すぎな之助の工作室

すぎな之助(旧:歌帖楓月)が作品の更新お知らせやその他もろもろを書きます。

時に浮かぶ、月の残影33

2005-07-17 23:41:32 | 即興小説
昔。
そう、太陽がまだこの地に、今では「懐郷の街」と呼ばれてしまったこの地に、射していたころ。
私たちは、生きていた。若い時を。

「おはよう、李両君」
口角をきゅっと持ち上げて、自信に溢れた華やかな笑みを浮かべて、桔梗は部屋に入ってきた。
今は、「懐郷の塔」と呼ばれている、塔の4階の隅にある一室に。
そこは研究室が並ぶ階。
李両は、部屋にいくつも並んだ、薄い板で造られた「平の研究員用の量産机」の一つに、資料や文献をうず高く積み上げて、調べものをしていた。他の研究員たちも、各々の仕事をしていた。
「……おはよう。桔梗」
桔梗が、彼の机の際まで来て「返事は?」と催促してようやく、李両は顔を上げて、そうあいさつした。
切れ長の銀の瞳に浮かぶ光は、激しくも強くもなかったが、学者らしい冷静な鋭いものだった。
「なにか用?」
職業柄、李両は、相手を追及するような眼をする。いつもならば、それを、余裕の高雅な笑みで押し返す桔梗だったが、今日は、幾分、いや、大分、控えめな微笑で受けた。彼女自慢の瑠璃の瞳が、わずかに揺れた。
「し、翔伯は、どこにいるの? 今日はこちらに来ていると、聞いたのだけれど。用があるのよ。渡すものがあるの。父の頼まれ物で、……どこにいるの?」
李両は瞳を細めて、息をついた。
「翔伯に用なら、塔の中でなく、外へ行けばいい。裏庭でなにかしているから」
そもそも、学者ではなく実動者の翔伯がここにいるはずがないのだ。桔梗もそれはわかっているはず。なにせ、彼女の父親はこの塔の幹部。
李両は、桔梗のこんな行動に、彼女のおびえを見て取った。
「ありがとう李両。行ってみるから」
彼の返答に、まるで同時に「勇気」までもらったように、桔梗は、さっそうと動き出す。
普段の彼女に戻ったなと思った李両は、もう少しで手が届かない距離にいく彼女の銀のマントを、つかんで引いた。
「待て」
桔梗は、己の衣服をそんな風に「ぞんざい」に扱われたことに気分を害して、ぱっと振り返った。
「やめてくれないかしら? しわになってしまうわ? 言葉だけで、足りるでしょう? そんなふうにして欲しくないの」
気位が高い、つんとした声。だが、豊かな環境で生きてきた彼女の声は、ひどく優雅だった。
そんな桔梗の要請は無視して、李両は言葉を続ける。
「先客で菊がいる」
「……」
桔梗の表情が、一瞬だけ、凍った。
しかしすぐに、自信に満ちた笑みを浮かべて見せ付けた。
「あらそう」
まるで舞踏会のように、銀のマントを翻した。
「行くわ私」
そして彼女は、鮮やかに去っていった。
だから李両は、げんなりと息をつく。
彼のところに、それまで盗み見盗み聞きをしていた、他の研究員たちが寄って来る。
「相変わらず、まぶしいほどの自信だな」
「お嬢様育ちだからな」
「小さいことから塔の天辺が遊び場だものな」
それは、賞賛でもなく、逆に揶揄でもなく、珍奇なものへの評価だった。
「どうしてこんなとこにいるんだろうな? 泥臭い、危ない、荒っぽい、この塔に。……彼女自身『あたしに似合うのは、この衣装ではない』と公言してはばからないというのに」
同僚の言葉に、李両は苦笑して答えてやった。
「華やかな世界に旅立つためには、『同伴者』が必要だからさ。彼女に相応しい」
皆、どっと笑った。


時に浮かぶ、月の残影32

2005-07-17 01:46:04 | 即興小説
塔から望む風景は、いつも月夜。
過去と未来にとりまかれた、月夜。

自分の右脇で眠る女の顔を見た。
両目にくまができていた。
「睡眠不足もあり、か」
お疲れだったんだね、桔梗、とささやいて、その青紫の髪をなでてやる。
……死んだように眠っている。
「このまま死なせてやりたいけれどね……でも、できないことだし」
何度、この様を見てきたことか。
あの、「気の強い女」のままで終わらせてやりたかった。自分としては。
自分たちについて来なくとも、よかったのだ。
選んだのは、桔梗自身だったが。
この長い時を……。思いと、課せられた使命とがなければ、正気で生きるのはたやすいことではない。
こうして眠る桔梗に、何度この言葉をささやいたことか。
「あの時、決意を伝えた君を、なんとしても追い返すべきだったんだろうね。私たちは。……すまない、桔梗」

「菊……菊、」

眠る桔梗の唇から、彼女の名がもれた。
月になった彼女の、名が。
李両は、開いている扉の向こう、書斎の窓から見える月を見た。
きれいだね。菊。君は。

「菊……ごめんね、」

女の声に、李両は首を振った。
「すまない。桔梗」


時に浮かぶ、月の残影31

2005-07-17 01:26:02 | 即興小説
「薬は嫌! 薬なんかもう嫌!」
李両の寝台に寝転がされると、桔梗は狂ったように泣き叫んだ。
「嫌よ怖いわ怖いの! もうあんな思いしたくないの! 薬だけはやめて!」
番長はむっとして返事をする。
「まるで私が君を薬漬けにしてきたように言うな? 自分だろう? 勝手に薬品庫から持ってきては乱用して……中毒になって、」
「死ねなかった! 死ねなかったのよう! せめて、『生きない』でいたかったのよう」
李両は桔梗の腰の上にまたがると、何かの発作のように暴れる彼女の両腕を掴んで寝台に押さえつける。
「『死なない』んだよ。知ってるだろう? ああ、今何をいっても無駄か。荒れてるからなあ。ほら、いい子だ桔梗、」
声の調子を落とし、凪いだ海のように穏やかなものに変えて、李両は桔梗にささやきかけた。
「だったら、あの時、死を選べばよかったんだよ? そうしたら君は今頃安らかに眠っている。……どうして生きることを選んだ? こんなに辛いのに」
「翔伯がいたか
「嘘だね」
皆まで答えさせることをせずに、李両は青紫の髪の女の唇をふさいだ。
知っているのだ。何をどうすれば桔梗が大人しくなるかも、なにもかも。……長い時を生きてきたのだから、一緒に。
言葉を奪って深い口付けを交わして、体の自由を奪って、
「嘘だね桔梗」
言葉を奪って。
「君は私しか見ていない。そうだろう?」
体の自由を奪って。
「……この、性悪! あたしはそんな」
「嘘だね」
桔梗から何もかも奪って、自分のものにして、そうして快楽を返して、溺れさせて、荒れた自我をひととき消してやって。

そしたら、また、しばらく生きられるだろう?
桔梗。可哀想な女。


時に浮かぶ、月の残影30

2005-07-17 01:05:20 | 即興小説
桔梗は塔の最上階にたどりついた。
懐郷の塔、見張り番の長が部屋の扉を、荒々しく開ける。取っ手を引きちぎらんばかりの勢いだった。

「李両ー!」
叫びつつ桔梗が転がり入る。
その、何か悪いものにとりつかれたような仰々しさに、李両は眉根をひそめて嫌悪感を表し、ぷいと横を向いて、舌を出した。
「……桔梗。うるさいよ。静かにしたまえ?」
女の勢いは止まらない。それどころか、いさめる言葉に、かえって逆上した。
「あんたたちがどこまでも私を困らせるからでしょう!?」
「君が勝手に一人で困ってるだけだろう?」
胸倉をつかんでくる女の手を、ぞんざいにふりはらってかわすと、番長は目を細めた。
「だんだんと、気が短くなるね? 桔梗。以前は、そう、ただ『気が強い人』だったけれど?」
「うるさいわ!?」
「いい加減、翔伯以外の男に目をやりたまえ……そうもちろん、私以外でだよ?」
いいか私以外で絶対だよ? との余計な念押しに、桔梗は頬をひきつらせて奥歯をギリとかみ締めた。
「あんたなんかそもそも論外なのよッ! この性悪男っ!」
「はいはいはいはい」
大きなため息の後、「そもそも、自尊心が高すぎるのが障害なんだよ君は、桔梗」と、げんなりと言って、番長は自分と同じ背丈の桔梗の両ひじをつかんだ。
「少し大人しくなりたまえ……君の甲高い声は耳障りだ。思考の妨げになること甚だしい」
桔梗は瑠璃の瞳を怒りにゆらして、叫び返した。
「ああそう! あなたの邪魔になってるっていうのなら、嬉しいわ!」
「……ああうるさい。ほんとに、ちょっと落ち着きなさいよ」
「馬鹿ぁッ! あんたたちなんか大っきらいよお!」
李両はさすがに呆れた。
「おいおい。子どもじみてきてるぞ」
「うるさいうるさい! あたしに指図するな! もういやよ何もかも……!」
そこまで叫びつくすと、桔梗は突然泣き出した。通り雨のように、両目から勢いよく涙があふれて落ちて、膝を折って床に崩れた。
死なせてよォ、と、声がもれる。
「もういやよ生きていたくなんか無い、生きたくなんかないのぉ! 一体何年生きればいいの!? 菊の馬鹿! 菊の馬鹿ー!」
「菊にあたるな」
聞かん気の強いぐぜる子どもをいさめるように、李両は静かに厳しく言い押す。
桔梗は「うるさいうるさい! あんたたちの言うことなんか聞くもんか!」と反抗する。
「もういやよ! 殺してよ! 殺してよお!」
「わかったわかった。ちょっとおいで」
有無を言わせずに、李両は桔梗を抱き上げた。
「いい子だ桔梗」
「あんたなんか大ッ嫌いなのよ!? 李両!」
「ああそう。はいはい」
「嫌いなのよ!? 放しなさいよ!?」
「うるさいなあ、一服盛るぞ?」
「ッ、この性悪!」
桔梗を持ち上げる腕で、彼女の暴れる体を締めつけて動きにくくすると、……李両は隣室へと進んでいく。