すぎな之助の工作室

すぎな之助(旧:歌帖楓月)が作品の更新お知らせやその他もろもろを書きます。

時に浮かぶ、月の残影46

2005-07-18 21:21:33 | 即興小説
きっと、泣いたり騒いだりすれば、……自分にとって、もっと不利なことになる。
私は、父の冷え切った瞳を見て、そう悟った。私は自分の幸せだけ考えて生きてきた。それゆえに、今この父に逆らったらどうなるか、簡単に想像できた。不幸になると。
身包みをはがし、ていの良い、そして私に都合の悪い理由を付けて、本当に縁を切るのだ。切り捨てるつもりでいるのだ。
私は追及をやめねばならなくなった。

そして、翔伯に対しても、あきらめざろうえなかった。
今、この状況では。

父は、父の前ではすっかり大人しくなった私に、晴れやかに言った。
「そうだ桔梗。翔伯に手紙を渡してくれまいか?」
それは嫌がらせ。
私の身の上を暴露し、父自身が私を翔伯に添わせるつもりは毛頭ないと知らしめたうえで、言っているのだ。手紙の内容は簡単に推察できる。私にとって、不利なことが書いてあるに違いない。
だが受け取らざるをえなかった。そして、渡さざるをえなかった。

しかし私は、……弱い女ではなかった。



時に浮かぶ、月の残影45

2005-07-18 20:53:24 | 即興小説
「お父様……?」
私は、よろよろと扉を開けた。
だが、私が思うような激しい展開は、ひとかけらもなかった。

「おお? なんだい? 桔梗」
ゆったりと、私を見る父。
「では失礼します」
何事も無く、部屋を出て行く部下。
「お、お父様? わたくし、今の話を」
「ああそうだもう一つ頼みがあったよ。ちょっと戻ってきてくれ?」
父は、出て行こうとする部下を引き止めた。
私の言葉を、遮った。
それは、気まずいからとか、動転してとか、そんな理由からではない。その証拠に、……父が浮かべているのは、得意げな笑みだった。
「なんでしょう?」
部下も、実に穏やかに、部屋に戻ってくる。同じ笑みを浮かべて。
「例の件、早急に頼むよ?」
「はいわかりました。必ず見繕いますゆえ」
二人、いやに円満に笑って、そうして今度こそ、部下は部屋を出て行った。

今。私は、明らかに部外者扱いされたのだ。
私の身上に関わる話を、聞いていたとわかった上で。
しかしその件については、何の意見も質問も、事実の確認さえも、受け付けないつもりで。
……捨てられたのだと思う。その時に私は。

「お父様、わたくし、今の話を、」
言うたびに、たずねるたびに、父は、にこやかに別の話をした。
そこには優しさも思い遣りもなかった。
口は笑みにゆがんでいるが、瞳は辛らつだった。泣き言もかんしゃくも許さない、すでにそれは、他人の顔であった。
話にならない、取るに足らぬ、ただ若いだけの女を見る目だった。
もはやそこには肉親はおらず、「立場上」穏やかに接するだけの、塔の幹部がいた。

いきなり私は孤独になった。

今思えば、それは、父が仕組んだ「厄介払い」だったのだ。いい加減、私に辟易していたのであろう。真実を、孤児の耳に入れるような場を作って。
私は何も知らず、ただ傲慢に、そして愚かにも、それに引っかかってしまったのだ。見事に。


時に浮かぶ、月の残影44

2005-07-18 19:03:08 | 即興小説
隣室に入った私は、お菓子の山を目にした。
今思えば、私は「子供扱い」されていたのだ。それも、頭に「厄介な」と付く。その時は、気付きもしなかったけれど。

「ふうん。どれもこれも、見たようなものばかりね?」
その菓子を造った職人の名も知れている。どれもこれも、一流の職人たちばかりだ。その味も知っている。
だから、いっそうつまらなくなった。
私の不機嫌の原因は、今のところ一つしかない。
翔伯だ。彼が私の良さをわからないところだ。
……あんな女と、仲良くしちゃって。
焼き菓子を一つ二つほおばると、私は、扉の際に立った。そして聞き耳を立てた。
父と部下との話を、盗み聞きしたくなったのだ。
先ほど、翔伯が私のことを、まるでとるに足らぬ無知な存在かのような扱いをした。この私が間違いなく優秀な人間であるにもかかわらず、彼は私のことを、そんな風に扱ったのだ。それが許せなかった。
だから父と部下との話を、盗み聞こうと思ったのだ。「塔の幹部という名前ばかりで、大した仕事もしてないじゃないの」と、安心するために。
……どんな、つまらない話を、しているのかと。

扉の向こうから、抑えた声の会話が、なんとか聞いて取れた。

「すまないな。騒々しくて」
「いえいえ……心中お察し申し上げますよ。僭越ながら」
「ックク。それはありがとう。……まあ、あれだよ。もうじきおさらばだ」
「そうでしょうね。誰かにやってしまえば、どうとでもなりますし。しかし、申し上げにくいのですが、先ほど翔伯の名が出ましたが……その、」
「ああ。ああ、心配ない。翔伯をアレになんぞやるものか」

ここで、私は、耳を疑った。父は「桔梗を翔伯になんぞやるものか」ではなく「翔伯をアレになんぞ」と言ったのだ。……まるで私を貶めたような言い方……。
話は、続いていく。

「まあなんだな。義務とはいえ……時に、ほんとうに、嫌気が差すものだよ。幹部となれば当然避けて通れぬ道ではあるのだが」
「いえいえ。何せ彼女は毛色が違う。他の孤児達は、自分の境遇をうっすらとでもわきまえて、慎ましやかにしていますが。……あなたは、苦労なさる類の孤児を引き当ててしまいましたから」
「こんなにも性の悪い娘だとは思わなかったよ。氏より育ちというが、それは嘘だよ。あれは性分だ。全く手に負えない。その証拠に……こういってはなんだが、私の実の娘も息子も、とりあえずはまともな性格をしている。それに比べてあれはどうだ、底なしの欲深ときている」

……孤児……ですって?

「そうでしょうねえ。令息様も令嬢様も、実に立派に成長されて」
「まあな。いや、私ではなく、妻の教育の賜物だよ……それと、やはり、彼ら自身の性分かな?」
「それを血と言うのですよ」
「いやこれはしまったなあ。まるで身内自慢をしているようだ。なんとも面映い」

……孤児? お父様の子ではないということ?

「なんにせよ、これは内緒にしておいてくれよ? 君だから言うんだが……早いところ厄介払いをしたいものだ。すまんな。つまらん話を聞かせた」
「いいえ。私でよろしければ、いつでも耳を貸して差し上げますから。適当な者も、みつくろっておきますから」
「ああ。じゃ、仕事の方は、君、よろしく頼むよ?」
「はい。失礼いたします」

厄介、払い? ……この、私を?


時に浮かぶ、月の残影43

2005-07-18 16:17:29 | 即興小説
私は父に、菊のことを聞いた。

父は塔の幹部だった。
私は、遅くに生まれた子どもで、既に姉も兄も一人前になっていて、孫も同然の子どもだった。そのお陰で、父も母も、たいそう私をかわいがってくれた。望むもので手に入らないものなど、なかった。
塔の最上階、父の部屋に帰るなり、私は言った。
「お父様! 菊という女はなんですの?!」
父は、部下からの決裁書類に目を通していた。部下というのは、とりあえず、どこかの階の長だった。
父と部下は、私の荒れた大声に、ぎょっとして目を丸くした。
「……どうしたんだね? 桔梗?」
私は、自分の窮状を訴えた。
「どうしたもこうしたもありませんわ! お父様! わたくし、今、修練場にいる翔伯に会いにいったのです! そうしたら、女がそこに……彼と一緒にいて、やけに親しそうで! 菊という女性ですの! 見たことのない白い衣装を着てましたわ!? どんな職に就いてる女ですの!? ……わたくしっ、」
悔しい! と、わめいて、床を蹴った。
ところが、父も部下も、私の予想した反応はしてくれなかった。「それは可哀想になあ」とも「たいした女ではないよ桔梗」とも、言ってくれなかったのだ。
「……菊か、」
父はそうつぶやいたきり、押し黙り。
部下は眉根を寄せて、父を見つめて。
二人は、しん、と、静かになった。
「お父様?」
私は一人、わけがわからないままだった。
「ねえお父様? どうなさったの? 菊ってどんな人なの?」
父は、額に右手を当てて、首を振った。苦い顔をしていた。
「……菊はな、桔梗。『祈職』の人間だ」
「きしょく?」
初めて聞く言葉だった。
「この下に、彼らのいる階がある」
「表階段に出入り口が設けられていない、あれですか?」
てっきり、倉庫か何かだと思っていた。
「いや、出入り口はあるのだ。目立たないように造ってあるだけでな」
「そうですか」
私は、その「きしょく」とやらを軽蔑することにした。目立つ出入り口も無い階の人間が、大した者であるはずがない。
「で? お父様、菊とはどんな女なのですか?」
「桔梗や。お前は間もなくここから出て行くつもりだろう? 夫をさがしに塔にきたのではないのか?」
父は私の質問に答えなかった。でも私は気にしなかった。なぜなら、代わりに父が聞いた言葉の方が、余程私にとっては重要であったからだ。
「ええ! そうですとも! お父様、わたくし、是非とも同期の翔伯を夫にしたいのです!」
「……ああ、あれは良い人材だ」
父の部下も、書類を返してもらいながら、同じた。
「そうでしょう!? そうよね!? やっぱり!」
私は、賛同者が増えたので嬉しくなった。
「そうでしょう!? やはり私の目は間違っていないのだわ! お父様、私、彼を夫にしたいの! でもお父様、彼ったら……家には来たくないというのよ!? お父様とは毎日顔を会わせてるから、ですって! お父様、毎日顔を会わせるのなら、私のことをもっともっと話してくださいな。お父様の口から、彼に」
私がまくしたてると、父は、部下と目配せをしたのち……なぜか肩をすくめた。
「そうだな。まあ、おいおいな」
「絶対ですわよ!? 私のことを知れば、必ず翔伯は、私の夫になってくれるはずですもの」
「ああわかったよ桔梗」
父は、優しく笑って見せた。
「さあ『お父様』はこれからこの部下と、大切な話をしなければならないから、別室にいてくれないか? おいしいお菓子をもらってあるのだ。それを食べていなさい?」




時に浮かぶ、月の残影42

2005-07-18 15:45:41 | 即興小説
すぐに反応したのは、菊だった。慌てふためいたり、恥ずかしがったりすれば、幾分か私の気も晴れるというのに、憎らしいことに彼女は、……お疲れ様、と言ったのだ。それはただ職場の同僚として、私を認知しているということで。
「あらお疲れ様です。翔伯、私を離して? お仕事ではないの?」
翔伯は、くっと眉根を寄せた。今まで笑っていた顔が、少し険しくなった。「少し」という程度で済んだのは……きっと、この女がいるお陰だろう。
「修練の時間だ。だから君といるんだ。菊」
ため息の後に、翔伯は手を離した。
「急な御用かもしれないわ?」
「……秘書に急用などあるわけが無い」
私は、むっとした。「などあるわけがない」という言葉が、私の自尊心を大いに傷つけたからだ。
この私を、軽んじる言い方をしたわね!? 失礼な!
私は、だからこそ一層派手やかに笑ってみせた。
「ええ急用ではないのよ。今日もあなたと話がしたくて」
自分は素晴らしい女であると、自信に満ちた立ち姿を二人に見せ付けて、私は話をつづける。
「翔伯。修練するあなたの姿も、やっぱり素敵ね? どお? 私の父が貴方に会いたがっているのよ? 一度私の家に来ない?」
「君の父になら毎日会っている。その必要は全く無い。私は君が言うように修練中だ。帰ってくれないか?」
「あら、邪魔をするわけではないのよ? 私は今手が空いているの。見学くらいさせてくれたって、いいでしょう?」
翔伯は、眉を上げた。
「迷惑だ」
「!」
私は、二の句が告げられなかった。
この私に向かって、この優れた人間に向かって……迷惑、ですって?
「ごめんなさい。この人、言葉が足りなくて」
間を取り持ったのは、菊だった。
私はそれにも、むっとした。
「私たち、明後日に『前線』に出るの。『月の昇る地平』にね? だから修練しているの」

私はそのころ、「前線」の意味も「月の昇る地平」の実際も、知らなかった。
ただ、それを言う菊の口調が明るかったために、その気配だけをたよりに、大した所ではないとふんだ。
「あら、そうなの? ふうん」
私は、できうるかぎり、高慢に、誇り高く、自分は価値ある人間であるとわからせるために、わざとぞんざいな相槌を打ってやった。これで菊は、私が素晴らしい人間であることが理解できるはずだ。
だが、菊は不思議そうな顔をしただけだった。
私は菊を頭の悪い女だと思った。私の価値がわからないらしい。
「菊。彼女は研究職でも技術職でもない。知りもしないことは、話して聞かせるだけ無駄だ。自分の仕事場の階下にいるお前のことすら、知らないではないか」
「翔伯。なんてこと言うの!」
菊が翔伯をいさめた。私は、かえって気分を害した。
なによまるで女房気取りじゃないの。と。
ここにこのままいるのも、腹立たしかった。翔伯は私を理解しようとしないし。菊という女は、やけに彼と親しいし。

「では今日はこれで失礼するわね? 翔伯。ごきげんよう」

私は、あざやかにそう言い置くと、銀のマントを翻して、修練場を出ていった。この地味な衣装、こんなふうに銀のマントが揺らめく時が、唯一私のお気に入りだった。

……菊の存在を知ったのは、そのときだった。