風と光と大地の詩

気まぐれ日記と日々のつぶやき

赤城山に桐生から登る

2019年06月04日 | 旅行


  昨年秋、桐生から赤城山に登った。かつて前橋から上る自動車道路が開通するまでは、桐生市黒保根町(旧黒保根村)からケーブルカーで登るのが赤城山にアクセスする一般的なルートだった。


  今も残るケーブルの跡。


  上から見るとこんな感じ。


 最大斜度は何度だろう。途中でころぶと下まで転げ落ちそう。

  

   今は歩いて登るしかありません。山道に慣れた人なら覚悟と根性があれば登れます。

    

 

 

  頂上から登ってきた東側の麓、桐生方面を眺める。反対側は覚満渕です。



赤城自然園に行く

2019年06月02日 | 旅行


  渋川市赤城町にある赤城自然園にはじめて行く。気軽に行けて森林浴にはもってこいの場所。

 
     シャクヤクはやや盛りを過ぎていた。

 

    歩道も園地もよく手入れされ、ちょっとした山に行かないと出会えない山野草にも出会える。
  

  ただし、軽い山歩きのできるトレッキングシューズやリュックなどの装備が望ましいことが後でわかった。
  道に木材チップなど撒いてあって歩きやすいのだが、木屑が靴につく。道ですれちがう妙齢の山ガールは登山もできるしっかりしたフル装備だった。


    帰り道の途中、広い敷地のなかで、道の傍らのベンチで休憩中のS氏の家族に出会う。確率的には限りなくゼロに近い偶然であろうが、こういうこともあるのかと思う。
    今年は定年退職前に、十年以上行っていない尾瀬に行ってみようかとも思う。





御茶ノ水界隈を歩く

2019年06月01日 | 旅行

 

  学生時代にうろついた御茶ノ水、駿河台、神保町界隈を久しぶりに歩く。明治大学がすごいビルになったのは知っていたが、あたり一帯が大手町か丸ノ内かといった雰囲気になって、喧騒と乱雑と人ごみにあふれた◯十年前の学生街とはまるで違う。かつてと同じように御茶ノ水橋から神田川と聖橋を眺め、一大産業となった某予備校の前を通り過ぎ、文化学院や山の上ホテルのあるあたりから坂を下りて錦華公園にたたずみ、昔とあまり変わらない古本屋に立ち寄り、行き交う人々の若々しさに改めて驚かされる。時代が変わったこと、年を取ったことをしみじみ感じさせられる。


  ニコライ堂ーロシアの文明は、かつての日本人にとって西洋なるものの象徴だったに違いない。


  日本野球発祥の地は、東京大学予備門のあった地で、ベースボールを野球と訳したのはたしか正岡子規だったか。


  「平和の使い  新島襄」という上毛かるたでグンマーには馴染みの新島襄の生誕の地は、安中藩の江戸屋敷だった。(こころの灯台)内村鑑三も、(誇る文豪)田山花袋も、生まれたのは江戸屋敷だった。譜代、佐幕藩の士族出身であること、当時の先端の(西洋の)教育を受けたこと、みやこで育ったことという共通点は何を物語っているだろうか。