暇人のぐうたら日記

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飼い殺し

2018-09-10 12:33:52 | たわごと

組織への帰属意識が高いことが、「飼い殺し」を生んでいる。これは過去から脈々と受け継がれているDNAであろう。

しかし、過去はそれなりに組織へ帰属することで自らの身を護ると言うことで意味があった。海外でも同様の仕組みであったことから必然性があったのだろう。これが、新選組当たりの明治維新の頃から時代は大きく変化した。組織の帰属が逆に義務的な要素を持ち、一部上層部の好き勝手に組織が動かされ、組織に帰属することは身の危険となるようになった。その後、組織の帰属は政治、経済へと移り変わり、受け継がれていき、隣組に代表されるようにある意味義務的となった。そして、戦死、過労死へと繋がっていくことになる。海外では、近代化が進み、個人主義が活発となり、組織に対する帰属意識は薄れ、組織はあくまで個人の自己満足を得るための道具的な扱いとなった。レイオフ、ストライキが当たり前となり、企業対個人の訴訟も頻繁に見られる。

日本は、未だに旧態依然とした帰属意識が強く、集団就職が常駐化し、企業ぐるみの不正に加担することもしばしばである。これは、一見生活を維持するために必要であると思われるが、過度の帰属意識は「飼い殺し」の格好の材料となる。そこには、将来設計など描けず、リストラに怯え、最後は捨てられる運命をたどる。しかも低賃金で働かせられるから、生活の意地も容易ではない。

それでは、どうすればこの悪しき慣習を正すことができるのか。答えは、個人の独立心にしかない。サラリーマンで働くことを諦めることから始め、独立できる資格を身に着ける。その後は、淡い夢を捨て自らの研鑽に努める。

それ以外に自らの身を護る術はない。年金受給年齢は、70歳となり、70歳まで国の借金を返し、政治家を食わせるためにのみ働かされるようになる。これは、国による強制労働的過労死である。長時間労働は分が悪いから、人生100年、老若男女が働ける時代を作るなんて言うのは、口先だけの話で、障碍者と同様、使えない人間は捨てられる。一部の人間だけが優遇するための制度に過ぎない。

果たして、国の仕組みを変えるために憲法を改正する必要があるだろうか。

まさに、来年新しい天皇が誕生し、新しい元号となることを利用して、明治維新と同じことをしようという魂胆が見え見えである。帰るべきは、悪事を働く指導者を退陣させることである。

さもなくば、いずれ国が大きく分断され、乱れることになろう。戦乱の世が再び訪れる。


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