暇人のぐうたら日記

暇人がぐうたらな日々をつづる

健康で文化的な最低限度の生活

2018-10-08 01:09:55 | たわごと
憲法25 条の基本的人権言わば生存権を記した条文であるが、解釈に問題があるように思える。この条文は、まさしくキリスト教的考えに基づいた色合いが濃く、儒教思想、仏教からは馴染めない条文である。したがって、儒教思想の強い日本では、最低限度だけが取り出され、公平性の観点から最低の生活に主眼が置かれた生活保護政策が取られている。だから、常に最低とはどのレベルかが議論され、自治体任せの政策となっている。最高法規である憲法が、自治体任せで良いのかが先ずは大きな問題であるが、最低限度とは、健康で文化的に掛かっており、最低の生活水準を意味するものではない。一日にパン1っ個、水1杯でも生きては行けるだろう。しかし、暖房、冷房、風呂等がなければ苦しみながら、ただ生きているだけである。死んだほうがマシだと思い自殺する。健康で文化的にはほど遠い。いっその事、殺してくれと言いたくなるが、殺人罪になるのでできない。自殺を待つしかないわけだ。基本的人権が生存権である以上、自殺に追い込む政策は憲法違反と言って過言ではない。健康で文化的を飛ばして、最低だけを強調する行政は憲法違反に相当するだろう。政治のモラルハザードが行政のモラルハザードをもたらしている事は明らかである。日本では歴史的にも最低の生活を強いられた苦い経験がある。いい加減、野蛮な考え方を改め、真っ当な考え方ができないものか。国際社会からは常に警告されている。これだけ欧米追従で来てるのに肝心なところが抜けている猿真似政治だ。

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