2013年6月22日
天声人語 「メザシ」で男を上げたのは土光(どこう)敏夫さんだった。経団連の会長をつとめ、国の行政改革に熱を注いだ。晩飯をメザシですます質素な生活ぶりで「メザシの土光さん」と親しまれた風貌(ふうぼう)を、自民党の参院選公約を読みつつ思い出した▼数えると、公約の中にメザシが33あった。といっても魚ではない。「目指(めざ)し」である。「一人ひとりの雇用と所得の増大を目指し……」「待機児童解消を目指し……」「生産する喜びを実感できる農業・農村を目指します」。いろいろと夢は膨らむ▼しかし、読んでも実現への道筋は見えてこない。達成の時期が遠いものも多く、とにかく信じて任せてほしい、という印象だ。「絵に描いたメザシ」になりはしないか、不安も膨らむ▼公約の冒頭で、安倍首相は「三本の矢によって、日本を覆っていた暗く重い空気は一変しました」と自賛する。冷静に眺めれば、株価の上昇に世の中が浮かれ加減なだけではないのか。国の借金は1千兆円へと膨らみ続ける。これこそ重い現実である▼メザシの土光さんが執念を燃やしたのは「増税なき財政再建」だった。借金大国を嘆き行革を進めた。「おれは4、5年もしたら地獄の釜の底にいるだろう。君たちが日本をどう動かすか見ているぞ」と政治家や官僚に言っていた▼ところが借金は何倍にも増えてしまった。夢を並べ、公共事業に回帰し、痛み分けの負担に目隠しの公約を読むと自民党はどこが変わったのかと思ってしまう。高支持率に驕(おご)っていないか。
6月22日
知識はあっても……
先般、あるお店で、金庫の扉がガス溶接機で焼ききられて、中から金を盗まれた、という事件がありました。ガス溶接の知識を利用して扉を溶かしたわけです。そういう泥棒がいるのです。
知識はいくら持っていても、人間の心、すなわち良心が養われなければ、そういう悪い方面に心が働き、知識はかえって仇をなす、というような感じがします。
今日、新しい知識がなければ生活にこと欠くというくらい知識は大事なものです。それだけに、知識にふさわしい人間、人心というものを育てることが非常に必要なことではないかと思うのです。
6月21日
事業は人なり
「事業は人なり」と言われるが、これは全くその通りである。どんな経営でも適切な人を得てはじめて発展していくものである。いかに立派 な歴史、伝統を持つ企業でも、その伝統を正しく受けついでいく人を得なければ、だんだんに衰微していってしまう。経営の組織とか手法とかももちろん大切で あるが、それを生かすのはやはり人である。どんなに完備した組織をつくり、新しい手法を導入してみても、それを生かす人を得なければ、成果も上がらず、し たがって企業の使命も果たしていくことができない。
企業が社会に貢献しつつ、みずからも隆々と発展していけるかどうかは、一にかかって人にあるとも言える。
6月20日
言うべきを言う
部下を持つ人は、自分一人だけの職務を全うすればいいのではなく、部下とともに仕事の成果全体を高めていかなくてはなりません。そのためには、やはり部下に対して誠意をもって言うべきことを言い、導くべきことは導いていくことが大切です。
注意すべきときに“注意したら文句を言ってうるさいから”というようなことを考えて、言わずに放っておくというようなことではいけません。部下がなすべき ことはやはり毅然として要求し、そしてそれを推進していくということに対しては断乎としてやらなければならない。そういうことをしない上司には、部下はか えって頼りなさを感じるものです。
6月19日
美と醜
私の宅の近くに水のきれいな池がある。水面に周囲の樹々の姿を映し、まことに風情がある。ところがこの池がひところ雨が降らなくて、底の大半を露出してしまうまでになった。映すべき何物もなく醜い底を露呈するばかりである。美の反面には醜がある――そんな思いである。
お互い人間も、これと同じことではなかろうか。美と醜とが相表裏しているところに、人間の真実がある。とすれば、美の面のみにとらわれて、その反面の醜を 責めるに急なのは、人間の真実というものを知らないものである。暖かい寛容の心を持って接し合うことが、お互いに明るく暮らすための、一番大事なことでは なかろうか。