松下幸之助一日一話
6月24日
歴史の見方
私は最近、お互いの歴史に対する態度の中に、何か人間の醜さとかそういったウラの面を強調しすぎている面があるのではないか、ということが気になっている。
今日の姿をつくっているのは歴史である。そして今後の歴史というものは、われわれが、祖先が営々と努力を積み重ね前進してきた姿なり、子孫に残した遺産なりをどのように受け取り、生かすかによって変わってくるのである。そういう意味から、歴史の長所短所そのままを認識し、いい面はどんどん伸ばしていかなくてはならない。興味本位にこれを扱うことなく、もっと美しい面も同時に見るようにしたいと思うのである。
天声人語(OCN朝日新聞デジタル)
2013年6月24日
天声人語
よく晴れていると、自宅近くの私鉄駅の高架ホームから富士山が望める。そのたびに、しばし見入ってしまうことになる。〈風に靡(なび)くふじの煙の空に消えて行方もしらぬわが思ひ哉(かな)〉西行(さいぎょう)。いまは煙は上がっていないけれど、やはり物思いを誘う▼霊峰の世界文化遺産登録は、そこに三保松原(みほのまつばら)も含めるという驚きの結果となった。45キロも離れていて「山の一部」と考えられないとされていたが、各国が「一体だ」と応援し、判断が覆った。日本の主張がわかってもらえたのは喜ばしい▼富士といえば松。おなじみの共演は、古今の美術や文学はもとより、ごく身近な場所でも少なからぬ日本人の目に触れてきた。銭湯を飾るペンキの背景画である。かつて足繁(しげ)く通った身としては、湯船から見上げた雄大な絵柄が忘れられない▼いまや希少な存在となってしまった都内のペンキ絵師、丸山清人(きよと)さん(77)に電話をすると、「三保松原も一緒でよかった」と嬉(うれ)しそうだった。50年以上かけて描いた背景画は、ざっと1万から1万2千枚という。もちろん富士に松は欠かせない。「でないと、どうも様にならない」▼銭湯は減り続ける。背景画もペンキに代わりタイルが増えた。描き直しの注文も少なくなった。今は月に3、4軒を回る程度という。このたびの慶事を機に「どんどん仕事がくればいいけれど」と笑う▼市井に深く根を張った景色の記憶。それも今回の各国への働きかけを支えたと思いたい。丸山さんらの働きにも乾杯、である。