すぎな之助の工作室

すぎな之助(旧:歌帖楓月)が作品の更新お知らせやその他もろもろを書きます。

時に浮かぶ、月の残影22

2005-07-12 01:28:18 | 即興小説
衣装は見てのとおり揃えてあるから、後は良しなに。
李両はそう言って、私と撫子とを部屋から出した。どうにも、「ていよく追い出した」という表現が頭をよぎる。けれど追い出すにしては、李両は機嫌がよかった。まあいい。
扉の外で、私は立ち止まっていた。右に進んで階段へ向かうことをせずに。
番長はなにか企んでいるのではないか? と、思ったのだ。
そんな私を、撫子は不安そうに見上げてくる。背丈が、私の肘のあたりまでしかない。どう見ても華奢で小柄な、可哀想に、普通の市井の娘だ。
「翔伯さん。ご迷惑、お掛けします」
か弱い声が、私の耳に届いた。
不機嫌な顔をして、右手をあごに添えてうつむいていたのだ私は。15の娘が顔色をうかがいたくなるような、様子で。
「いや。……それよりも君の方が、難儀な目に遭うぞ?」
撫子は、弱く首を振った。「いいえ」と。訳もわからず連れて行かれるのに、しかしそれをどこか自然に受け入れている。
……不思議な、娘だ。


時に浮かぶ、月の残影21

2005-07-12 01:11:53 | 即興小説
「そうだな。こう言い換えた方が、君には納得し易いかもしれないな」
李両は静かに笑って、翔伯に「履歴を」と言って返してもらい、怜悧な顔になって言った。
「仕事だ。撫子君を月まで案内しろ。道中で彼女が何か『できること』を身に付けさせろ」
どうだできるか? と相手をうかがう。
翔伯は右目を細めた。こいつそう来たか、と瞳が語っていた。
「主体が彼女から私へと変わったわけだ。わかった。やる」
断れば、己の能力を問われることになる。というより、「ものぐさ」とのそしりを免れえなくなる。できる仕事を面倒だという理由でしないのだ、と。
「ありがたい」
李両がそう言ってにこやかに右手を差し出した。
握手を求めている。
「なんのつもりだ?」
翔伯は眉をひそめた。
仕事の要請のくせに、まるで契約の締結を祝すような、……妙な。

「何、これから難儀なことになるかもしれない。それを引き受けてくれた君への感謝と、表敬を示したいのさ」



時に浮かぶ、月の残影20

2005-07-12 00:55:47 | 即興小説
では一体何ができる? と問いただしたら、
代わりに答えたのは李両だった。
「君が考えていることは何一つできないよ? ……なにせ、」
これを見たまえ、と言って、机上に置いたままになっている文書を一枚、私に差し出した。
撫子の履歴だった。

……。あきれた。
15年前に生まれて、初等教育を受け、そこから先の記述が無い。今に至るまで。
なにもできないということだ。こちらの望むことは。
撫子は、一人で生きるのに必要最小限しかできない娘にすぎない。

「何故、塔に来ようと思ったのだ?」
その紙切れを見て口に出た問いは、呆れた気持ちを抑えられないもので。
しかし、答える撫子の方がよほど当惑していた。
「……行きなさい、と、言われたので、」
「誰に?」
撫子は、ひどく困った顔をした。眉を下げ、瞳を伏せ、うつむいて。弱く首を振った。
「わかりません……」
私は、撫子のその答えにこそ、驚いた。言われておいて、わからない、とは?
「どういうことだ?」
「どうもこうも。これから覚えていくということだよ。翔伯。そして君が教育係」
無闇に明るくさばけた言葉で、李両が割って入ってきた。
こいつは、何か知っているのか? でなければ、こんな脳天気な言い方はできない。
「なぜお前がそう言える? 李両?」
軽く睨みつけて聞くと、彼は軽く返した。
「番長だからだよ」