理由を検討されているのかをお聞きしたわけです。わたしは、邪馬台国への行程記事は政治的な理由で魏使の報告書が書かれ、それに基づいて陳寿が書いたのだと推理しています。つまり、従来は漢字を読み書きできない倭人から聞き取り、韻書の筆頭の文字を当てたとなっていたのですが、最近、当時の倭人の中に漢字を読み書きできた人物が居た証拠が出てきて、従来の説が覆っていますので、この推理を裏付けています。拙ブログ「変わる弥生時代観!」「【わかった!】室見川銘板のなぞ(^_-)-☆」などをご参照ください。

⑦邪馬台国が投馬国の北側に隣接?
投馬国位置の提案は一つの案です。
あくまでも、筑紫平野=邪馬台国の南が狗奴国です。


ですから、邪馬台国の南に狗奴国があったというのもあてにならないということです。卑弥呼が共立される前は、纏向の狗奴国勢力の中の狗古智卑狗が率いる部隊が大分県大野川流域から阿蘇・熊本に軍事基地を作って佐賀平野・筑紫平野そして福岡平野から糸島平野まで襲撃した痕跡を鉄鏃の出土状況から発見しました。
ところが、狗古智卑狗が倭国側の軍勢に襲われて戦死した証拠として、糸島平野福岡平野の住居跡から銅鏃が見つかり、方保田東原遺跡とうてな遺跡の溝から倭国側のものと見られる銅鏃が見つかっていますので、倭国側に襲撃されたと推理しました。さらに、狗古智卑狗の墓まで分かりました。詳しくは拙ブログ「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その1)(その2)」をご参照ください!

(3)狗奴国の鉄はどこから?
⑧当時独自に鉄の入手ルートを持っていただろうと推測できる程の鉄製品製造地域は、伊都国・奴国以外では、ここ菊鹿盆地あたりと丹波の国だけだろうと思っています。
入手先は半島でしょう。


申し上げたとおり、卑弥呼が共立されるまでは半島南部への魏志倭人伝のルートは倭国側に抑えられていたので、北九州市付近から沖ノ島経由のルートで半島南部に渡り、鉄素材を入手していたと考えています。方保田東原遺跡には山陰・畿内の土器が出ており、倭国はその東側の狗奴国勢力と戦っていた模様が分かります。卑弥呼が登場してからは狗奴国側は半島南部に渡れなくなったので、纏向に政治都市を作り旧奴国の王族を集めたと突き止めました。拙ブログ「【検証12】狗奴国は熊本じゃないよ|д゚)」などを参照ください。

(4)卑弥呼の正体は?
⑨卑弥呼共立前の連合体制は、伊都国連合、奴国連合、邪馬台国連合、そして狗奴国だろうと思っています。
魏志倭人伝では前者3連合が女王国連合になっていた訳ですので、狗奴国の北上しかないと考えました。
軍事的には邪馬台国優位での連合ですから、卑弥呼自身は元伊都国の女王だった人なのかなあ、とも。
そして軟禁状態だった可能性もあると見ています。


卑弥呼が共立される前の倭国は107年に後漢に朝貢した師升王の一族が伊都国を王都として、奴国・末盧国・筑紫平野・佐賀平野の国々を治めていたと考えています。それに敵対する狗奴国は倭国以東の国々ですが、上で述べた沖ノ島ルートを支配していたのは縄文海人ムナカタ族の赤坂比古一派(和邇氏の祖)だと分かりました。ムナカタ族が王と仰いでいた狗古智卑狗が戦死したので、伊都国の倭国王難升米に懐柔され、赤坂比古が狗奴国を裏切って倭国側に着いたと推理しました。卑弥呼はムナカタ族の姫巫女だと突き止めました。日本書紀では宗像三女神として隠しましたが、宇佐神宮の祭神比売大神イチキシマヒメがその正体です。大和朝廷が最も畏れた神々の一柱ですので、日本全国で祀られています。沖ノ島祭祀も卑弥呼を祀っていたと推理しています。魏志倭人伝では政治的な理由で女王としたと分かりました。魏に使いした大夫難升米は魏から直接軍旗を授かっていますので、倭国王だと分かります。師升王の子孫であることも分かりました。証拠も出てきました。拙ブログ「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?」「【検証22】難升米という人物は?(その1)」をご参照ください。

(5)ヤマト王権との関係は?
⑩これからゆっくり解明していきたい所存です。
一つ言えるのは、畿内勢力が北部九州に侵攻してくるのはもっと後の話です。甕の話で誤解されている方も多いですが、庄内式甕の前から吉備甕も含めて、瀬戸内を広く東西に流通しています。主な製作地は吉備、播磨、河内などです。まだ纏向の出番はありません。広く流通している甕は政権・王権の進出の証しなどではありません。
その証拠に、当時それらの土器が入ってきていた、日本最大最新の都市ともいえる比恵・那珂遺跡の集落に、征服された痕跡は何一つなく、数百年間発展していき古墳時代にそのまま入っています。


是非、ご検討ください。
奴国は師升によって二世紀初頭に滅ぼされますが、その前は奴国の比恵・那珂遺跡が列島内の交易センターでしたから色々なところから人々が来ています。奴国が滅ぼされた当初は楽浪郡と倭国の交易が盛んで来たので、吉備の人たちだけでなく瀬戸内の人々は奴国の交易センターに出かけています。

後漢王朝が内部抗争の為に半島支配が弱体化して韓・濊人が暴れ、倭国は楽浪郡と交易できなくなって衰退します。一方、半島南部にコネのあった奴国最後の王スサノヲの子孫の狗古智卑狗が旧奴国に鉄素材や鉄製の武器を作って供給し、スサノヲの弟ニギハヤヒが吉備を平定して奴国を再興しました。楯築王墓の被葬者です。その子孫が河内から纏向に移り政治都市を築き、旧奴国勢を集めて、倭国討伐します。そこから少しややこしいのですが、最終的に九州を滅ぼし、列島全体も支配下に置いてヤマト王権が成立したと推理しました。これについても弥生終末期から古墳初頭の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べて判明しています。よろしければこれも拙ブログ「鉄鏃・銅族の出土状況のデータ共有」「【検証19】日本建国のための戦いだ!」「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」などをご参照ください。

最後に、甕棺墓が衰退したのは卑弥呼が登場してからだと推理しています。太陽神のお告げによって政治を行う様式に倭国の伝統祭祀による政治を難升米王が変えたことと関係あると思います。その時代から筑紫平野に縄文系の箱型石棺が多くみられるようになるのでそう推理できます。


いろいろと教えていただき感謝いたします。拙ブログにこのやり取りを掲載させていただきますので、何かお気づきの点がございましたら、コメントいただけると有り難いです。どうぞよろしくお願い致します。取り敢えず、どうもありがとうございました。

【関連記事】
卑弥呼の宮室が日田盆地だったのか?
まだのかたは、こちらを先にご参照ください(*^▽^*)


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国民貧困化の犯人は消費税だった!(;一_一)

2022-03-21 21:10:36 | その他
かなり前の動画の視聴者のいいコメントに意見を書かせてもらいました。
今西田先生が自民党の中で頑張って貰っていますが、多くの国民に知ってもらって、緊急に是正しないと日本国民は、内憂外患で地獄を見ることになりますので、記事にしました。どうぞお付き合いください。



世界のゴリ押し
今すぐ「消費税廃止」にはできないとしても、
今すぐ「食料品と生活必需品を消費税非課税」にすることはできるはずです。
西田議員。説明はもう十分です。動いてください。


次郎
消費税を廃止し 富裕層の課税を強化で問題解決じゃないかw
お金持ちが貧乏人に消費税払わせて さらに 還付を受けて儲ける
なんてありえないだろうw


世界のゴリ押し
@次郎 さん
おっしゃる通り。税金の❝ありかた❞を間違えていますね。
「今すぐ消費税廃止」が無理でも、それを実現させるための筋道は作り出せるはずです。
それをぜひ西田議員に実行していただきたいと思っています。


刮目天一
消費税の仕組みを理解すると

付加価値税ですから売上ー仕入=利益+人件費にかかることになり、

経営者は利益を確保するために人件費を抑えて消費税に当てる仕組みです。

不景気の時代に給料が上がらないのは消費税のせいですよ。

今のスタグフレーション(不景気の物価高)では税率固定でも増税効果です。

少子化の元凶も消費税。社会保障費を消費税で穴埋めは、間違った発想です。

不況の時には国民が困らないように減税が定石なのは仁徳天皇も知っていた話です。
さらに財政出動で景気を刺激です。

今の不況時で消費税はやってはいけない税ですので、

生活用品などは軽減税率ゼロにすべきです。

インフレ目標を突破し、景気が行きすぎ、物価が高騰するときに有効ですから、
その時に様子を見ながら税率を増減させるのが正しいやり方ですよ(^_-)-☆

世界のゴリ押し
@刮目天一 さん
おっしゃる通りです。消費税はデフレ下において悪手でしかありません。
自民党は生活必需品の税率を8%にしたいがために5%から2段階に10%に引き上げました。
そして今後もコロナネタと福祉や年金問題を言い訳の材料にし、さらなる増税を実施します。
西田議員には「今までのやり方が通用しないのであれば新たな方法を取り入れ、消費税を廃止させる」という柔軟性が必要です。


刮目天一
@世界のゴリ押し さん おっしゃるとおりです。
今問題なのは所得格差です。2019年の統計ですが、所得の上位10%の人のシェアが45%で、下位50%が16%のシェア。これは上位1%の人のシェア14%とほぼ同じです。



だから、所得税の累進課税の税率を変えて、平準化するのも景気刺激の一つの手ですよ。
低所得の方は所得が貯蓄に回らず、ほとんど消費に回りますので、そこから徴収すると益々資産格差が大きくなり不安定な社会になります。

また、余裕のある高所得者がたくさん使ってもらえるように税の仕組みを変える必要があります。
単純な累進課税だけでなく、ふるさと納税のようなものは格差是正にいいかと思いますね。

それから法人税減税は内部留保を増やすだけで愚かなやり方です。
官僚の天下りの原資でしょうから止めるべきで、
設備投資や正規社員の雇用の増減で法人税率を変えるのも手ですよ。

ようするに国民が税の仕組みを知って、口を出さないと、マスメディアを使って、
罪ムショの都合のいい税制にされて国民が貧困化しますね。
国家の意味と国民経済とMMTについて学校教育すべきです。

国民を苦しめた主流派経済学の先生方は早期引退してもらいましょう。





【関連動画】期間限定もありますので、まだの方は是非今のうちにどうぞ!
特別シリーズ 第2回 財務省のウソを暴く 国債を誰も受け取らなくなるなんてあり得ない!!【西田昌司ビデオレター令和3年10月22日】12,971 回視聴2021/10/22


【拡散希望】財務省が慌てふためく!『財政破綻論』が崩れる歴史的瞬間が来た!
(参議院財政金融委員会質問 令和4年3月15日) 西田昌司チャンネル  


「増税は正しい」と思わせる財務省の巧妙なレトリックとは?
(三橋貴明)31,662 回視聴2022/02/26


【3月22日までの限定公開】財務省や経済学者が絶対に知られたくない不都合な真実
〜日本の経済政策を狂わせる大嘘とは?〜
15,603 回視聴2022/03/17 「新」経世済民新聞 三橋貴明 公式チャンネル チャンネル登録者数 40.3万人


【参考記事】
矢野康治・財務次官「論文」、誰も指摘しない“あまりにもヤバい”問題の本質
中野剛志:評論家 2021.10.22 2:10 DIAMOND online

民間企業でCFO(最高財務責任者)が、わが社の財務は危ないなどと言えば、株価は下がり大変な騒動になるはずですが、日本の財務をあずかるトップがそれを言っても、何も反応がありません。格付け会社も日本の国債を下げると発表していません。国債の金利も暴騰しません。それは、だれも、日本が財政破綻をしないと思っているからですね。正に裸の王様でした( ^)o(^ )

しかし、それによって緊縮財政を続けさせればデフレ不況から脱出できませんから、笑い話では済みません。国民の命がかかっている問題です。多くの国民に有害な今の財務省は組織のミッションが間違っているのですから、さっさと解体して、もっと国民の利益になる役所を新たに作るべきです。

せっかく優秀な方たちが集まっている組織なのですから、正しいミッションを与えて国益となる組織にするのが内閣や国会議員の仕事でしょう!占領時代に日本を抑え込むために作られた財政法とそれに基づく財務省設置法を急いで改正してください!

「日本で賃金が上がらない」本当の理由、GAFAがなくても給料は上がる?
原田 泰:名古屋商科大学ビジネススクール教授 2021.11.22 4:25


生産性の向上を邪魔する人々がいなくなれば、日本版GAFAが自然と生まれてくるかもしれない。と結論されていますが、生産性を上げるには設備投資や人材投資です。不景気の時代にはモノが売れませんので、経営者は生産性を上げるよりも人件費を削減でしょう。

ヤマト騙しの罪務省デマから日本を救うMMT!
デフレ不況の原因も消費税ですよ!財務官僚が出世するには、国民から税を取る仕組みを考えて天下り先を確保する必要があるために、国の借金詐欺で国民を騙したわけです。権限が強いのでマスメディアや政治家を手下に使っています。大企業の経営者は技術開発にカネをかけるよりも税金を安くして利益を多くしたいという財務省利権が第一ですから、この国の将来は反日国家に呑みこまれます。国民が立ち上がり、国民を安全で豊かにしてくれる本物の政治家を選んで、MMTによる安全保障強化と国民経済健全化をする必要があります。敗戦利得者の孫たちはさっさと引退してもらいましょう!

国家の根幹に欺瞞があると国民は堕落し、国家は滅亡します。早く、本来の日本に戻す世直しが必要ですね(^_-)-☆

古代妄想のすすめ!(^_-)-☆

2022-03-18 21:34:21 | 古代史
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以下の興味ある動画を見つけ、コメントしたところ、ご興味を持っていただいたウップ主様からとても有り難い回答を頂きました。さらに視聴者のYOさんという同好の士からとてもよいコメントを戴きましたので、ちょっとしつこい話かもしれませんが、どうぞお付き合いください(*^▽^*)




Y Oさん
刮目天一 様 私も刮目天様のブログをよく読んでいる者です。 古代史の分野だと、確定的な部分は少なくて推論の部分が多いと存じます。確定項目は今後も「無い」と思っております。 その中で、刮目天様のブログはまことに興味深いものだと思っております。

が、私の妄想とはちょっと違うかなぁと。 どちらかといえば妄想寄りの私なので、従来の説よりもぶっ飛んだ主張が好みです。 個人的には「支那の文書は間違ってない前提」の方が良いかと思っております。 これを間違いとしてしまうと、幅が広すぎになり自説に都合の良い解釈になってしまうからです。

陸行1か月を1日にしたり1年にしたり、南を東としたりすると、自分の思う場所に比定出来てしまうのでね。 ウプ主様や刮目天様も含め、いろいろな方々の論説を聞くのは非常に面白いことだと思っております。 確定の無い古代史において、柔軟な考え方を聞ける現在の状況は良い状況だと思っております。 (個人的には畿内説論者が何も言わないのがおかしいと存じます。畿内説で確定では無いのに、何余裕ぶってるのかと。) 今後も期待しております。


Y Oさん 拙ブログにご興味を持っていただき、なかなか本質を突いたいいコメントまで頂き、とてもうれしいです。有難う御座います。少し、回答が長文になりましたし、折角ですので、拙ブログでご回答させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします(*^▽^*)

まず、「妄想」という用語を明確にしてから議論すべきだと思いますのでそこから述べますね(*^。^*)
恐らく多くの方も同じだと思いますが、「妄想」は「空想」と同様で、ここでは「現実ではない、事実に基づかない想像」ということで良いかと思います。

それでは「事実」とは何かですが、それは「実際にあった事柄または現実に存在する事柄」と多くの人が考える客観的な概念ですね。一般的には「真実」も似たような概念ですので同じものとすることが多いですが、ここでは両者を区別した方が良いと思います。つまり、多くの人々が認知した「事実」にウソや偽りがある可能性もありますので、それがない絶対的なものを「真実」と考えるのが良いと思います。

そして、ある「事実」は検証によって「真実」ではないと客観的に分かる場合もありますが、多くの場合その「事実」が「真実」であるとは分からないかも知れません。でも、検証を繰返すことによりその「事実」が「真実」であるに違いないと思えるようになると、科学的な信念に変わるのだと思います。科学の要件には普通、客観性、実証性、再現性、論理性、予測性、反証可能性があげられますから、詳しくは説明できませんが科学的な手続きにこれらの性質が存在している必要があるのだと思います。

さて、古代史の分野ですが、おっしゃる通り推論の部分が多いのは事実ですし、確定事項は今後も「無い」というのは、厳密に考えるとその通りかと思われます。しかし、疑う理由も見あたらないか、確からしい事象はいくつもあり、それを事実と考えて検証を繰り返してアブダクションによる仮説形成手法から、そのような事実群をすべて矛盾なく説明できる仮説が得られると、その仮説が真実を説明している蓋然性が高いと考えるわけです。要するに、一つひとつの事実がどのように起こったのかの因果関係を推理し、その仮説を科学的に探求するということです。思い付きでも妄想でも想像でも何でも自由な発想で仮説を構築すればよいのです。それを事実によって検証して、全体を記述する物語にできるので、とても楽しい作業ですよ。

そして、ここが肝心なのですが、このような科学的な手法で得られた仮説によって、従来謎であったことが幾つも解き明かされることにより、その仮説への信頼がさらに高まります。

それによって逆に、取り敢えず事実と考えた確からしい事象群が真実であろうと考えることができます。

つまり得られた仮説もそこで考えた事実群も科学的な信念や確信にまでなるということなのです。

そして、従来、想像もできなかった大発見もできるのがこの手法の醍醐味というか、凄いところなのです!(^_-)-☆

さらに、ご指摘のシナの文献の件ですが、シナに限らず、疑う理由・根拠のあるもの以外は一応事実扱いしてよいと思います。検証の過程で虚偽と分かるかも知れません。そういうスタンスで、事実に基づく妥当な推論で仮説を組み立てると科学的ですので、説得力が出てきます。妄想や空想が好みの方は、自由にそうして構いませんし、空想であると断って他人に発表するのは、別に問題はないと思いますが、そのままではもったいないと思います。折角、考え着いた面白い、貴重なものですから、是非、検証をしていただくと大発見につながるかも知れませんので、お願いします(^_-)-☆

あ、それから、ご指摘の「陸行1か月を1日にしたり1年にしたり、南を東としたりすると、自分の思う場所に比定出来てしまうのでね。」の件ですが、全く同感です。

ですから、先に、考古学の成果による検証で日本建国の過程について仮説推論し、その結果、邪馬台国の位置を推定して、それに基づき行程記事のトリックを解明したということです。どうにでも解釈できる行程記事を根拠として邪馬台国の場所を推定しているわけではないので、この点が従来にない、ユニークで科学的な手法だとご理解いただけるとうれしいです。

これからも拙ブログにお付き合いいただき、刮目天の仮説を反証していただくのも良いし、仮説をさらに拡張して次の時代にも適合する仮説を構築していただくのを期待しています。これからもいいコメントを頂けると研究が進みますので、どうぞよろしくお願い致します(*^▽^*)

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アブダクションは科学的な信念形成の手法だ!( ^)o(^ )


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通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
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