暇人のぐうたら日記

暇人がぐうたらな日々をつづる

過労死法と尊厳死法の類似性

2018-10-04 18:03:14 | たわごと

米国ではハワイ州などいくつかの州で安楽死法案が可決されている。すべての人が対象になるわけではなく、ガンや難病などで将来にわたって改善が見込めず、苦しみに耐えられないと医師が判断した場合に本人の申請により特別に認められる。もちろん、医師が最終的な処理を施すことは言うまでもない(刑務所の処刑とは異なる)。具体的な手続きについては良く知らない。

安楽死、尊厳死は武士の時代では切腹であり、日本人には極めてなじみが深い。切腹は武士の名誉とされていた。しかも、介添え人が首を撥ねてくれるからそれほど苦しまずに死ぬことができる。この風習は戦後敗戦の際にも自決という形で受け継がれた。

あくまでも、自決であるから、現在のいじめや過労による自殺とは異なる。しかし、自殺者は一向に減らず、弱者による社会補償コスト削減の観点から尊厳死法を認めてはどうかという輩が現れてもおかしくない。例えば、過労死認定をさせないために過労死法案が可決されたのと同じように、自殺者の人数を意図的に隠したり、社会的にコストがかかかる、所謂「生産性の低い」ものを排除するために利用される恐れがある。

要するに社会の体裁を良く見せるために道具として使われかねないと言う点で、過労死法案と尊厳死法案は類似性があると考える。要件を厳格に決めれば問題ないというかもしればいが、一度通った法案は独り歩きしてしまうする可能性も否定できない。

こう言った安易な考えで法律が作られることは避けなければならない。非正規雇用者を大量に生んだつけを別の形で処理しなければならなくなるほどに重大なつけを後世に残すことになる。

NO!と言える日本という言葉が一昔前に流行った。これは、米国に対してであるが、沖縄のように、まさか自国の政治にNO!と言わないといけない時代が来ようとは誰も予想していなかっただろう。法治国家であるから法的手続きを経れば問答無用というのはあまりにも横暴ではなかろうか。これでは、国が始めた戦争に、国民ならお国のために命を捧げろと言っているのと同じではないだろうか。

憲法改正なんて、所詮その程度のものだろう。それよりも、法治国家なのだから、権力者は現行の憲法を遵守しなければならないことを忘れているのではないだろうか。

それだけ、国そのものがモラルハザードに陥っているのかもかもしれない。他国にはこの表と裏のダブルスタンダードは完全に見透かされていることも気づかずに。