71年前の今日
秀夫おじさんが被爆した
旧瓊浦中学校に通っていた
優秀なおじさん
父はいつもおじさんの話をして
自慢したり
嘆いたり
”出来のいい兄さんだけが
早くに逝ってしまった”と・・
軍需工場に学徒動員され
その場所で
16歳という若さで被爆し
瀕死の重体であったにもかかわらず
その後
苦しみながらも
一か月ほど懸命に生き抜き
最期は
黒い血を吐いて亡くなった
原爆とは
生き残った者にも容赦なく
重い原爆症をもたらす
父も被爆者
子供である私達にも影響は及ぶ
秀夫おじさんの学友も
皆 天国へ
それぞれが
医学などの道を志す
優秀な方達だったと聞いている
志半ばで
どれほど無念だっただろうかと
そう想うと
目頭が熱くなる
胸が熱くなる
秀夫おじさんは
どんな道を志していたのだろう
どんな人柄だったのだろう
今頃
天国へ旅立った父と
笑顔で話しているだろうか
やすらかな
マリア様のもとで・・
午前11時2分
長崎市内に鐘が鳴る
原爆が投下された瞬間を思い
尊い命の犠牲のもと
今の平和があることに心を傾け
込められるだけの祈りを捧げたい
そして
美しい海を見下ろす
小高い丘の
白い十字架の下で眠る
秀夫おじさんに
手をあわせよう
心いっぱいの
花束を携えて
大切なのは
封じるのではなく
伝え続けること
風香